結われた髪


朝、いつものように学校へ行くために階段を降りていく。
降りたらすぐにカフェギモーブがある。いつも通りにドアを開ける。

「おはよう、小夜ちゃん」
「おはようございます、文人さん」

足を踏み入れてカウンターの奥の椅子に鞄を置き、その隣に座った。

「今日はちょっと早いね」

文人さんは背を向け私の朝食を作りながら話しかけてくれる。
学校がはじまるまでにはまだまだ時間があった。

「早く起きてしまって……あ!こんな早く来たらご迷惑ですよね」
「そんなことないよ。その分小夜ちゃんと過ごせるし、ね」

目の前に珈琲の入れられたカップを置いて文人さんはそう言ってくれた。
優しい文人さん。文人さんも文人さんが淹れてくれる珈琲も優しくて安心する。

「それなら良かったです。ですがカフェは何時からやってらっしゃるのですか?朝来て閉まってる時がないので」
「小夜ちゃんが来る時だよ」
「え?」

聞き返しても文人さんは再び朝食の準備のために背を向け、出来上がるまで何も言わなかった。
その間珈琲を飲んで待っていた。


「今日の朝食もとても美味しかったです」
「小夜ちゃんに喜んでもらえて嬉しいよ」

食後の珈琲を飲みながら食器を洗う文人さんに言う。
時計を見てみるとまだ時間はあった。
今出て町を少し見てみるのもいいかもしれないという考えが浮かぶもまだここにいたい気持ちもあり珈琲をゆっくり飲むことにした。

「あれ、小夜ちゃん今日急いできた?」
「いえ、特にそのようなことはないですが」
「片方、乱れてる」

文人さんが右手で自分の耳元を指す。何の事かわからず首を傾げると文人さんの手が私の髪に触れた。

「う〜ん、手で少し押さえたぐらいじゃだめか。結び直したほうがいいかもしれないね」

手が離れてその言葉に髪だと気付き右側の髪を慌てて手で押さえた。

「おかしいでしょうか?」
「そこまでおかしくはないけど時間もあるし直したらいいんじゃないかな」
「そうですね!では一度帰宅を」
「待って」

椅子から立ち上がりかけたところを文人さんに制止された。

「よかったら僕に直させて」


「何だかすみません……何から何までやっていただいて」
「気にしないで。僕がやりたくてやってるんだから」

文人さんの言葉に甘え髪を結び直してもらうことにした。
一階は食事をするところだからと二階に案内された。
文人さんとは長い知り合いで毎日のようにカフェを訪れているのに二階に来るのは初めてだった。
私は椅子に座り文人さんが髪をとかしてくれていて、ちらりと周りを見ると寝室なのかベッドがあった。

「小夜ちゃんの髪は綺麗だね」
「そうでしょうか?自分だとわからないのですが」
「綺麗だよ」

その一言に胸が高鳴った。どうしてかはわからない。褒められて照れたのだろうか。

「ここで文人さんは寝ていらっしゃるんですか?」
「え?……あぁ、そうだね」

文人さんにしては珍しい答え方に感じた。はっきりと答える事が多い印象で聞いてはいけなかった事かと思い俯く。

「小夜ちゃんの髪は長いよね」
「長くないと落ち着かなくて」
「そうなんだ」

とかす感触が消え、後ろをちらりと見ると文人さんが髪の毛先を取り弄っていた。

「おかしいでしょうか」
「そんなことない。僕も長いほうがいいと思うよ」

文人さんから視線を外すと何となく俯いてしまう。
すぐに顔に温かい感触がして上向かせられた。
輪郭を確かめるように顎から耳元をなぞられる。

「顔真っ直ぐしてて。曲がるといけないから」
「……はい」

耳元で囁かれる声と触れる手に熱を感じた。


「ありがとうございます」
「こちらこそありがとう」
「なぜお礼なのでしょう?」

髪が結び終わり、学校へ行く時間も近づいてカフェの入り口まで戻ってきた。
文人さんからお礼を言われる事をしたか心当たりがなく、問いかける。
すると文人さんの手が私の結われた片方の髪を取り、毛先を顔に寄せた。

「小夜ちゃんの髪を結ばせてくれたからね」

掴んだ毛先は離される落ちた。

「さ、時間だよ。行ってらっしゃい、小夜ちゃん」

何か言おうとしかけて文人さんに促され何も言えないままドアが開かれた。
そのまま踏み出して外へ完全に出る前に文人さんを見つめると文人さんは笑った。

「いってきます、文人さん」

言いかけた事が自分でもわからないまま、そう告げると私は文人さんに送り出される。

あの声と触れられた熱を思い出しながら学校へ向かった。



H24.6.14