残映


もしかしたら本当に彼女なのではないかと思った。
だから目覚めた彼女に婚約者なんて言ってしまった。


「陽先生?」
「え?」

小夜ちゃんに顔を覗きこまれ我に返る。

「患者さんお帰りになりました」
「あ、そうなんだ。お見送りありがとう」

立ち上がりロッカーに自然と目がいった。武器が仕舞われたロッカー。彼女の刀も隠し鍵をかけてある。
時が来るまで隠しておくよう指示されていた。

「小夜ちゃん、珈琲飲む?」

仕度をしながら聞くと彼女の顔は少し曇った。

「珈琲嫌いだったかな?ごめんね、僕が好きだからつい」
「いいえ!嫌いではない、と思うのですが」

僕の言葉を遮り強く否定しながらも言い澱む。

「用意しても大丈夫かな?」
「はい!」

誰かと共に過ごすのは久し振りな気がした。僕はこの区域から出ることはできない。姉さんを探しながらも自分では探しに行けない。

「女の子だからやっぱり甘いほうがいいのかな」

ふと今更砂糖を入れてあげていないことに気づいた。けれど普段砂糖を入れないからどこにしまいこんだか記憶にない。

「いえ、珈琲はそのままのほうが好きです」

どきりとした。柔らかい笑みを浮かべているのにどこか寂しそうで手が伸びかける。

「なら良かった」

堪えて珈琲を注いだカップの取っ手を持ち差し出した。

「ありがとうございます」
「っ!?」

両手で受け取られ触れた指に驚いて手を放してしまった。

「だ、大丈夫!?」

落ちたカップはプラスチックだったから割れなかったものの中身が小夜ちゃんにかかってしまった。

「はい、大丈夫です。すみません、私がちゃんと受け取らなかったから」
「僕が悪いから謝らないで。服にかかっちゃったよね」

彼女が着用しているのは黒地なせいか珈琲の染みは目立たなかった。

「すぐ乾きますから」

屈んでカップを取ろうとする彼女の腕を取って止めた。不思議そうに見上げられる。

「着替え、はないし……」

あるのは白衣の替えだ。どうしたものか混乱し悩んだ末口走っていた。

「僕の白衣使ってっ!」


「……ごめん」
「何がですか?」

あのあと誰も今日は来ないといいなと思っている時に限って黒田さんと紅斑さんがやってきた。
案の定散々からかわれしまいにはいやらしいとまで言われた。素肌に白衣。確かにいやらしい。何てことをしてるんだと頭を抱える。

「陽先生とおそろいですね」
「そ、そうだね」

僕の白衣を着用した小夜ちゃんを直視できず視線を逸らすのになぜか小夜ちゃんは逸らした方へ移動してくる。平静を保とうと話す。

「お、大きくて動きにくいよね!」
「そうですね。このままだと……このままだと何でしょう?」

動きにくくて問題があるとしたら刀を扱う動作だろう。彼女に曖昧に返して珈琲の用意を無意識にしだしていた。

「陽先生は珈琲がお好きなんですか?」
「まあ好きかな。気づいたら飲んでたしこだわりがあるわけじゃないけれど」

今度は手渡しせずに机の上に置いたまま小夜ちゃんに差し出す。
小夜ちゃんはカップを持ち上げると香りを嗅いでいるようだった。

「珈琲の香り好き?」
「どうなんでしょう?」

首を傾げる彼女が可愛くて笑った。きっと好きなんだとはわかる。でもそれは彼女が忘れた記憶にあるものだから指摘しない。できるなら一緒にいたいから。


彼女に記憶の書き換えを行う指示がきた。内容は指定されていない。なら彼女に新しい未来を見つけてほしかった。僕と共にいてほしい。
叶うなら彼女の言う“お嫁さん”になってほしかった。


目が覚めると白い部屋だった。ベッドもなく病室の白さを思わせながら違うとわかる。

「目が覚めたみたいだね」
「……ななはらふみ、と」

靴音のする方に視線を向けると七原文人がいた。

「っ!?」

すぐに腹に衝撃が加わり体が反転し痛みが襲ってくる。

「七原文人、様だ!言葉に気を付けろ!」
「いいよ、蒼円。使い物にならなくなったら困るだろう?」

咳こみながらそんな会話が耳に入った。体を足蹴にされ七原文人の方へ向かされる。

「血縁って大事だと思うんだ。君のお姉さんは自我を保ち続けている稀な例だし君も自我を保っていられるんじゃないかな。でも今まで人の血の摂取を拒んできたからどうなるだろうね」
「あの子、は」

数人に体を起こされ膝をついた体勢になる。俯き白い床を見つめながら脳裏には小夜ちゃんが過った。

「小夜、ちゃんは」

名を口にした途端強い視線を感じた。ゆっくり顔を上げると七原文人が僕を見下ろしていた。何も変わっていないのにたった今見られたような気になる。七原文人の視界に自分が入ったとわかる。

「彼女は君を殺すよ」

背に刺された痛みを感じ体内に何かが侵入してくる。今までの飢えが満たされると共に意識は混濁していった。
僕は彼女に殺される。
そうなのだろうか。彼女は僕をきっと止めてくれる。結果がどうであれ止めてくれる。
朧気な意識の中彼女を思い浮かべながら目を閉じた。


「陽、珈琲入ったわよ」
「ありがとう、姉さん」

今日の診療が終わり一段落。姉さんが入れてくれた珈琲を飲むと一日の終わりだと認識できる。

「ブラックだと胃に悪いわよ」
「それは誤解で悪くはないんだよ。熱いものは珈琲に限らず気をつけたほうがいいけれど」
「何か腹立つ」
「いふぁいよ」

片頬を強く引っ張られ離された。頬を擦りながら珈琲を飲む。

「何か好きなんだよね。最近は特に」

姉さんが砂糖を入れるのをぼんやり眺める。

「そうなんだ。前から好きなんでしょ」
「こだわりはなかったけど今はブラックのほうがいいかな」

なぜか睨まれて姉さんは更に砂糖を投下していく。
話していてできていたと気がついた好きなもの。漂う珈琲の香りを堪能しながらまた一口珈琲を飲んだ。



H27.7.13