こふれども


「小夜」

自身の名を呼ばれ突然視界が開け明るくなった気がした。眠っていたわけではないのに。
見知らぬ室内、と感じるもすぐに私の居場所だと認識でき、よく知る室内になった。
私は数人が座る椅子に腰かけていて、服装も見慣れぬものだった。
不必要に広がる裾と装飾、腕を軽く上げれば袖には着物ではないのに袂のようなものがあり動き辛い服装だった。
見慣れないはずなのにそれを私は知っていると認識し違和感がなくなり慣れたものになっていく。

「小夜、どうしたの」

先程私を呼んでいた声の主が近づき、ゆっくりと顔を向ける。
文人。
私を覗きこんできたのは文人だった。

『敗者の君には罰を、勝者の僕には褒美を』

文人の言葉が過り、同時に浮島での情景が浮かぶ。
敗者は私。勝者は文人。
そして私は自由を奪われ文人のそばにいる。

「眠いのかな?それともお腹が空いた?」

手が頬に伸び触れられる。

『小夜、君は今いくつ?あと何年、いや、何百年生きる?でもね、ひとがこのまま増え続けたらその間に古きものが滅びるかもしれない』

触れた手が頬を撫でた。

『そのとき君はどうやって生きていく?』

過る言葉はどこのものだったか覚えていない。でも確かに目の前にいる男が私に語った言葉だった。

「小夜?」

文人と同じように頬に手を伸ばす。指先だけで触れると文人の手が離れ、抱き上げられた。
歩き出し揺れる視界の中、ぼんやりしてくる。
浮島で私はひとを見殺しにした。舞台の幕引きとして古きものに食われていくひと達を文人の足元に座り込み見ていた。
メインキャストと呼ばれた者達の内数人が己がために私の記憶を戻そうとしていた。更に謀りメインキャスト同士にも関わらず殺し、私を罠に嵌め父様は私を庇って死んだ。

『僕のそばにいれば全てなかった事にできる。この島の事も、今までの事も。君はただ僕のそばにいるだけでいいんだよ、小夜』

甘言だった。
過去にもひととの接触を断つために修道院の奥で眠っていたこともあった。
信じている。だから守りたい。
なのに文人の甘言を受け入れ、手を取った。
そして勝者と敗者が決まった。

降ろされ身体が寝台に沈む。
文人も腰掛け私の顔にかかる髪を払った。そのまま髪の結び目に手が伸びほどく音がした。
離れた指先には白い紐が絡みついていて、その紐が私の髪を結っていたものだとわかる。

「お腹が空いたのかと思ったんだけど違うのかな?」

文人は問いながら私の腰元にある紐をほどき衣服を緩めた。
私は口を開かず文人を見つめる。話せないわけではないのに声を出そうと肉体がしない。
文人は慣れた手つきで衣服の留め具を外していった。
飢えは感じない。欲していない。なぜなのかはわからなかった。

「小夜」

『やっと君を抱きしめられる』

重なる。私は夢でもみているのかとぼんやりする思考の中、再び文人に手を伸ばした。
上半身を起こし、そんな私を見つめる文人の首に片腕を回した。肩に顔を埋める。

「小夜?」

呼び掛けられても返答はしない。
すると指先が前がはだけた衣服に触れ肩からゆっくり下ろされる。
空気に触れる肌を指先になぞられた。
這う指先に酔うような感覚。至るところを触れられても文人からは離れない。
気づけば膝をつき文人の頭を抱えていた。文人の頭は私よりも低くあり、まるで文人を抱きしめているような体勢だった。

「綺麗だね、小夜」

視線を下げると文人が呟く。幾度となく言われた言葉。
寄せられる顔に引き寄せられように目を閉じた。

『避けなきゃ駄目だよ、小夜。これじゃ褒美だ』

「っ……」

声が聞こえた気がした目を開くと暗がりの中にいた。
すぐに仮眠を取るため林に入ったのを思い出す。

「夜明け前か……」

呟き立ち上がる。
夜が明けてから出発する予定だったが再び寝入る事もできないだろう。
夢を見ていたという感覚はあるのに思い出せない。
ふと浮島で文人が夢の話をしていた事が過った。迷信だ。夢での逢瀬など幻でしかない。
だが私にも会いたいひとが、私に会いたいと思うひとがいたのだろうか。

「……答えなどない」

見つからない。
進行方向に身体を向けるも顔は俯いたまま。

「褒美と、罰……」

なぜ今この言葉が出てくるのかもわからなかった。
その言葉を口にした男はもう此の世にはいない。
顔を上げ進行方向を見据え足を踏み出した。



H25.2.25