novel top

Side:NAZUNA

終着点なんてどこだっていいし、なくていい。

お兄ちゃんが学園に行ってしまう朝。ずっと一緒にいたお兄ちゃんがもう今までのように家にはいないのだと思うと寂しくなった。

「結構山奥だからあまり帰ってこれないけど長い休みには帰ってくるからな」
「うん」

泣かないように堪えて見送る。それでもお兄ちゃんにはわかるのかなかなか歩き出さない。袖を掴みそうな気持ちを抑えた。

「なずな」
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」

泣かない。泣いたらお兄ちゃんが悲しむ。せっかく認められて学園に入学できるんだから。
あの時お兄ちゃんがなかなか歩き出さずに私を見ていたのは私のように名残惜しんでくれたのだと思った。
でも違ったのだとわかる時が訪れる。お兄ちゃんは私が泣いて自分に縋りつくのを待っていたんだ。私にはお兄ちゃんしかいないと思っていたかったから。
なぜ理解できるようになってしまったのか。それはお兄ちゃんを好きになったわけでもない。そっち側に行っただけ。同じ側に立てば冷めた瞳で熱く瞳を向けるお兄ちゃんを見るようになっていた。嫌いなわけではない。兄としてしか見れない。
知らなければよかったなんて思わなかった。私は自分の意思でそっち側に行ったのだから。


目の前の光景が真っ白になり歪んでいくと暗くなっていった。それはどうやら目が覚める合図だったようで眠っていたのだと自覚する。真っ暗かと思うと目隠しをされているのか布越しに明かりが射しているのかうっすらと明るい。

「なずなちゃん、起きたかな?」

片耳から声がして身動きをとろうとしてできないと気がついた。

「動かないほうがいいよ。みんなテンション上がっちゃって何するかわからないからね」

危険を知らせてくれているはずなのに緊張感のない軽さに聞こえるのは声の主を知っているからだろう。
手足を縛られ話せないように布を噛まされて目隠し。あげくにろくに身動きがとれない狭い場所に座らされている。

「君からは箱の周りの声は聞こえないけど何人かの男子生徒がいるんだよ」

言われたせいか視線を感じる。言われたからだと、薄い壁を通して誰かがいるのを気のせいだと思いたい。内側からは聞こえないなんてどんな箱なのだろうと思ってしまう。視線を気にしたからか自分の服が変わっていることにも気がついた。明らかに制服を着用している感触ではなくショートパンツとニーハイソックスを着用させられているようだった。下着を見られることはないと安心する。

「今はゲームの真っ最中、賞品はもちろん……君だよ、なずなちゃん」

わざと間を開けて楽しそうに告げられる。
タイミングがいいのか悪いのか箱が揺れてさすがに恐怖を感じた。
でも目が覚めたのをいいと取ればいいのか悪いと取ればいいのか。振動が再びやってきて恐怖から堪えるように目を固く閉じる。

「箱を開ける事ができたら好きにしていいよっていう話なんだけどなかなか開けられないんだよね」

状況が変わらず退屈してきたような物言い。開けばどうなるのかがわかる。そういうゲームはよくしている。複数を相手にするのは初めてではない。けれど見えない相手にこちら側からどうすることもできないのは初めてだった。あまりにも一方的だ。人数もわからず震えそうになる。

「目の前にあるのにおあずけされて嘗め回すように君を見てるよ?あーあ、普段は優等生な彼らも快楽を前にしたら台無しだね」

激しく前後に揺さぶられ頭や肩を強く打つ。また聞いてしまったからなのか下半身に視線が集中しているように感じてしまう。外から中が見えるなんて言われていない。けれど彼ならやりかねない。体のラインがわかりやすいぴったりとしたショートパンツが嫌に思える。

「あれ、開ける方法わかったかな?」

籠っていた空気が抜けていく感覚に叫び出したいのを抑えた。叫んだところでくぐもった声しか出すことはできないし滑稽な姿を見せることもしたくなかった。嫌がれば嫌がるほど興奮するような連中でも困る。

「ゆ、雪柳先生!?」
「あれあれぇ?こんな空き教室で何してるの?あれ、その子二年の津森なずなちゃんだよね?」
「閉じ込められているのを見つけて出す方法をみんなで考えていたんです!な?」
「あ、あぁ……今やっと開けられて」
「そっかぁ。誰がこんなことしたんだろうね?まあいいや。あとは先生がやっておくからいいよ〜」

会話が上部から聞こえ数人の足音のあとに静かになった。

「開けた子は心底残念そうにしてたな〜、おっかし。あはは」

腕が箱の中に入り込み私の体を人形のように取り出され床に横たえられた。

「苦しかったでしょ?」

声が近くに聞こえ屈み込み顔を覗き込んできているようだった。未だに口に布は噛まされたまま。苦しいというのはあの状況のことを言っているに違いない。連中がいなくなり箱から出されただけで身体から力が抜けてくる。

「これで興奮できるかと思ったけど無理だったみたいだね。残念」

口に噛まされた布の結び目がほどかれ取れる。涎が垂れていたのも気にせずにゆっくりと深呼吸をした。

「……もしかして私がですか?」
「そうだよ?冷めてるというのかな?だからなずなちゃんのために用意したゲームだったんだけど駄目だったかぁ」

視界はまだ塞がれたままでもどんな顔をして言っているのかわかる。残念というのは雪柳先生にとって面白い展開にならなくて残念という事。

「雪柳先生は私がこんな状況で興奮するような変態にしたいんですか?」
「……どうしたらなずなちゃんは興奮するのかなって興味があったのかな」

両肩を押さえられ仰向けにさせられ覆い被さられる。

「僕との時は少し違うよね?」
「……何がですか?」

何のことかわかっていてわからないふりをする。

「僕以外とは興奮したふりをして、僕とは冷めたふりをしてる」

手が腰に触れ下がっていき太股に食い込む靴下を僅かに下げる。

「聞きたいなぁ、どうしてそうなるのか」

頬に息がかかる。視界が塞がれたまま感触ばかりを感じて息が漏れないよう口をきつく結ぶ。
靴下の中に指が差し込まれ冷たい指先にも反応する。
箱の中で見た夢が過る。あちら側にいた私とこちら側に来た今の私の夢。苦しくていい。この見えない空間で私を堕としてくれた人がいればそれでいい。

「知りたいなら探ればいいじゃないですか」

どんな酷いことをされてもこうして私に触れてくれるなら。

「じゃあ次はどうしようか?」

貴方の中を埋めたいなんて思わない。私に興味を持ち続けてくれるだけでいい。
そんなのは綺麗事だと見透かし見せつけるように目隠しを乱暴に取られた。

「君は僕がほしいの?」

悪魔は笑う。どこまでも堕ちろと。一人で堕ちて楽しませろと。そして他の玩具のように捨ててやると。
私の瞳を覆っていた布がひらひらと落ちていく。私は否定できなかった。


それからあれだけ連日連夜の呼び出しもなくなり平凡な学園生活を過ごしていた。
何もない宙に立たされたような感覚。放課後寮に戻るために廊下を歩く。天気はよく夕陽が廊下を染める。真っ赤な道に誰もおらず先の暗がりに人影もない。
もうすぐで雪柳先生の誕生日。彼は自分の誕生日を言うことはなかった。プロフィールに書かれていたから知れただけ。本当の誕生日ではない可能性もある。
今なら浮き上がれるのかもしれない。浮き上がったところで何があるというのだろう。
足を止め踵を返すと職員室へ向かった。

蘇芳先生に頼み黒橡の館と呼ばれる雪柳先生の別荘に辿り着いた。雪柳先生には知られたくないと言えば多少考え込みそうかとだけ返され手配してくれた。数日が経ち皮肉にも今日は雪柳先生の誕生日だった。
立派な館。けれどどこかおどろおどろしくも思え両開きの扉のノブを掴むと音を立てて開いた。

「本当に開いてる……」

数日かかったのは雪柳先生に知られずに館に来る手はずと鍵を開けておく準備のためだった。蘇芳先生が先に来て開けておいてくれた。
扉を閉めるとまだ太陽が昇っているため館内は明るい。一度訪れた記憶を頼りに階段を上っていく。生活感のない空間。なのに独特の雰囲気があるのはなぜだろう。どこか怖くも惹かれるものがある。持ち主である彼を表すように。
二階の奥に一直線に向かう。合宿の時に開かずの間だと作り話をしていた部屋。開かないと思えば不思議と開かなくなる。それは何ていう事はない、無意識に開こうとしないからだ。
ノブを引くとあっさりと開いていく。けれど中は暗闇で入るのに躊躇した。

「カーテンで締め切られてる……?」

陽を遮っているだけだとわかれば足を踏み入れられた。扉を閉めれば真っ暗。入口で佇み目が慣れていくのを待つ。想像よりも広そうな部屋で一歩踏み出すまでに少し時間がかかった。
雪柳先生は開かずの間だと話した。あの話はどこまでが本当か。聞いても答えてはくれないだろう。あの話をすることはゲームのためでしかなく本物の愛を見たいわけでも欲しているわけでもない。

「絵?」

部屋の奥まで来ると壁に一枚の絵が飾られているのがわかる。女性だろうか。部屋は殺風景だけれど誰かがいたような形跡はある。

「雪柳先生の話は」
「僕が何?」
「いっ!?」

耳元で急に声がしたかと思うと後ろ髪を強く引っ張られた。思わず両手で外そうとしても外せずに後ろに引っ張られる。

「ここは僕の別荘なのに無断で来ちゃだめだよっ」

床に投げつけられるように突き放され尻餅をつく。暗がりでも彼が何を持っているのかわかるも何もできずに押し倒される。

「はっ……」

左頬を掠め包丁が床に突き立てられていた。目を見開き浅い息を繰り返す。私の身体に乗る雪柳先生が声を殺して笑った。

「僕に殺されに来たんだよね?」
「ちが」
「今の君ならわかるでしょ?ここは侵入禁止だよ。開かずではなく開いてはいけない部屋なんだ」

いつもの調子には聞こえても包丁の柄から手が離れていない。何も言えずに見つめていると雪柳先生は柄から手を離し上半身を起こした。

「僕が欲しいと思った時点でつまらないんだよ、なずなちゃん。僕の何が欲しいの?お金?愛?それとも」

膝から足を撫でられスカートの裾を上げられていく。
私は彼が欲しいとは言っていない。けれど欲しがっていたのだろうか。この底無し沼のような人を。
私の身体から降りると膝を抱えられ雪柳先生自身を下着越しに擦り付けられる。

「君は頭はいいから丁度いいかもね」
「なに、いっ」

貫かれる痛みに顔をしかめる。慣らされていない中を容赦なく動かされ悲鳴混じりな声が上がった。
彼以外なら麻痺していくのに与えられるものなら何でも逃さないように敏感になっているのがわかる。それが痛みでもいい。
揺さぶられながら雪柳先生越しに先ほどの絵が視界に入る。まるで見ているかのように。長い髪の女性が雪柳先生に被る。
やがて達し中に出されるのがわかり先程の意味がわかった。馬鹿な女の子供よりも頭がいい女の方がいいのだろう。そちらの方が馬鹿げている。それでも優秀な遺伝子を組み込んでいきたいのだろう。

「……私は貴方が欲しいわけじゃない」

虚ろな瞳で見つめ続けた女性の絵から雪柳先生に視線を移していくと意識がはっきりとする。

「ふ〜ん、そうなんだ?」

対して興味がなさそうな雪柳先生があまりにもらしくて高揚する。これでいいのだとどこかで歓喜した。


「雪柳先生中のシャツも黒だ〜、大人っぽい」
「僕はいつも大人なのにひっどいな〜」

雪柳先生の誕生日から数日後廊下を歩いていると話し声が聞こえた。すれ違いながら彼のシャツを見やる。
黒のシャツを渡した時彼は笑いながら嫌味かと聞いてきた。嫌味でもなんでもない。まだボタンは白い黒のシャツ。
私は欲しいわけではない。底無し沼の先へ。終着点なんてなくていい。彼がもっと楽しいと思えるように堕ちる私に掴まれてしまえばいい。
堕ち合いましょう、深淵へ。


Side:KAKERU

観劇をするようなものだった。滑稽なゲーム。愛だ何だと言いながら最後には欲望に抗えない。それが本物のような気がした。
堕ち行く人々を嘲笑いながらたまに自分はどこにいるのだろうと思う。底に立っているのだろうか、淵に座っているのだろうか。生まれた時からここにいるのなら堕ちたといえるのだろうか。僕は変わることはない。


「君は僕がほしいの?」

目隠しを取ると図星かのように驚いた顔を見せる。彼女だけではなく何人もの女生徒がそうだった。最初は無理矢理従わされているのに従順になり僕を好きになる。気持ちが悪かった。みっともなく縋り何でもした子は面白かったけれどすぐに壊れた。

「僕が愛に飢えてるなんて言う子もいたけれど君もそうなのかな?君達が僕からの愛が欲しいから説いてるだけじゃない?ばっかみたい、あはははははは!」

一人でバカみたいに笑うのを彼女はただ見ているだけだった。何も言えないのだろう。

「あ〜あ、つまらない」

立ち上がると振り返らずに教室を出た。呼び止める声もなくあっさり終わった。

それからはなずなちゃんを放置することにした。これで戻るのならばそれまでだ。しかし彼女は行動を起こし黒橡の館へ侵入した。大和くんを使ったようだけど僕に隠しきれるわけがないのを大和くんもわかっている。あいつも何を考えているんだかと思うがどうでもいい。彼女は僕が知らないと思っているだろう。
静かな館内で靴音が響く。彼女が入るのを見届けて少し待った。行く場所は検討がつく。キッチンで包丁を取りに行ったあとに向かっていた。

「いけない子だな〜」

口にした声は思っていたよりも低かった。二階奥の開かずの間。あっさりと開く開かずの間に彼女はいた。

『……私は貴方が欲しいわけじゃない』

瞳の色が変わった。どこか酔うような不安定な瞳は真っ直ぐに僕を射抜くようだった。
用済みだと捨てた玩具を拾う時が来るなんて面白い。

『髪でも伸ばしてみたら?きっと可愛いよ』

館を出る時に何の気もなしに言っていた。彼女は何も言わなかったけれどそれから伸ばしはじめたと気づいたのは半年くらいしてだった。
楽しいゲームは続き、日は経っていく。新たなクイーンを置いたりもした。変わらない人々、変わらない僕。そうしてまた年が明けた。

毎年この日に来ていたわけではない。けれど今年も誕生日に黒橡の館を訪れていた。去年は彼女が侵入したからだけれど。
鍵を開けジャケットにしまうと階段を上りながら脱ぎ捨てる。遅れた誕生日プレゼントとして渡された黒いシャツをたまたま着ていた。まるで白より黒の方がいいと押し付けられたようで面白かった。ネクタイを緩め廊下に捨てていく。
二階奥の部屋。母さまの部屋であり僕が産み落とされた部屋でもある。本物の愛を知りたがった母。そんなものはないと確かめるように僕は生まれた気がした。

「貴方が僕を認識したことはなかったね」

扉を開き奥にある肖像画に投げ掛けるように呟く。一歩一歩ゆっくりと近づく。目が慣れ薄闇の中に壊れる前の女が見える。愛した男に肖像画だけ残され裏切られた女。美しい見目のあまりに鹿野家に組み込まれたにも関わらず気狂いだと罵られ抹消された。復讐したいわけでもない。そんなものだと使われる側ではなく使う側にいるしかない。

「っ……」

微かな靴音がして振り向こうとすると胸めがけて突きつけられそうになるのを避けた。

「さすが雪柳先生」

包丁を手にしたなずなちゃんが笑うと振り上げる。避けると最初から狙いはそちらであったかのように絵に包丁を突き立て引き裂いた。

「なっ」

笑みを深めながら絵をずたずたにする彼女を見ているしかできなかった。もう母さまのものはこれしか残っていない。気づくとその腕を取り包丁を落とした。

「……あっぶないな〜、包丁は食材を切るための物だよ?」
「雪柳先生が冗談を言っても面白くないです、よっ」

腕を掴んだ手を反対に掴まれ強く引っぱられると押し倒されていた。まるで去年の再現のようだった。ただし上下は反転している。馬乗りにかったなずなちゃんは笑みを浮かべながら長くなった髪を耳にかけた。長さは肖像画の母さまくらいだろうか。

「動かないで下さいね」

取り出したカッターをチキチキと音を立てながら刃を出していく。シャツを引っ張られるとボタンを一つずつ切られた。

「絵を傷つけたのはどうしてかな?」

彼女越しに引き裂かれた絵が見えて気づけば問いかけていた。彼女は手を止めずに答える。

「彼女もこんな部屋にいたくないからです」
「何がわかるっ」
「っ……」

カッターを持っているのも気にせずに首に片手を伸ばし絞めていた。細い首は片手でも十分で苦悶の表情を見せる。

「わか、ら……っ」

手を外そうと抵抗はせずにカッターを後ろに持っていくと長い髪を切り落とした。

「げほ……はっ、はぁ」

首を絞めた手が緩むとなずなちゃんは噎せながら手から切った髪を流れ落としていく。呼吸を整え切り揃えられていない髪で再び笑む。

「私が白いボタンを黒にかえたかったんです」

そう言いながら用意していた針と糸でボタンを縫いつけられる。肌を針が掠めていった。

「もっと楽しくなります」

にっこりと他から見れば物騒な事に繋がる事を言ってのける。だから絵を引き裂いたのだと言うように。笑いたくなってしまって顔を押さえて笑った。泣いてるわけではない。ただ笑う。

「誕生日おめでとうございます、雪柳先生」

ボタンを付け終えたのか言われる言葉は心底どうでもよく言われたくない言葉だった。けれど彼女になら、この瞬間ならまだいいかもしれない。
この部屋がはじまりでおわるのだと思っていたのを壊していく。ここには何もないと壊していく。これが堕ちていくものだとはじめてわかる。先へ堕ちていく。離れぬことがそれと説くならば母さまはきっと喜ぶだろう。堕ち行く僕達を見て開かずの間は開くのだろう。



H30.1.17


Going Under
prevUnext