「文人さん、何かお薦めの本はありませんか?」
「本?突然どうしたの?」

学校帰りにカフェギモーブに立ち寄った。
いつ訊こうかタイミングを見計らい、珈琲が淹れ終わりカップが置かれてから切り出した。

「今日の自習が図書室で行われたんですが皆さん色々ご存知で、ご自分が好きな本もすぐ言えていたので……」

その時の事を思い出す。
読み物というと神社に置かれている書物しか読んだことがなくて、どれを読んだらいいのか迷ってしまった。
皆さんに色々薦めてもらって好きな本があるのだとわかり、でも内容はどれもバラバラでどれを読めばいいのかわからなくなってしまった。
そして自分の好きなものがわからない事に少し寂しく感じた。

「みんなが薦めてもらった本は読まなかったの?」
「はい。迷っていたら時間が来てしまって……。こうなったら時間をかけてでも全部読みます!」
「まるで使命みたいだね」

文人さんが笑いながらカウンターに肘をつき、距離が近くなる。

「文人さんのお薦めの本もお聞きしたくて」
「そうなんだ。お薦めか……」

思案するように視線が横に逸らされる。
昔から一緒にいるけれどあまりそういった話はしたことがなくて聞きたかった。
薦めるということはそれを少なからず好んでいる。文人さんが好む話を読んでみたかった。
文人さんを急かさないようにカップを持ち上げ珈琲を飲む。いつ飲んでも文人さんの珈琲は美味しかった。

「あまり本を読んだ事がないならわかりやすい方がいいよね」
「委員長も同じ事を言って下さいました。やはりわかりやすい内容から読んだほうがいいのでしょうか?でもわかりやすいとはどんなものなんでしょう?」

委員長に同じ事を言われた時は同意してお礼を言った。でも改めて考えるとわかりやすいという基準がわからない。疑問をそのまま口にしてしまった事に気がついて顔を俯けた。

「たくさん訊いてしまってすみません」
「いいよ」

ぽんぽんと軽く頭に触れられる。その感触に安心した。

「確かにそうかもしれないね。そうなると……竹取物語とかは?」
「竹取物語ですか?」

私が聞き返すと文人さんは頷いた。
その瞬間頭に何かが浮かび、カップを置いた。

「……人ではない者が人に育てられて、最後は自分の居場所へ帰ってしまう」
「知ってたんだ?」

無意識に呟いていて文人さんの声で我に返った。
文人さんが意外そうに首を傾げている。

「なぜ知っているのでしょう?」
「日本最古の話って言われてるからもしかしたら神社にもあるのかもね」

文人さんに言われるとそうなのかもしれないと思えた。
再びカップを持ち珈琲を飲む。

「小夜ちゃんあまり好きじゃない?」
「え?」
「竹取物語」

カップを置いて、まだ半分残る中身を見つめながら考える。

「結局人と人ではないものだから一緒にはいられない。なら何も残すべきじゃない」

いつもよりも低く感じる声音に顔を上げる。視線が合うと文人さんは笑んで手を伸ばしてくる。

「文人さんはあまりお好きではないんですか?」
「好きとか嫌いとかじゃないかな。ただよくできた話だって感心したぐらい」

ゆっくりと伸びた手。指先が頬に触れた。

「私もよくわかりません。でも少し寂しい気がします……」
「寂しい?」

どうしてそんなことを思ったのかわからない。でもこの胸が微かに痛む感覚が例えられなかった。
人に育てられ、大事にされ、家族もいた。なのに迎えがくれば帰ってしまう。
相容れないものだと理解はできる。でも納得ができなかった。やはり人ではないものは共にいられない運命なのだと突きつけられているようで。

「……残していった物が彼女の思いや未練のようで寂しいですが私はよかったと思います」
「欲しいひとがいないのに生きてたって仕方ないとしても?」

頷くと文人さんの手のひらが頬を包んだ。
文人さんの表情から笑みは消え、何を考えているかはわからない。

「竹取物語に出てくるかぐや姫も美しいひとだったそうだよ。人を惹きつけてやまないほどに。どうして人でないものは表せないほどに醜いや美しいと書かれるんだろうね」

文人さんは話しながら頬を撫でる。

「書いたのが人だからかな」

そう呟くと手が離れ、体勢を戻す。目で追うと文人さんはいつものように笑った。

「ごめんね、お薦めできなくて。日本の話より外国の話のほうが知らないかな?」
「いいえ!私も知ってる話があるとわかってよかったです。外国のお話も知りたいです」

そのあとはお薦めといえるかはわからないけどと前置きをして文人さんが外国の本を教えてくれた。
文人さんが色々本を読んでいることが知れて嬉しかった。
今日皆さんに薦めていただいた本、文人さんに話していただいた本を読んでいこうと思った。あと読んだ記憶はないけれど知っていた竹取物語を。



H24.8.14