維持


「始めからこのためだったんですね」

塔の私室へ案内された鞆総逸樹役の青年がソファに座り書類に目を遠し終えたのか呟いた。

「君はいわゆる予備でできれば出したくなかったんだけどね」

彼には選択を与えた。記憶を消すか消さないか。どちらにしても今までの自分では生きていけない。選択を与えたのは彼と網埜優花役の女性だけだった。
そして二人とも記憶を残し塔に属することを選んだ。

「それは小夜が関係しているんですか」

書類から顔を上げ僕を見つめてくる。
僕は両肘を突き顎を組んだ手に乗せた。

「小夜は普段は浮島の時のように記憶を消して生活している。何がトリガーになるかわからないからね」
「僕を呼び戻さないと駄目な理由も小夜なんですね」
「書類にもある通り君には小夜のサポートをしてほしい。あと僕に定期連絡も」
「監視ですか」
「監視、とは少し違うかな」

端から見れば四六時中彼女を見張っているように見えるだろう。彼もそうなのか訝しげに見てくる。

「彼女も了承してるから」
「なぜ小夜を側に置くんですか?観察対象や……」
「軍事利用するつもりもないよ」

言い澱む彼の言葉に返す。ならなぜかと問いはできなくても表情が物語っていた。

「彼女は勝者、僕は敗者だからね」

そう言ってもわかるはずはなく彼の疑問は晴れないようだった。
真意はわからずとも彼女の望みを叶えるためだけに僕は生きている。


鞆総逸樹として生きることになった彼が転入前に学園へ行くと小夜と接触したようだった。
様子を見ていると蔵人の来訪が告げられ通した。

「鞆総逸樹をサーラットによこしたな」
「伝達がうまくいってなかったかな」

そろそろ言われるだろうとは思っていたけれど直接来るとは思っていなかった。

「そもそもサーラット自体潰してもいいだろう」
「現状維持のままだからね」
「あの女を傀儡にでもすればいいだろう」

蔵人がなぜ直接来たのかわかり背けていた顔を正した。

「彼女は古きものだけど此の世に身もある特別な存在だ。僕ら人が操れるものでもないよ」

何度話したかわからない話題。蔵人は世界を掌握したい。彼の世も含めてなのだろう。朱食免を宿している以上どうすることもできず現状維持を装う。

「試したのか」
「浮島の実験で証明されたよ。彼女は操っても抗う。不死の彼女に僕らは勝ち目はない」
「……彼の世に送れたらどうなる」
「蔵人は全てが欲しいんだよね」

暗にそれでは此の世だけしか手にできないことを告げると黙る。

「逸樹くんはサーラットが不用意に塔の詮索をしすぎないように予防線だよ。万が一もあるからね」
「そうか」

元々鞆総逸樹役の青年はサーラットにいた。名前は違い接触した人物は近隣のみであとはネットが主だ。だから名や場所を変えれば判る可能性はほぼないだろう。彼曰く塔に関わった女性以外のサーラットのメンバーとの面識はないとのことだった。


タイミングがいいのか悪いのか電話の呼び出し音が鳴り取る。わかったとだけ告げて受話器を置いた。

「小夜がここに来るみたいだ」
「この状況から脱する方法をお前も考えておけ」

そう言って蔵人は部屋から去った。
少しして小夜が訪れる。鞆総逸樹についてだろうとは思った。でも彼女は鞆総逸樹に限らずなぜ記憶を消すのかと問いかけた。それが小夜の望みを叶えるためには必要だからとしか答えはない。
人は殺してはいけない。小夜を人の中で生活させる。
その褒美を与えるためだけにしている。

「……しばらくこのままでいる」

記憶の処理を受けないと告げて小夜は去って行った。
息を吐き後ろにもたれ椅子を回転させ窓へ向ける。
ただ広いだけの景色に人がいることを表す明かり。何の意味も持たない。たとえ暗闇であろうと小夜がいればそれだけでいい。



H26.11.18