好きな人


「朝昼も作っていただいてるのにすみません」
「いいよ。夕食前だからあまり出さないほうがいいよね?」

学校から帰宅すると父様から文人さんに届け物と茶封筒を渡された。
以前放課後に寄った時は閉まっていたけど今日は朝のように扉が開いて安心した。
文人さんの問いかけに頷く。父様は夕食を食べてきたらどうかと言われたけれどやはり夕食は父様とも食べたかった。
だから私は少し迷いながら切り出した。

「文人さん、よければ今日夕食をうちに食べにきませんか?」
「小夜ちゃんの家に?」
「はい!父様には了承をいただいているので文人さんがよければ一緒に食べたくて」

文人さんはコーヒーの用意をしながら振り向いて少し驚いているようだった。
もしかして困らせてしまっただろうか。やはり突然すぎたに違いない。日を改めて前もって約束をしようと口を開く。

「小夜ちゃんは僕と一緒に食べたい?」
「え、あ、はい!」
「じゃあ甘えちゃおうかな」

文人さんはいつもの笑顔を浮かべて背を向けた。
今日は文人さんと夕食を一緒にできる事が嬉しかった。


「はい、コーヒーとギモーブ」
「ありがとうございます!」

カップと小皿が目の前に出される。
濃い色のコーヒーと綺麗なピンク色のギモーブ。
そっとギモーブを手にし感触を楽しむ。ふにふにとして柔らかい。
お昼のデザートもギモーブでその時の事がよぎった。

「小夜ちゃん?どうかした?」
「その……文人さんは好きな人がいるかと問われてすぐに思い浮かべる事ができますか?」
「それはどういう好きかによるかな。でも小夜ちゃんが悩むって事は唯芳さんを上げられないから悩んでるんだよね?」

文人さんにこうして相談する事が多かった。
文人さんは答えを見つけるわけではなく整理させてくれる。
顔は何となく上げられずにギモーブを小皿に置いた。指先にはまだ感触が残っている。

「はい。父様に対してのような好きではない好きがよくわからないんです」
「わからない、か。僕はどうなのかな?」

問いかけられて顔を上げる。柔らかい声とはうらはらに表情はいつものような柔らかさはなかった。例えられない。知らない文人さん。知らない?

「文人さんは父様とは違う好きです。学校の皆さんとも。好きってそんな何種類もあるのでしょうか?」
「どうだろうね」

はぐらかすように笑うと文人さんの手が頬に触れた。撫でられて心地いい。

「好きならいいんじゃないかな?僕も小夜ちゃんの事が好きだよ」
「えっ!?」

好きという言葉に驚いて声が上がる。気のせいか顔が熱くなってきたような気もする。
文人さんに熱さがわかってしまうんじゃないかと慌ててカップを取ると文人さんの手は離れた。

「じゃあそろそろ小夜ちゃんの家に行こうか」

くすくすと笑いながら文人さんはエプロンを取った。
気づけばカップも小皿も空になっていた。
慌てすぎて勢いで飲みほし食べきったようだった。

「せっかく出していただいたのにすみません」
「いいよ。可愛い小夜ちゃんも見れたしね」
「さ、先に外に出てますね!」

椅子から立ち上がり出入口に向かう。
ふと鳥籠が目に入った。ある事は知っているのに今更目に留まるのが不思議に思いながら扉の取っ手口に触れる。

「小夜ちゃん」

呼ばれて振り返る。いつも私を呼ぶ声に。


『ただ満たすのは君の存在だけだ』


「っ……!」

身体を起き上がらせるとなぜまだ暗い時間なのに起きてしまったのかわからなった。
思い出せない。

「そういえば夕食はどうしたんでしょうか?」

カフェギモーブでの出来事は思い出せる。でも出る前からの記憶がない。いつの間に床に入ったのだろう。お風呂は入ったのだろうか。

「父様と文人さんとせっかくの夕食だったのに」

きっと食べたのだろう。記憶がないのは自分のせいだ。
少し落ち込みながら再び寝に入る。
無性にあのコーヒーが飲みたくなった。あのカフェギモーブで文人さんと話しながら。



H24.5.29