忘却:2


「はい、小夜ちゃん」
「あ、ありがとうございます……」

小夜の前に珈琲を淹れたカップを置くと小夜は俯きながらお礼を言ってきた。
小夜の記憶を消して数日。あまり接触をしていないから僕に慣れていないのだろう。

「あの、あの女性は今どちらに?」
「あの子なら今出てるんだ。すぐに戻ってくるよ」

監視と観察のため小夜のそばに見た目が同じ歳ぐらいの少女をつかせた。
セブンスヘブンのある募集を見て応募してきた中の一人だった。

『この女性の世話係ですか?』
『うん。写真とは雰囲気が違うと思うけど同じ子。君にはその子の身の周りの世話をしてほしい』

長い黒髪の少女はどこか小夜に似ていた。記憶をなくした小夜に。
少女は渡した資料に目を通していく。

『注意事項は彼女に危害を加えないこと、記憶について触れないこと、屋敷から許可なく出ないこと、あと』
『指定された珈琲、ですか?』

少女は注意事項に目を通しながら疑問を口にする。

『そう、必ず飲ませて。必ず』

わざとらしく念を押して言うと訝しむように僕に視線を向けながらも頷いた。

「……美味しい」
「よかった」

珈琲を口にした小夜に返すと無意識に呟いたのか驚いて見上げてきた。
笑んで返すとすぐにまた俯いてしまう。

「体調が悪くなったらすぐ言ってね。そばにつかせている彼女にでも誰にでもいいから」
「はい、ありがとうございます」

顔を上げて遠慮がちに微笑む小夜。再びカップに口をつけたのを見てその場を去った。


小夜はふとしたきっかけで記憶を戻す。数回行ってみたもののあまり保たない。今回も数日で終わるだろう。
浮島の準備が完了するまでにあと何回試せるだろうか。
数回行って僕をきっかけに思い出す事もあった。それだけ彼女の中で強い感情があるのだろう。
やはり嬉しさはあれどこうなるとそれが一番厄介だった。

「文人様」

廊下を歩いていると声をかけられる。振り向くとそこには唯芳がいた。

「小夜が出歩く時は外に出ないでって言ったよね」
「申し訳ありません。殯の当主が至急連絡を取りたいと言われていて」

唯芳の用件にため息を吐いた。どのみち自室には戻るつもりだったけど蔵人から連絡となると気が重くなる。

「わかった。唯芳も着いてきて」
「はい」

だいたいの用件を予想しながら自室へ向かった。


電話を取り、繋ぐとやはり予想通りの用件に当たり障りなく返す。

「それは九頭でも大丈夫だよ。あとは戻ってからやるから」
「お前が戻るまであと何ヵ月かもわからないのにか」
「小夜をこちらの物にしない事にはどうにもならないからね」
「あんな女などいなくても」
「いなくても?」

声のトーンが下がったのが自分でもわかり、電話越しでも蔵人が言葉を詰まらせたのがわかる。
蔵人は小夜の血が必要だとわかっている。そのためには必要な分を得るまでは小夜の身体が必要だとも。小夜自身は必要としていないため苛立ちのあまり本音が漏れたのだろう。

「……わかった。それと最近そちらに行った女はどうだ」
「サーラットの子なら問題なく協力してくれてるよ」
「大方、潜入して調べようとしたんだろうが無駄なのにな」
「そうだね」

経歴や素性は全て調べた上で選出する。
今回はサーラットのメンバーということもあったけど、小夜に似ていたからというのも理由だった。

「浮島の準備ももうすぐで終わる。終わったらすぐに移れ」
「わかってるよ」

二、三言会話をし電話を終えた。

「そろそろ上書きする記憶を細かく考えないとね。唯芳」

後ろに控えている唯芳に椅子の向きをかえて投げ掛けると唯芳は微かに戸惑うような迷う表情を見せた。

「これはその準備でもあるんだから」
「はい」

唯芳は従うように目を閉じた。


『貴女の名前を教えていただけませんか?』

モニターの中の小夜が問いかける。
なぜ名前など聞くのか。人の名など知ってどうなるのだろう。小夜にとって人などどうでもいいものだろうに。

「これも記憶がないからなのかな」

『楽しみです。一緒に食べてくださいますか?』

会話は進み、小夜は手を握られる。小夜の表情がよく見えて、その表情は笑って見えた。


昨日のあの会話のあと、小夜のそばにつかせた女性は契約違反をした。
常に監視していることを彼女もわかっているはずだ。

「どうしてかな?」
「小夜さんに喜んでもらいたくて……」

自室に呼び、聞いてみるがそれは嘘だとわかる。
わざと珈琲には何かあることを仄めかしていた。だからいつか彼女は飲ませずにいたらどうなるか実行するだろうと予想していた。

「あの……小夜さんをどうされるつもりなんですか?」

俯き怯えながらも視線をこちらに向けてくる。

「聞いてどうするの?」
「……小夜さんは外に出たがっているみたいなんです。だからもう少し自由にして差し上げても」
「これは実験だと言ったはずだよ」
「でも小夜さんは……」

何かを訴えかけようと顔を上げるが再び怯え俯いた。

「いいよ。もう戻って」

それだけ告げると足早に部屋を去っていった。
どうやら彼女は今の小夜を安定させるために珈琲が必要だと勘づいたようだった。飲ませなければ記憶が戻るかもしれないと思ったのだろう。

「ここから小夜を出すためにやったのかな」

嘲笑うように呟き部屋を出た。
すると曲がり角から小夜が現れた。

「小夜ちゃん、どうしたの?」

このあたりまで来るのは珍しい。迷い込んでしまうまえに彼女を向かわせていたけど今は彼女はここにいたから無理だった。

「……散歩していたら迷ってしまって」

違和感を感じた。些細なもの。逸らされた視線が僕に慣れていないから逸らしたわけではないとわかる。
ふと小夜が来た方向を見るとあの実験室があることに思い至った。

「そうなんだ。どこも似てるからね」
「あの、あの女性は今どちらに?」

少し急くように早口になっている。記憶を消してからの小夜には珍しかった。
いや、記憶は戻ったのだろう。必死に隠そうと焦っている。

「下の階じゃないかな。そろそろおやつの時間だからね」
「そうですか」

小夜の演技に合わせる。通常の小夜なら気づいたかもしれないけど今小夜はあの彼女を探していて気が他に回っていない。
小夜が足早に僕の横を駆け抜け階段を降りるのを見届け、自室に一旦戻った。


「小夜、駄目だよ」

今回の終了を私設兵に連絡し、彼女を始末するよう命令した。
小夜には傷をつけないようにとも。

「……文人」

連れている私設兵に麻酔銃を撃たせた。小夜を撃つつもりはなかったけど小夜が彼女の腕を握っていたから所持していた銃で撃つと小夜は腕を離した。

「呪符か」

銃をしまい呪符を手にして捕縛の呪をかける。

「今の血を抜かれた君なら僕でも捕らえられるからね。残念だったね、小夜。彼女を置いていけば逃げられたかもしれないのに」

小夜の横までくると膝をついて屈む。
小夜が苦悶の表情を見上げながら僕を見つめる。そんな小夜の頭を撫でながら前に倒れる彼女に視線を向けた。

「なぜ撃った」

小夜の瞳に赤い光がちらつく。

「……小夜、さん。ごめんなさ……」

消え入りそうな声で彼女が小夜に伝えようとすると微かに動いたのが私設兵に見えたのか銃声に掻き消された。そして彼女は完全に事切れる。

「彼女は契約違反をした」
「なぜ……殺した」
「紅茶だよ、小夜」

名も知らぬ彼女を見つめながら小夜は呆然とする。
なぜ人なのに小夜はこんな反応をするのか。ただ名も知らない人が死んだだけだ。
彼女はなぜ小夜を逃がそうとしたのか。自分とは違うものなのに。
雰囲気がにているあまりに互いに近いものを感じたのだろうか。人と人ではないものが近いはずがないのに。
小夜は次第に怒りを露にして噛み締める。同時に瞳が赤く染まった。

「綺麗だね、小夜」
「……文人っ」

小夜は僕を睨む。でも怒りは力にならずに口にした僕の名前も弱々しく、すぐに身体の力も抜けた。
前に倒れこみそうになる小夜を支えて腕の中に受け止める。
目を閉じ意識をなくした小夜を抱き上げた。

「片付けて次の準備をしておいて」

私設兵に告げてその場を離れ、実験室へ向かった。



H24.8.3