捕喰


「先程から左手はどうした」
「どうしたって?」

朝食後。食器を下げ、珈琲を淹れたカップをトレーに乗せて戻ると小夜が言った。
左手はトレーを持っていて小夜からはあまり見えないはずだ。

「不自然だ」
「自然だよ」

言いながらカップを小夜の前に置くと小夜が立ち上がりトレーを奪った。
その瞬間左手を後ろに隠す。

「ではなぜ隠す」
「小夜が見るからかな」

会話をしていては埒があかないと思ったのか小夜の手が左手を掴もうと伸びる。それを避けた。

「強引だね、小夜」

避けたと思ったら小夜はもう一方の手でかわせないように肩を掴み、そして左手を取られた。

「怪我か」
「包丁でちょっとね。すぐ治るからいいかと思って」

人差し指の切り口から血が滲んでいた。
傷はすぐ治る。でも一瞬ではない。
このぐらいなら数時間だと言っても小夜には見られたくなくて極力左手を使わないように、もしくは傷が見えないようにしていた。

「怪我は怪我だ」
「どこに行くの?」
「救急箱を取りに行く」

僕から手を離し背を向けかける小夜に聞く。
小夜は答えて行こうとしたけど腕を掴み引き留めた。

「大丈夫だよ」
「大丈夫でも治療はしておいたほうがいい。お前も私が怪我をしたら治療をするだろう」
「小夜も心配してくれるんだ」

小夜は顔を逸らす。掴んでいる手が振り払おうと動いても離さなかった。

「文人、手を……何だ」

左手を小夜の顔の前に持っていく。小夜は意図がわからないといった表情で見上げてきた。
示すように傷を口元に寄せる。

「何のつもりだ」
「小夜の心配をしてるんだよ」

小夜と同じものになった。それは同時に人ではなくなり、小夜と同じ時を生き、糧になれることでもあった。
でも小夜は一度も求めてはこなかった。飢えた様子もない。
聞く事は簡単なはずなのに今まで聞けずにいた。

「私に喰われたいのか」
「そうだよ」

小夜はしばらく睨むように見つめ、目の前にあるまだ血の滲む指に視線を移す。

「お前も喰いたいか?」

視線はこちらに向けられ問いかけられる。返答はできなかった。
何と言えばいいのかわからない。欲求がないかといえば嘘になるが何でもいいわけではない。小夜の血が欲しかった。

「私が言いたい事は今の文人にはわかるだろう。同じものになってしまったお前なら」

小夜は正面を向き一歩近づきほとんど距離はなくなった。
両手が胸に触れてくる。

「まるで同じものになった事が悪いみたいな言い方をするんだね」
「本来生まれた形を捨てる事は理に反する」
「なら僕も斬る?」

小夜は一瞬悲しそうに顔を歪めた。一瞬だけですぐに戻り強い眼差しで見上げてくる。

「偶然でできた傷から食べてはやらない」
「小夜?」

小夜の腕が首に回され微かな重みに身体が屈む。
小夜の顔に引き寄せられるように近づくと唇が触れた。

「っ……」

唇に痛みを感じると生暖かい感触が唇を這った。痛みと共に感じる奇妙な感覚。
小夜が切った唇から血を舐めているのだとわかった。


やがて舌ではなく食むように唇を合わせられ答えるように口づけをした。
目は閉じずに小夜を見つめると赤い瞳が映る。その行為に興奮した。
少し息が荒くなり互いの吐息で熱くなると小夜から唇を離した。

「小夜……」

赤い瞳で見上げ、自身の唇の端についた血を舌で舐めとる。その様が綺麗で見蕩れた。

「喰いたいか」
「……うん。君が欲しいよ、小夜」

されるがままで下ろしていた両腕を小夜の腰に回し引き寄せる。
そして小夜の唇を噛んだ。



H24.7.8