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会議室にて立ち会うよう言われ教頭が女生徒二名から話を聞いているのをただ見ていた。
泣いて謝りながらもそんなつもりはなかったと訴えかける。本人に謝りたいとまで言い出し教頭が俺を伺うように振り返った。

「随分と嫌がらせを受けていて昨晩助けた際も川奈さんは辛そうでしたし会わせないほうがいいかと思いますよ」

最終的な決定は理事長が決めることだ。教頭は自身に決定権がないとわかっていて困り果て俺に聞いただけ。
女生徒二名は信じられないものを見るかのように俺を見ていた。川奈ヒナに謝りたいと言いながらも俺の顔をちらちらと伺っていたことなんて忘れてまるで裏切られたかのような顔をする。
相応の態度には相応の態度で返すまでだ。おとなしくしていればまだ見逃していてやったのに。


「いくら校則を厳しくしたところで証拠がなければ駄目ですからね」

今日は保留となり女生徒を帰宅させ廊下に出ると海里が佇んでいた。

「小さな違反なら見つからないと思っている子達でしたからね」

海里も女生徒二名のことは知っていたようだった。決定権は理事長にある。理事長である海里に。

「そういえば」

歩き出そうと背を向けた海里があたかも今思い出したように言った。

「暇潰しの刺激的な娯楽はどうなりましたか?」
「海里がそんなことを聞くなんて珍しいですね」
「僕よりあの時の柳先生の方が珍しかったですよ。だから気になって」

海里が川奈を気にかけていたのは知っていた。もしかしたら川奈が海里に助けを求めるのではないかとも思った。でもそうはしなかった。

「暇潰しなんてとんでもありませんよ」

これはあいつと俺だけの世界だ。


翌日から川奈は通常通り登校をした。数日は授業以外でも特に接触することはなかった。

「どうぞ」

放課後授業の資料をまとめているとノックの音がした。

「失礼します」

ドアの開閉音と共に聞こえた声に手が止まった。
振り返ると紙袋を持った川奈ヒナがいた。

「校則違反ですか?」
「朝事情を説明して職員室で預かってもらっていたんです」

近寄ってくると紙袋を差し出される。隙間から見慣れた色が見えてそれが自分のジャケットだとわかった。
受け取り中から取り出す。

「クリーニングしてくださったんですね。ありがとうございます」

受け取った瞬間体が強張るのが見てわかる。あの日屋上での行為を忘れているわけがない。経験もない体で寸前までされれば恐れもするだろう。
しかし職員室に朝預けたならそのまま俺に渡すよう頼むこともできたはずだ。だがそれはしない。そうするような奴ならこうなってはいないし学園にもういなかったかもしれない。

「何も出さないのも悪いですからお茶でもいかがですか?」
「い、いえ……すぐ帰るので」
「そうですか、残念です。また美味しいお茶をご馳走させて下さい」
「はい、ありがとうございます」

頭を下げ扉に向かう。振り返りもう一度頭を下げた。

「さようなら」
「はい、さようなら」

扉は静かに閉められた。ジャケットを紙袋に入れ直し脇に置き授業の資料の用意を再開した。自然と鼻歌が漏れる。
人間は悪でできているかいないか。ただ主張するだけではなくなった。互いをわかった上で主張する。強者と弱者のシステム。片方が欠けていたら自身は何だ。

“お前にとっての強者は誰だ?”

あいつに問いかけた。俺の思想を聞き理解したならばわかるだろう。成り立つ世界の構図が。
正しいものなんてない。そんなもの人間が定義した仮初めの正しさだ。底には悪がある。自身を正当化したい、存在価値を見出だしたい悪が。汚く澱んだものが。

「さて、お前はどうでるかな」

呑まれるか対立し続けて退くか壊れるか。暇潰しだったはずが刺激的な娯楽でもなくなった。楽しくて仕方がない。こんな感覚を味わえる日がくるとは思わなかった。


それから屋上での出来事以前のように雑用を頻繁に頼むようになった。川奈はめんどくさくなることもなく楽だった。少し頼むと取り入ろうとする奴がいて呆れるだけに前までは自分でやるようにしていた。
そうして時は過ぎていき川奈も学園に馴染み一年が経った。

海里に用事があり美術室にいると聞き訪れた。

「海里、少しいいですか」

扉を開けて呼び掛けると無人だった。奥の部屋にいるのかもしれないと室内に入る。生徒の絵だろう。数枚のうちの一枚に自然と目がいった。

「それは彼女が描いたものですよ」
「うわっ」

背後から声が聞こえ驚いた。海里は特に気にする様子もなく笑みを浮かべ視線を絵にやる。促されるように絵に視線を戻した。

「絵に表れていますね。美しい」

その言葉に誰のものか確信した。赤い薔薇をいくつも描いた絵。他の生徒のものも描いてるものが統一されていないことから自由に対象を選んだのだろう。

「それは俺に対しても言われてますか?」
「柳先生の絵は昔から変わりませんね。気になさってますがただ画力がないだけでしょう。特徴は捉えています」
「……誉めていませんね」
「美術教師ですから」

この手の話題で海里にからかわれる事は多かった。昔からの知り合いというのはやっかいだが他よりも話せる分楽な部分もあった。

「彼女もあっという間に卒業してしまいますね」

海里は絵から視線を外さずに言った。

「残念ですか?」
「そうですね。彼女の美しさを間近で見ていたかった」

過去形。海里は理事長だ。俺が特別指導官で川奈を指導したことも知っている。大方の予想はしているのだろう。それでもわざわざ俺に言ってくるのはそれだけ川奈に何かを見出だしかけていたのか。
再び絵に視線を戻してみる。絵に詳しくはない俺にはよくわからない。だが川奈の絵だと知らずとも目がいくのは悔しくも喜びとなった。

「海里から見たこの絵はどんな絵なんですか?」
「与えられずとも咲き、吹き荒らされても朽ちない聖域のようなものでしょうか」

聖域。侵してはいけない領域。俺は侵したい。そして一枚の絵になる。それがたとえ額縁が壊れまともに見れないものになったとしても。
俺からしたらこの絵は未完成だ。


いつもの通り雑用を頼んだものの漏れがあり図書室へ向かった。頼んだ本を探しているならすぐいる場所はわかるだろう。入れ違いになってる可能性はあるが。だがすぐに見慣れた姿を見つけた。本に没頭し俺が近づいたのも気づいていないようだった。

「川奈さん」
「あっ」

前に佇み声を潜めて呼ぶと大きな声を上げたため人差し指を立てて川奈の口にあてた。

「図書室ですからお静かに。随分と熱心に読まれていましたね」
「すみません……」

読んでいる本を確認すると持ってくるよう指定した本だった。
川奈は頑固で負けず嫌いだ。だがただ押し通すわけではない。意志を持って知ろうとする。そうは思っても俺を敵視している節があり生徒に苛められていても言わない始末だった。それもあって雑用も意地でやってるのだろうと思ったがどうやらそうではなかったらしい。段々楽しくなってきたというのは嘘ではなかったということか。

「いえいえ、熱心に読んでくださって先生嬉しいです。負けたくないだけではなかったんですね」

あくまで笑みを浮かべたまま普段通りに言う。川奈は少し驚いたようだが慣れたのか笑顔を見せた。


川奈の高校生活はあと半分となった。半分といえど今まで通りとは違ってくる。進路を決めなければいけない。俺はこの学園の教師だ。あいつが卒業したらどうするのか、どうなるのか。気づけばそんなことを考えている自分に自嘲の笑みが浮かんだ。
特に何もなく時は過ぎていった。川奈も自ら質問にくるようになり俺がくだらない用件で邪魔が入ることを嫌うことを知って鍵を閉めるのを躊躇わなくなっていった。
警戒心も反発もなくなっていった川奈。もう一度お前は俺を捉えられるか。俺から逃げ出さずにいられるか。

「色気づいたところでガキだがそういう目を向けられるとそそる」

結果は平行線のまま逃げ出さなかった。
近づけた顔を首筋に埋める。肩を強く掴まれたがその痛みさえ心地いい。上着は皺になるなとは思ったが。

「……なんで、ここでなんですか」
「それはお前が生徒で俺が教師だからだ」

タイを取りシャツのボタンを外していく。特別指導時に言ったことは嘘ではない。興味もなかった。だが今は別だ。生徒に校則違反をさせていることに海里には悪いとは思うがこの学園でなければ意味がない。

「んっ……」

肩を掴んでいるものの足からは力が抜け体勢が崩れ壁伝いに体が落ちていく。

「声、我慢して下さいね」

わざとらしく告げると泣きたいだろうに我慢して強く睨まれ口を固く閉じるのがわかった。泣き顔を見たいのに見せないよう堪えるのがそそる。
痛みに耐えながら声を上げないよう片手で口を押さえる。

「……やっ、ん」

口を押さえる手を外させ唇を塞いだ。


力で押さえつけようとしても抗いきれないのに折れない。力で押さえつけられないことなどわかっていた。

「今日は随分とぶっきらぼうな答え方でしたね。皆さん驚いていましたよ?」

授業が終わり教材の片付けを手伝うよう言うといつも通りに手伝った。あまりにも頼むことに川奈の友人は何度となく俺に他にも生徒はいると訴える。類は友を呼ぶというやつなのか川奈を心配しているのがわかった。川奈は自分は大丈夫だといつも言う。

「わかって聞かれてると思うので答えません」

昼休みになり教室には誰もいない。

「今日の授業は昨日一緒に予習したページでしたからね」
「……ページに皺が残ったのでわかります」

否が応にも昨日の行為を過らせるだろう。あまり抵抗しないのがノートや教科書の上での行為は抵抗を見せる。思い出すのもあるが勉強道具の上でするものではないと本気で言っているのだろう。学舎でしていることに代わりはないのに。

「柳先生、片付け終わりましたよ?」
「え、ああ。では行きましょうか」

つくづく真面目だと思う。そうすることで証明できると信じている。主張する良心を。
そんなことをしたところで何も変わらない。


相変わらず平行線のまま。変わらないとは思っていた。

誰も周囲にいないのを確認し川奈のクラスへ入り机の中に封筒を入れる。場所だけ記載した手紙。あいつは逃げないだろう。ならばもっと早く逃げるか壊れるか呑まれるかしている。
変わらないとわかっている。平行線だとわかっている。俺は何を望むのか。
これはあいつと俺だけの世界。どちらかが壊さなければ終わらない。俺は壊さない。やっと見つけたのだから。


もう行くこともないだろうと思っていたかつての住居。廃墟と化した屋敷。その地下に川奈を監禁した。
脅しなんてせずとも川奈はついてきただろうが自分から来ることに意味があった。家出として捜索はしているようだがうまく言ったのか事件性を疑う様子はなかった。


一日に一回川奈を訪れる。段々口数は少なくなり食べる量も減っていった。
その度に言うのはお前が死んでも変わらない俺はのうのうと生き続けるということだった。そう言うと憔悴した瞳に火が灯るのがわかる。
薄暗い地下の部屋に鎖で縛り付けられながらも自己は失わない。

「それなら食べろ」

冷めたスープをスプーンで掬い口元に持っていく。睨み付けながらも口を開き食べさせた。

「何も入っていないといいな」

飲み込んだのを確認しわざとらしく言うと狼狽える様子もなく視線を逸らした。
脅えたのなんて最初の行為の時くらいだ。泣き顔も苛められていた時くらいしか見たことがない。初めての行為やそのあとも痛みや快楽で涙を流しても腕で目を隠したり目を擦る。

“俺以外わからないふりをしているだろう?”

ろくに話さず俺の望むように俺だけを見ていたあいつになぜそんなことを言ったのか。ふりだということはわかっていた。俺を騙そうとしていた。頃合いを見計らっていた。それを楽しみにしてもいた。

「ろくに食べていないのに速いな」

階段を上がり走っていく川奈の姿を見つめる。走ることはせず歩いて追っていく。

“柳先生……私はやっぱり人はどちらを持ちながらも優しいのだと思いたいです”

まだ俺を先生と呼ぶ。これだけのことをされてお前はまだ世界の正しさを、善だと信じるのか。
善悪なんてないに等しい。平和な場所で育てば倫理観によって決められ麻痺した思考は善悪など考えなくなっていく。反対も然りだ。結局人間は私欲の生き物だ。利用し合って生きていく。誰のためにもならず己を満たすためだけに他を省みないならばそれは悪だろう。
ならばお前は今なぜここにいる?己のためでないならなぜこんなところにいる?

窓の下に倒れた川奈が体を起こし無造作に転がっていた椅子を取ったのがわかった。もう話しても聞こえる距離だ。声をかける前に椅子が窓ガラスを割った。

「柳先生にまた教えてもらいましたね」

あれほど俺の前では見せようとしなかった涙を拭うこともせず微笑む。
その泣き顔は俺を満たすものではないはずなのに俺だけに向けられる泣き顔に少なからず満たされてしまう。

「おい!」
「そうやって呼び止めてくれた時もありましたね。だから私は学園で一人ではないのだと思えました」

俺が教えたことなんて人間は屑で悪だと言うこと、強者と弱者で世界は成り立つこと。
そんな晴れやかな顔をさせるようなことは何一つ教えていない。
川奈が割れたガラスの破片を手にすると血が床に滴った。

「ちゃんと見つからないように埋めて下さいね」
「お前が死んだところで俺はのうのうと生きる」

幾度となく言ってきた言葉。今ここで死んでも俺が間違いだと証明はできない。しかも証拠となる遺体まで隠せと言う。世界にも俺にも間違いだと認めさせられない。
割った窓に近寄りこちらに体を向ける。止めることもできるはずだ。なのに体は動かない。

「間違いなんてありませんでした。教えてくださってありがとうございました」

川奈は笑って破片を胸に刺し落下した。木々を掠めて落ちていく音が聞こえなくなって落ちきったのだとわかった。

「……めんどくせぇ」

窓枠に近づき呟く。
どんな顔をすればいいのか何を考えればいいのかがわからない。
しばらくして陽が落ち始め前髪を掻きあげやっと見下ろした。


「柳先生は川奈さん以降特別指導されていませんでしたが指導官制度は廃止になりました」
「それはまた……こんな場所でする話ですか?」

図書室の窓際でいつものように読書をしていると海里が話しかけてきた。
隣に腰かけた海里越しに気づけば図書室内から生徒どころか係の者もいなくなっていた。

「貸しきりにしました。柳先生はここがお好きなようですから」
「気兼ねなく読書ができますからね」

読んでいた本を閉じ話す体勢になる。

「お役には立ちませんでしたが海里の世界は完成しましたか?」
「完成はしたんでしょう」
「と、言うと?」

海里は理事長として元から厳しかった校則を更に厳しくし特別指導官制度まで作り規律が整った箱庭を作ろうとしていた。それが作品、自分の世界かのように。
完成はしたと言うのにどこか納得できていない様子だった。

「いえ……これでいいんでしょう。乱れず乱されず守られた箱庭です」

そう言いながらも視線は何かを探すように宙を彷徨う。これ以上は話すことではないし俺にもわからないことだ。

「それだけです。読書の邪魔をしてすみません」
「いえ、直接伝えにきてくれてありがとうございます」

海里が立ち上がり俺も切り上げようと本を持ち立ち上がる。
窓からは沢山の生徒が見える。だが以前のように見ることはあまりしなくなった。

「海里」

歩き出した海里を呼び止めると顔だけ振り返る。

「俺が死んだらあの屋敷に埋めて下さい」

日常会話の延長のようにいつものように笑顔で言う。
海里は首を少し傾げながらも笑みを浮かべ頷いた。歩いていく海里のあとにはすぐについていかず振り返り窓から空を見上げた。

あいつの言う優しさはどちらだったのか。善悪の括りもない。思惑なんて関係ないと受け止めたあいつもどちらでもない。

「俺にとっての弱者はお前だ」

自分の呟きに自嘲する。
どこから崩壊したのか。特別指導から始まったあいつと俺の世界は崩壊した。いつのまにか壊れていた。過るのは屋上での出来事。思い返しても仕方ないと頭を軽く振る。
崩壊したまま続いていた。それをあいつが持っていくようにいなくなった。
俺は生き続ける。あいつのいない二人の崩壊した世界で。



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