記憶:3


意識が戻る。
どのぐらい眠っていたのかはわからない。目を開けずとも私はあの湖の向こうの町にいるのだと確信していた。
文人は手段を選ばない。わかりきっていたはずなのに、人には何度も裏切られたはずなのに、裏切りに慣れることはない。

「……文人」

目を薄く開け、呟く。
幾度記憶を消されようとも私は思い出す。私を、文人を、人と古きものを。


身体は横たえられ身動きができないように何かに縛られていた。

「ここは……どこだ」

天井近くにある複数の小さな窓から月明かりが射し込んでいるが暗い。
場所を把握しても仕方がないことだと思い、窓から月を見上げた。

「っ……!?」

斜め後方に知る気配を感じて身体を何とか起こした。
音で私を縛りつけているものが鎖だとわかる。更に背から後方へと繋がれていた。

「ここは神社の本殿だよ」

後方にあった祭壇の前には文人が座っていた。両足首も縛られているためこの場から動けない。

「綺麗だね、小夜」

立ち上がり、すぐに私の前に屈みこむと手が頬へ伸びてきた。

「触れるな」
「まだ傷が治りきってないみたいだね。痛む?」

確かに顔は痛んだ。だが大した痛みではない。
文人は苦笑しながら手を下ろし、代わりに顔を近寄らせた。

「準備はもうすぐ終わる」
「何をする気だ」
「言っただろう?小夜の記憶を書き換えるんだ。ある程度の設定を君の中に入れ込み、君は人として過ごす」
「……消すことはできてもそんなことできるわけがない」

いくら七原の者でもそんなことができるわけがない。
そう思うのに人として過ごすという言葉に揺れ、文人を振り払えなくなってきている。
そんなわけはないのに見透かされているように感じていると文人は頬に触れてきた。

「できるよ。あの半面なら小夜の記憶を書き換える」

半面の話は聞いたことがあった。だが会ったのは初めてだった。だから実際どのような力を持っているのかわからない。
文人の甘言かもしれない。利用するための嘘なのかもしれない。

「……私の記憶を書き換えたところで人として過ごせはしない」
「それを実験するんだ。君は変わらないと言った。僕は変わるかもしれない、変えられるかもしれないと思った」
「どうするつもりだ」

文人の言葉に耳を傾けた。文人は笑みを浮かべながら頬を撫でてくる。

「舞台と役者を用意する。一種の劇だと思ってくれていい。主役は君のね」
「どうして……」
「力はあるからね。持ってるものは何でも使わないと」

文人は囁くように私に告げる。だがそれは私の問いかけの答えではなかった。
どうしてこんなことをするのか。私を変えられたとしてどうしたいのかがわからなかった。
私の力を利用するならばこんな回りくどい事をする必要はない。

「勝者には褒美を、敗者には罰を。これは実験でもあり小夜と僕の勝負でもある」

実験室でも言っていたことだった。
お互いの主張が異なるならば結果で勝敗をつける。文人は自分が勝者となるのがわかっているから持ちかけているのだろうか。

「安心して。実験だから僕にも結果がわからない。だからどちらにも勝者となる可能性がある」
「私の勝負を放棄したのに自分の勝負にはのれというのか」

最後の抗いだった。
文人は少し困ったような表情を見せながらも離れずに親指で目尻から下になぞっていった。

「初めから小夜に拒否はできない。拒んでも書き換えるからね」
「文人っ……」

怒りで歯を食い縛る。身動きができないとわかっても鎖から逃れようと外そうと試みる。

「小夜」

宥めるかのように両手が二の腕に触れた。

「触れるな」

底が知れない男。だが私は文人を敵だと認識し続ける。
文人はどこか嬉しそうに私を見つめた。

やがて私の記憶は書き換えられる。
私はしばしの夢を過ごすことになり、その記憶も全て私の中に残る。



H24.8.15