迷宮-楽園-
表:1
朝の日課の境内の清掃。竹箒で掃き綺麗になっていくのも気持ちいい。
「いいお天気です」
晴れ渡る空に流れる雲。穏やかな朝だった。
「小夜」
「父様!」
屋内から出てきた父様に駆け寄ると後ろから人影が現れた。
「おはよう、小夜ちゃん。ご機嫌だね」
「おはようございます、文人さん!」
「かわいい歌声だったよね?唯芳」
「うたごえ?っ!?」
現れた文人さんに言われ無意識にまた鼻唄を口ずさんてしまっていたのがわかり背を向けた。恥ずかしくて押さえる頬が熱くなっていく。父様の咳払いに恐る恐る振り返る。
「……いい声だった」
「ありがとうございます……!」
恥ずかしいけれど父様にそう言ってもらえると嬉しくて振り返る。
「そろそろ鴇真家への訪問の時間じゃない?」
「あ!そうですね!」
もうそんな時間かと慌てると文人さんに手を差し出され首を傾げた。すると手に持つ箒を指さされる。預かってくれるということなのだろう。箒を手渡し急いで鳥居へ向かう。
「いってらっしゃい」
「いってきます!」
送り出され階段を駆け下りていった。
裏:1
小夜が鳥居の先に消えていった。
「本当は止めたかった?」
小夜がしていたように軽く掃いてみる。唯芳は何も言わずに僕を見つめ少しして僕の手から箒を取った。
「……婚約者を"鴇真新一郎"にしたのは意図があるのか?」
「"ときざねしんいちろう"は小夜の相手役の設定だからね。なぜ僕が婚約者役をしないのかって聞きたいんだろう?」
唯芳は答えない。繰り返す箱庭を見てきての疑問。幾度も交わしたやりとり。
「小夜の僕への憎しみは最初はいいけれど覚醒が近くなると記憶の改竄の綻びを生みやすい。今回は肉親にしてみたけどどうだろうね、父様」
わざとらしく呼んでみると眉間に皺を寄せる。その表情が面白くて笑ってしまった。
もっと深く聞くならばなぜ記憶の改竄の強化をしないかだろう。それは聞かれた事はないし、聞いても答えは持ち合わせていない。
表:2
鴇真家へ訪問しそのあとご子息の新一郎さんと村の見回りをすることになった。村人の皆さんにご挨拶や様子を聞きながら歩いていく。
「小夜は怖くないのか?」
「怖い、ですか?」
林に差しかかかる手前に問われ新一郎さんの足が止まった。
「一晩で二人消えていく。誰が消えるかわからない」
新一郎さんの手が私の手を掴んだ。心配してくれているのだろうか。私が狙われるのではないかと。
「大丈夫です。次期に赤月の夜ですから」
「それはこの村の巫女が生け贄になる夜の事だよね?」
「一樹」
私達の話を聞いていたのか友総一樹さんが近づいてくる。横に佇む頃には新一郎さんの手は離れていた。
「君は生け贄になってもいいの?」
「それが私に課せられた使命です」
母様も使命を全うしたと聞いている。けれど私は母様のように子を産んでいない。それでも弟の文人さんがいるのだから血が絶える事はない。
「俺はそんなのは認めない。この村に必ず潜んでるんだ。こんな捜索したって意味はない」
「それは村人を疑うということ?」
「皆さんいいかたです。誰かがそんな……」
俯き今日も言葉を交わした人達を思い浮かべる。噂はしているのは知っているけれど皆さんを守りたかった。
「何考えてるかなんてわからないだろ」
その言葉に顔を上げると新一郎さんは背を向けていて表情はわからなかった。聞いたことのない声音に感じたのは気のせいに違いない。
「用心に越した事はないからね。小夜ちゃんも疑いたくはないだろうけど怪しい人物がいたら言ってね」
「はい……」
そうして日暮れとなり二人と分かれ家路についた。また夜がやってくる。何もなければいい。でも何もないわけがないのもわかっていて胸を押さえた。
「私は……」
守りたいと口にもできずに。
裏:2
この舞台では何夜目だろう。エキストラはまだ半数以上いる。小夜もまだ安定していた。でもそろそろご飯が必要だろう。
社殿には小夜のために用意した刀があった。この舞台ではまだ一度も手にしていない刀。その手に携える瞬間を待ち望んでいるのは刀か僕か。
「「七原さ〜ん」」
月明かりが差し込むだけの社殿には不釣り合いな陽気な声が響く。双子の姉妹がその声に合う軽やかな足取りでこちらへ近づいてきた。
「君達は小夜と仲良くしていたよね」
「そういう設定ですから」
「会話する限りは化け物に思えないですよね。ちょっと抜けてる子って感じ」
けらけらと笑い合う少女を見下ろす。僕の態度を訝しんだのか次第に笑顔が消えていった。
「何ですか?」
片方の少女。分け目で判断するに音々役だろうか。札を差し出すと雇われているためか訝しみながらも手に取った。
「や、なにっ!?」
「ちょっと!?」
一歩引くと目の前に九頭が降り立った。札は一瞬で消えると少女の体は変貌していく。
「どういうこと!?妹はどこにいったのよっ!」
「今回は変えてみたんだ。ある程度制御はできるようになったから自立もできるようにひとの意識を保たせ古きものがひとだと思い込むようにした。その子は確かに君の妹だった」
「なに、それ……」
「村人の中に古きものが潜んでいる。それは真実だ。見つけ出せれば君達の勝ち。だから一部が殺しをしているみたいだけど外れてるみたいだね。ひとばかりが減る」
今回の実験は古きものの記憶改竄とひとの意識の耐久性とひとの極限状態における行動の観察だった。予想通りとは言え思ったよりも行動が早くこちらも少し早めに計画を進めることにした。
「逃げた方がいいんじゃないかな」
半身がひとでなくなり瞳が赤くなり息を荒げる音々役を演じていた者。興奮した様子に乃々役を演じていた者も後ずさる。
「あ、あんた守りなさいよ!」
九頭に声を荒げるがそれが合図かのように飛びかかられた。九頭は微動だにせずに僕の前に佇む。
少女は叫び声を上げながら飛び出していった。
「唯芳」
出入り口で控えていた唯芳が姿を現すと刀を取り駆けて行った。小夜に渡すために。
表:3
朝の境内は曇り空で陽が差さず流れる風は生暖かなものだった。
昨晩のことが脳裏を過る度に掃くのを止めるためいっこうに進まない。
「これも更衣家の巫女の務め……」
昨晩父様に言われたことを自身に戒めるように口にする。音々さんが古きものへと変貌し乃々さんを食らっていた。もう刀で斬るしかなくこの手で友達を斬り守れなかったことを悔いる。そんな様子はなかったのに。音々さんのようにまだ村人の中に古きものがと無意識に考えていて振り払うように頭を振った。
「小夜さん」
「筒取さん?おはようございます」
珍しい来訪者に挨拶をすると筒取さんは何も言わずに近づいてくる。
「昨日は三人いなくなったそうね。そのうちの二人は貴方の仲良くしていた音々さん、乃々さんで辛いでしょう?」
「はい……」
「なら早く裏切り者を見つけたいと思わない?」
「裏切り者だなんてそんな」
「じゃあ化け物かしら?」
「化け物ではありません!」
大きな声を出してしまい驚かせてしまったことを謝罪する。筒取さんは対して気にした様子はなく話を続けた。
「顔色が良くなったわね」
細い指先で頬を撫でられる。言われてみて首を傾げた。
「そういえば最近なかなか眠気が取れなかったのですが今日は眠くありません」
「いつも夜更かしだったのではなくて?」
「いえ、むしろいつもより遅く……」
昨夜の事が過り口をつぐむ。筒取さんは追及することなく話を変えた。
「小夜さんはこの村の巫女よね?なら目星くらいはつくんじゃないかしら」
「目星ですか?」
「例えばいい匂いがするとか」
そう言いながら顔を近づけられた。自然の匂いではないものが香る。
「筒取さん」
鳥居の方から呼び掛けられ筒取さんが離れた。
「優香さんも心配してきたの?」
「私は小夜の様子を見に来たんです」
優香さんが近づくと筒取さんは一歩退いた。
「心配お掛けしてすみません」
「小夜はいいの」
そう言って笑い掛けてくれる優香さんに安堵する。筒取さんは背を向け鳥居の方に歩いていってしまった。
「もうすぐ赤月の夜。それまでにどれだけ残れるかしらね」
そう言い残して。
「小夜、気にしないで」
頭を撫でられ俯きながらはいと答えた。筒取さんの言う通りで、優香さんにも心配はかけたくなかった。巫女が生け贄になれば終わる。みんなを守れる。
赤月の夜を迎える前に村人は半数以下になった。皆疑心暗鬼になりこのままでは守れないと寝ずにいようとするも古きものを討伐したあとは力が足りないのか意識を失ってしまった。
「小夜ちゃん」
朧気な意識の中、声がする。目の前には文人さんがいた。
「おなか、いっぱいになったかな?」
「おなか……え?」
夜の境内に佇み問いかける文人さん。何の事かわからずにいるとすぐに地面の色に驚愕した。
「一樹さ……しん、いちろうさん……」
赤に染まる視界に転がる二人。体は欠損して頭が転がっていた。新一郎さんの顔は醜く歪み半分は異形に変わり果てていた。そして私の手には片腕があった。口から血が滴り落ち自分が口にしたのがわかる。
「わたしは……わたしは、きさらぎけのみこで……」
自分がひとではないことへの衝撃はなかった。早く気づけなかったことが悔恨の塊となり流れ落ちる。頬を伝い血が混じり地へと落ちていく。
「もっと食べていいんだよ、小夜」
あまりにも優しく穏やかに告げられ掻き消すように叫んでいた。
裏:3
赤月の夜に設定した満月の夜。境内にてまるで儀式かのように小夜の食事を眺めていた。小夜と逃げようとした友総一樹役の彼を婚約者である鴇真新一郎役の彼が古きものとなり襲った。小夜は止めを刺すのを躊躇っていた。いつも以上に。
咆哮が夜空に響き渡った。項垂れたあと手にしていた片腕を放るとゆっくりと顔を上げる。
「綺麗だよ、小夜」
瞳は真っ赤に染まり光を帯び射抜くようだ。巫女の白装束も真っ赤に染め上げとても似合っていた。
一歩進み血の海に投げられていた刀を手にする。
「実験は概ね成功だ。あとはもう少し小刻みに小夜にご飯をあげたいかな」
「文人っ」
踏みしめた足が血を跳ねさせる。まだ術が抜けきらず体は覚醒しきっていないのだろう。
「今はまだ人工的に憑かせるだけだから味は落ちるかもしれないね。ゆくゆくは此世でも生みたいけれど古きものの生殖機能はまだ先になりそうなんだ」
「必要ない」
一歩一歩踏みしめる度に赤が跳ねる。月明かりに照らされ赤い瞳が映える。
「次はもう少しエキストラを増やそうか。終わりが早いからね。短かったけれど楽しかったよ、"姉さん"」
この舞台では呼ばなかった呼称。小夜と唯芳の二人だけの家族という設定に今回は僕を組み込んだのは気まぐれなのかは僕自身も不明だ。
呼ぶと刀を握りしめる力がこもるのが見えた。体も覚醒しすぐに動けるようになる。
「ふみとぉぉおおおおおお!!」
僕に駆け出し真っ直ぐに向かう小夜を迎える。この瞬間は切り取りたいくらいだった。でも切り取れないからいいものなのだと教えてくれたのは小夜だ。小夜が全て与えてくれる。僕が僕なのだと輪郭を得る。そんな彼女にできるのは、彼女のためだけにできるのは。彩られた赤が君の世界なら永遠に存在させたい。君は僕の世界なのだから。
H30.6.1