終わり


実験の終わりは突然訪れた。


夕方、小夜はカフェギモーブへやってきた。

「おかえり、小夜ちゃん」

扉が閉まり小夜は何も言わずに中へ足を踏み入れた。

「文人」

そう呼ばれても驚きはしなかった。
店に来た時点で小夜の雰囲気は以前のように鋭く研ぎ澄ました刀のようで、視線も射抜くようだった。
記憶を上書きしている小夜は古きものと戦っている時ならまだしも通常時で今のような雰囲気を纏うことはありえなかった。

「記憶、戻っちゃったんだね」

カウンター越しに小夜が佇むのを見て苦笑した。

「これが用意した舞台と役者か」
「そうだったんだけど思ったより早かったかな」

異常があればすぐにわかるようになってはいてもやはり完全ではなかったようだった。
なぜ完全に記憶が戻ったのか。

「唯芳かな」

小夜の目が細まる。唯芳にはある程度監視カメラの位置がわかる。無人偵察機のカメラの隙すらつくだろう。

「唯芳と逃げようとは思わなかったんだ?」

記憶が戻ったのならここにくる事にさえ違和感を感じる。
浮島地区に来るまでに小夜は僕に嫌悪や憎悪を抱くようになっただろう。なのに小夜は記憶が戻っても僕に会いに来ている。

「父様も逃げる気はない」
「父様、ね。父様もってことは小夜、君もなのかな?」

記憶が戻っても父様と小夜は呼んだ。短い間とはいえ共に過ごした近い存在なら情が芽生えてもおかしくはないだろう。

「私は話をしにきた」
「話?」
「お前の目的だ」
「それはこの実験をする時に言ったよね。確かめたいことがあるって」
「お前はどうしたい」

小夜は確かめてその後どうするかを聞いているのだろう。
真っ直ぐと見つめてくる小夜に肩を竦めて、役を表すエプロンを外しテーブルに置いた。

「この実験の結果でどうするか決まるはずだった。そして結果は小夜の勝ち。だから小夜に褒美をあげないとね」
「ならばお前が敗者か」
「そうなるね」

小夜は思案するように視線を逸らした。
随分と呆気ない終わりを迎えた事に少し拍子抜けしていた。そして次の行動に移るために思案する。小夜に褒美を渡すために。

「……私は」

小夜の返答を待たずに行動に移そうか考えていると小夜が呟きゆっくりと視線をこちらに向けた。

「このような生活を夢見て諦めた」

一瞬耳を疑った。
小夜が指すのはこの浮島での生活だろう。

「古きものを定期的に与えられること?」
「違う。人と関わる事だ」
「君にとって人に価値はないだろう?」
「他者の価値など他者が計れるわけがない。わかるのは本人だけだ」

小夜の言うことは最もだった。
でも理解ができない。言葉がわからないわけじゃない。意味もわかる。でも理解ができない。

「人に危害を加えないならば私はお前の元にいる」
「小夜?」
「褒美を得られるならば、私はこのような生活を望む」

困惑していた。柄でもない。でも僕にとって小夜は全てだった。だから今まで知り得ないものを感じたとしても不思議はない。

「お前がもしも私の力を利用し人の世を乱したいなら、私は鬼になろうとお前を斬る」
「力なんて持っていたって仕方ないよ」

小夜を見つけあらゆる手を使ったけれど小夜は手にいれることはできない。
生まれ持った術者のしての才能も、親族を殺して得た地位や権力も何の意味もなかった。一時だけ楽しめただけ。

「さっき僕にどうしたいか訊いたけど、それじゃあ敗者の僕への罰がないよ」
「私はお前にとっての罰がわからない。お前が私にとっての褒美がわからなかったように」

どうしたいのか結局口にすることはしなかった。
自身でもわかっているのかいないのかあやふやなものだった。

「色々面倒ごともあるけれどとりあえず東京に向かおうか」

呆気ない終わりを迎え、予想外な出来事が起こり勝負は決した。



H24.9.12