水の戯れ


蛇口にホースの口をつけ伸ばしていく。
今は夏で日本の夏は暑い。今日は特に暑く感じた。
照りつける太陽を手で翳し、学校へ続く道を確認した。

「そろそろかな」

道から見えないように建物に身を隠しながら待ち人が来るまで確認する。
学校は今日は半日で帰宅時間が早かった。朝から小夜も少し暑いと言っており、戯れにと水をかけてみたら涼しくなるのではないかと思った。

「悪戯感覚でもあるけどね」

自分の考えに苦笑していると人影が見えた。二つに結わえた髪が特徴的な少女が見えて身を隠す。
微かに鼻歌が聞こえ笑いそうになるのを堪えた。歌詞はなくただ音を口にしているだけのようでそれが距離をはかる目安になる。
そろそろかと蛇口を捻り水を出して小夜が来るであろう位置に向かってホースを向けた。

「文人さん?水撒きですか?」
「小夜ちゃん……おかえり」

タイミングは合っていたが小夜は避けていた。ホースから出る水は小夜ではなく地面を濡らしていく。
普段転けたりとそそっかしい部分があるがやはり元々身体能力が高いためかこういう場面では対応できるようだった。無意識に少し落胆しているのか口にした声のトーンが落ちている気がした。

「ただいま帰りました。日中だと朝より更に暑いですね」
「そうだね。体調に気を付けてね」
「はい!」

元気よく頷いてそのまま神社の石段に向かうかと思えば小夜の視線は僕の持つホースに向けられていた。
水は出したままだったため蛇口を閉めた。

「あっ……」

小夜が声を上げた。振り返ると何だか残念そうに僕を見上げている。

「どうしたの?」
「その、水撒きは終わってしまったのでしょうか?」
「小夜ちゃんも水撒きやりたかった?」
「やりたかったというか……」

言いにくそうに再びホースを見る。でもホースから水は出ていない。
小夜がホースに気をとられているようだったので何も言わずに蛇口を捻った。

「っ……!」

ホースから出た水は真正面にいた小夜の胸元にかかった。
小夜が驚いてすぐにホースの口を逸らす。

「冷たくて気持ちいいです!」
「気持ちいい?」
「はい!水を掛けていただいたら涼しくなりそうだったのでお願いしたかったのですが、制服を濡らしてしまったら明日困るかと思って。でもやはり涼しさには勝てません」
「……乾くよ」
「え?」

小夜の発言に驚きつつ笑んで呟くと再びホースを小夜に向けた。今度は胸元から下に向かって掛ける。

「天気がいいから乾くよ」
「そうですね!」

僕の言葉に嬉しそうに言うと数歩下がり背中を向けた。その背に向かって水を掛ける。
持っていた鞄はいつの間にか僕の足元に置かれていた。

「文人さんは暑くないですか?」
「僕は大丈夫だよ。小夜ちゃんが涼んでるのを見てるので十分」
「わっ!?」

振り返る小夜の顔に向かって水を掛けると小夜は驚いて瞬きをしたあと笑った。
しばらくそうして小夜に水を掛けると小夜は全身水浸しになり滴が髪や服から滴り落ちるほどになった。

「はい、タオル」
「ありがとうございます。文人さん?」

カフェに一旦戻りカウンターに用意しておいたタオルを手にし外へ出た。
小夜が差し出したタオルを受け取ろうとしてタオルを引っ込める。

「拭いてあげるよ。僕がそんな姿にしちゃったからね」
「ありがとうございます!」
「髪ほどいたほうがいいかも。髪もびっしょりだから」
「はい」

小夜が髪を結んでいる赤い紐をとくと緩やかに髪が広がった。
頭を覆うようにタオルをかぶせると顔が下向き見えにくくなる。

「気持ちよかったです」
「ならよかった。また涼みたかったら言って」
「はいっ」

髪を拭きながら視線を僅かに下に向けると制服が身体にはりついているのがわかる。
元々小夜の身体に合わせてあるためあまり変わらないようにも見えるがやはり身体のラインが更によくわかるようになっていた。
無邪気に水浴びをし髪を拭かれている姿と扇情的な身体のギャップに笑む。やはり綺麗だと感じた。

「あ、眼鏡も取ったほうがいいですよね」
「そうだね。取れる?」
「はい」

下向きながら手が眼鏡を取った。
タオルを取り乱れた髪を手で軽く整えると小夜が顔を上げた。

「身体も軽く拭くね」
「ありがとうございます」

首や腕、胸、足とタオルを宛てていく。小夜は何も言わずに拭かれるままだった。

「帰ったらちゃんと拭いてね。ここまで濡れるとお風呂に入っちゃったほうがいいかもしれないけど」
「はい」

小夜の目元に手を伸ばして指先で軽く触れる。大きな黒い瞳が僕を見つめ返していた。
今の小夜の証のような眼鏡。眼鏡を取っても本来の小夜との雰囲気は違う。でも小夜だった。

「文人さん、ありがとうございました!」

小夜は水滴のつく眼鏡を掛けた。小夜の鞄を差し出すとしっかり受け取る。

「僕も楽しかったよ。ありがとう」

一瞬首を傾げてすぐに笑顔を見せた。嬉しいのだとはっきりわかる。

「また明日ね、小夜ちゃん」
「はい、また明日!」

小夜は背を向けて左右を確認して石段に向かった。
上がっていく小夜を見つめ、見えなくなっても追うように見上げていた。
ほんの一時の戯れが楽しいと感じるのは小夜だからだ。

明日着ていく制服の用意をするためにカフェギモーブには戻らずに神社に背を向けて歩き出した。



H24.7.18