安堵


私の名前を誰かが呼んでいる。

“小夜”

誰かが私に触れる。
聴覚と触覚だけが微かに感じるだけで視覚はない。
なぜ私を呼ぶのだろう。
なぜ私に触れるのだろう。
なぜ私は返さないのだろう、返せないのだろう。


「ん……」

薄く目を開くとぼんやりと人影が映る。瞬きをするとはっきりと映り人影が誰なのかがわかる。

「文人さん……」

名前を呟いて一瞬だけ違和感を感じたけど寝起きのせいだろう。
手に感触があり、その感触は文人さんが握っていてくれてるからだとわかり軽く握り返す。
文人さんはまだ寝ているようで目を閉じていた。
こうして寝顔を見るのは初めてでもう片方の手でそっと前髪に触れる。

「……起こしたほうがいいのでしょうか」

部屋には明け方らしく僅かに明るくなってきていた。時間は確認できていないけどまだ早いはず。
文人さんが何時からカフェの準備をしているのかわからず迷う。

「もう少しだけなら……」

起床するのを留まったけど文人さんが何も掛けずに畳の上に寝ている事に気がつき慌てそうになる。
起こさないように落ち着きながらどうするか考え、自分が掛けている布団の半分を掛けた。
さすがに布団まで動かしては起こしてしまいそうでやめる。

「……もう少しだけ」

呟きながら再び目を閉じる。文人さんの手の感触を確かめるように握った。


「すみません、朝のお務めまで手伝っていただいて……」
「気にしないで。できることは少なかったし」
「いいえ!文人さんのおかげでこうして朝御飯をいただく時間があるんです!ありがとうございます」

あのあと文人さんに起こされると普段起床する時間よりも遅くなってしまった。
文人さんのおかげでカフェギモーブで朝食を取り食後の珈琲まで飲める時間があった。
文人さんは笑いながら小さな小皿を出してくれる。
その小皿にはいつも出してくれるギモーブが2つのっていた。

「小夜ちゃんには添い寝してもらったしね」

ギモーブを一口食べると文人さんがそう言って驚いて見上げた。
口に入っていて何も言えず目を見開いて見つめる。
文人さんはカウンターに肘をつき笑みを浮かべて私を見つめていた。

「お礼を言うのはこっちのほう。よく眠れたよ、ありがとう」
「そ、そそそ添い寝ですか!?」

ギモーブを飲み込んだ瞬間驚きの声が上がり同時に恥ずかしさから顔が熱くなる。

「落ち着いて。珈琲飲んで」
「は、はい」

文人さんは笑いながら私を落ち着かせようとしてくれる。
珈琲を一口飲み息を吐くと落ち着いた気がした。でもまだ顔は熱い。

「でも私が添い寝したというよりは私が文人さんに添い寝していただいた気がします。安心して眠れました」

昨晩一人で眠れずに窓から月を眺めていたのを思い出す。
そこに文人さんが来てくれて嬉しかった。

「そんなに唯芳さんがいなくて悲しかった?」
「父様がいないのは悲しいです。一人は寂しくて辛くて……」

俯いて段々と呟くようになっていき映る珈琲の水面が歪んだ。

「小夜ちゃん」

頬に柔らかな感触が触れて呼ばれて顔を上げる。
目の前に文人さんがいてくれる事に安心した。

“小夜”

「小夜ちゃん?大丈夫?」
「あ、はい」

一瞬だけ何かが重なった。気のせいだと思い珈琲を飲む。

「小夜ちゃんが眠れない時は呼んで」
「いいんですか?」
「ただし、唯芳さんには内緒だよ。大事な娘さんに添い寝するなんて言えないからね」

冗談かのように言われる言葉に笑う。
きっと本当に呼べば来てくれるとわかっていたから。

「文人さんも眠れない時は呼んで下さい。小夜が頑張って眠らせます!」
「その言い方だと色んな意味で誤解されそうだよ、小夜ちゃん」

意気込んで言うと文人さんが苦笑しながら頭を撫でてくれた。
残りのギモーブを食べ、珈琲を飲む。

「いってらっしゃい」
「いって参ります!」

文人さんに送り出されて学校へ向かった。

昨日の寂しさはもうない。同じように一人になる日があってももう同じ寂しさは感じないだろう。
一人ではないのだということに安堵した。



H24.7.17