記憶:1


『なら、試してみよう。二人で』

“ひと”の本質は変わるのか、変わらないのか。
文人の言葉に私はただ変わらないと口にした。
私は変わらない。変われない。記憶を消そうと私に戻る。その度なぜ私は人と関わるのかと考える。その答えは見つからない。


「準備ができたよ、小夜」
「何のだ」
「小夜と僕の勝負のだよ」

幾日経ったか。文人が私設兵を連れて実験室に来るなり告げた。

「君には人として暮らしてもらう。そのために移動しないといけないんだ。記憶を書き換えてからでもいいんだけど書き換える前に暮らす場所を見てもらいたいから」

だからおとなしく従えということか。
私は何も答えないで目を閉じた。渋々従うという意思表示だった。
文人が私設兵に指示を出し、背中から血を抜く管と足枷を外させる。
手枷は外されず、持ち上げられ目を開けると文人が手を取っていた。

「一人で立ち上がれる」
「うん、でも私設兵が警戒するから形式だけでもこうさせて」

周りに目を向けると数人の私設兵が銃を手に身構えていた。
私が人を殺さない事を知らされていないのだろう。奇妙な面をしていても人だというのはわかる。

「行こうか、小夜」

視線を手に向け、文人に促され立ち上がった。管を抜いた背が微かに痛む。

「手当てと着替えは移動の車の中でやるから」

そんなものはいらないと返す事もせず文人が足を進め、連れられ実験室を出た。


車が止まり、先に降りた文人がこちらに手を差し出す。その手に手枷がつけられた両手を載せ車を降りた。

「湖の向こうにあるのがこれから君が暮らす場所だ。餌場でもある」

俯けた顔を上げると湖の向こうに小さな町が見えた。
文人の言う餌という言い方は不快だった。事実ではあるが私は好きで同属を食べたいわけではない。だが憤る事も私にはできなかった。事実だと理解し同属を食べる際に少しだけ胸が痛む事が過り何も返さなかった。
このまま文人のいいなりになるつもりもなく脱出する機会を窺っていた。外に出れば中よりも隙があるだろうと思ったが準備をしていたというだけあって隙は見つからない。
やはり強行突破をするしかないのか。私を捕らえた時にいたあの半面は近くにいる気配はあらず逃げられるかもしれない。

「っ……!」

横に佇む文人に蹴りを入れるが文人は瞬時に身体を退かせ避けた。だが私から離れさせるのが狙いだったためそれでよかった。
周りにいる私設兵に蹴り道を開こうとする。

「小夜」

背後から声が聞こえそのまま前進しようとするが首の後ろを強い衝撃が走りよろける。だが倒れはせずにそのまま前にいる私設兵に両手を振り下ろす。
更に連なる兵に蹴りを入れようとすると横腹を固い物で殴られ体勢が崩れ膝をついた。周りにいた兵に銃で殴られたようだった。
銃を構える気配がして見上げると銃声が響き前にいた私設兵が崩れ落ちた。

「小夜を傷つけないで」

その声に私に銃を向けていた兵数人が銃を下ろす。

「どうして逃げようとするのかな?」
「……私は勝負にのったつもりはない」

振り向くと文人はいつもと変わらない笑みを浮かべていた。

「なぜ撃った。この者はお前の味方だろう」
「小夜を傷つけないでって命令してたのに傷つけようとしたからだよ」

血が抜かれたのと先程腹部を殴られた衝撃でふらつく身体を起こしながら文人に身体を向ける。文人は持っている銃を下ろした。

「これは実験でもあり勝負だ。君が変わるか変わらないか」
「変わればお前の傀儡か」
「どうだろうね。君が変わったらどうなるんだろう。少なくとも人として生きる事にはなる。君の認識の中での話になるけどね」

人として生きる。そんなことは可能なのか。私が望もうと結局は私が人ではない、人と長く関われない事をつきつけられるだけの生活を私にさせようというのか。
私は変わらない。

「どうしたら小夜はこの勝負を受けてくれる?」

よっぽど文人はこの実験とやらを行いたいのか文人にしては珍しい問いかけだった。相手を考え、取引をしようとしている。力で捩じ伏せられる状況であるにも関わらず。

「お前の考えた勝負を受けろというなら、私の勝負を受けろ」

言いながら一歩近づく。文人は苦笑しながら手にした銃を投げ捨てた。

「わかったよ、小夜」

その言葉が合図のように文人に向かって駆け出す。
文人が呪符を手にしたのが見えたが両手を顔に向かって横殴るように振るが空振りとなる。
すぐに退き、距離を取ると呪符が投げられた。

「っ……!」

予想よりも発動が早く閃光で目が眩むが爆発はしない。
近寄る気配がして避けようとするが遅く、腹部に痛みが走り身体は後方に跳んだ。

「はっ……」

かろうじて着地をし、腹部の衝撃に息が漏れてよろけるが倒れはしない。湖の浅瀬に追い込まれて足に水が染み込むのがわかる。

「意識を失わせれば勝ちでいいのかな」
「勝負中に確認するな」
「手は出さないでね」

文人は念を押すように私設兵に告げる。
血を抜かれていなければ勝てる相手のはずだ。しかし大量の血を抜かれていては本来の力が出せない。
文人は呪符を用いて戦う。だが身体能力は人並みのはずだ。ならば今の状態でも勝てる見込みはある。相手が文人だけならば。
再び文人に向かって駆け出し目の前で屈みこむ。
足元を払おうすると文人は難なく避ける。予想通りの動きに両手を地につけ、足を文人の手に向かって蹴りあげた。
呪符が蹴りで舞い上がり飛んでいく。
微かに文人が焦ったのがわかりその瞬間文人の足が私の身体を蹴りとばし距離を取ろうとするのがわかる。
呪符を呼び戻す時間を与えてはいけない。同じ手も使えないだろう。文人の蹴りをかわし両手を文人の肩に載せ飛び越し、文人の後方に回る。

「くっ……」

文人が体勢を立て直す前に振り返り再び両手で殴ろうとするが何かが顔を覆い視界を奪う。
だが前にはいるはずの文人に蹴りを入れると手応えを感じた。
水音がして前方に跳ばせたのだとわかる。
視界を覆うものを取り去るとそれが文人の着ていた上着だとわかる。
前方では膝をつき呪符を呼び戻そうと手を伸ばす文人が見えた。

「これで終わりだ」

私が向かってきたのを見て動こうとする文人を逃がすまいと跳躍し両手を振り上げる。
文人は呪符を手にしたが間に合わない。そう確信した瞬間二つの呪符が私と文人の間に投げ込まれた。

「っ!?」

強い閃光と爆発。
私の身体は横に吹っ飛び浅瀬に叩きつけられた。
直撃してしまいかろうじて保っている意識ももうなくなるのを悟る。

「文人っ……」

声にはならず口は動かなかったかもしれない。
文人は裏切った。二人の勝負だと思わせ私を油断させた。信じていたわけではない。なのに裏切られたと感じてしまう。

次に目覚める時は湖の向こうにある町の中なのだろう。
私は諦めにも似たものを抱きながら意識を手放した。



H24.8.7