日常会話


たまに浮島での事を夢に見る。尊い日々。私が人として暮らせた短い日々。
私が人ではないのだと思い知らされるが悪夢ではない。優しい夢だった。
夢に見るのは浮島以外もあれど全て後悔はない。人と関わった日々に未練はあれど関わらなければよかったとは思わない。
こんなことを改めて思うのはたまたま読んでいる本の中で夢について語っている場面があったからかもしれない。

「……小夜ちゃん」

食堂の長机の端と端に私と文人は座っていた。
文人が肘をついてうたた寝をしているのには気づいていた。短時間ならばそのまま寝かせておこうと思い放っておいたが文人が私の名前を口にし、本から顔を上げた。

「文人」

そして私は目覚めさせるために文人を呼んだ。


「小夜も僕の夢を見るんだね」

文人の真横に佇み先程自分が座っていた席を眺めていると文人が言った。
からかうような表情に文人のペースに乗せられないよう返す。

「お前も私の夢を見ていただろう。浮島では記憶を消す前の私の、今は記憶を消した後の私の夢を」
「小夜の言葉を借りるなら楽しかったからかな」

言いながら文人は立ち上がった。
長机を見るとあの実験室を思い出す。あの時の私は端から文人を立ち上がるのを見ていたが今は真横にいる。それが奇妙に感じながら嫌ではなかった。

「でも不思議だよね。記憶を消すと敬語になって雰囲気も変わる」

文人の指先が頬に触れて撫でる。
視線を逸らしながら遠い記憶を思い出すように呟いた。

「元からこうだったわけじゃない」
「そうなんだ?じゃあ元は記憶を消した状態の小夜に近かったってことかな」

いつから今の口調になったのか、元がどんな自分だったのかは記憶が薄い。それぐらい昔の事だ。
ただ今と違った事だけは覚えている。
頬から指が離れたかと思うと顎にかかり顔が近づく。

「人と関わって変わったのかな?」

文人の瞳が細まる。わかっていながら問いかけてきている。

「そうだ。変わらざるを得なかった。だがそれがいつのことなのかは覚えていない」

あえて答えた。
文人は無表情になり何を考えているかわからない。
やがて顎から手が離れ、顔も離れ文人は端の席を見つめる。

「小夜はいつ生まれたのか記憶にないって言ってたね」
「遠い昔だとしかわからない」
「なら今の小夜に出会えてよかったかな」

文人がいつもの笑みを浮かべてこちらを見る。

「なぜそう思う」
「君は“ひと”は時によって変わると言った。本質は変わらないけれど小夜は変わらざるを得なかったなら、変わった今の小夜が僕に会う運命だったんだって思えるから」
「……お前らしくない」

文人の考えにしては違和感があった。文人も自覚しているのか苦笑する。

「そうだね」

文人に背を向け座っていた席に歩いていく。
文人の言葉を感慨深く思いながら嬉しく感じてもいた。何も言わず背を向けてしまったのは今は顔を見られたくなかったからかもしれない。

歩を遅くして席につくと文人も再び座った。
実験室での距離。でもあの時とは違う。
読みかけていた本を開き、続きを読み始めた。文人の視線を受けながら。



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