書物


「文人」
「珍しいね、小夜がそっちの方に行ってるなんて」

廊下を歩いていると後方から足音がした。すぐに呼び掛けられ振り返ると小さな本を持っている小夜がいた。

「散歩ぐらいする。入室を禁止してる部屋もないと言っていたから見て回っていた」
「疑ってる?」
「違う」

冗談混じりに訊くと小夜はすぐに否定した。
屋敷内を案内した時、特に何もない部屋だと告げて素通りした部屋もあった。小夜が疑っているとは思ってないけど散策している事に少なからず驚いてつい訊いてしまった。

「書庫なんてあったんだな」
「あぁ、あの部屋に行ったのか……一応、ね」

書庫と呼ぶほど立派な物でもない。ただ本が置かれているだけの部屋。

「本の種類はバラバラで言語も日本語ではないものもあった」
「色々調べてたから。伝承とか国古来の物とかそんなのばかりだよ」
「絵本もあった」
「紛れ込んだんだろうね」

しばらく姿を見ないと思ったらどうやら結構な時間をあの部屋で過ごしていたようだった。
小夜は手にしている本を一瞥しこちらに視線を向ける。

「勝手に持ち出したあとだが持って行って大丈夫なのか?」
「好きにしていいよ。まさか小夜が本を持ってくるとは思わなかったけど」

意外に感じそのまま小夜に伝えると小夜は本を見つめ、表紙を撫でた。カバーがかかっていて何の本かまではわからない。

「人が書いた話を読むのは嫌いじゃない。人というものを垣間見える」
「だから聖書の知識もあったのかな?」
「あれは……」

以前小夜を捕らえていた時、聖書のある一節を呟くと小夜がどの章の一節かを口にした。その時はそれ以上教えてはくれなかった。
今は答えようと記憶を探っているように伏し目がちにして口を開いた。

「修道院にいた事があった。しばらく滞在していたから必然と読んだ」
「修道院?」
「信仰者だったわけじゃない。……戦う事に疲れた時期があって眠りたかった」

その時の事を思い出したのか段々言葉に覇気がなくなっていった。

「修道女の服装はしたの?」
「なぜそんなことを訊く」

わざとらしく訊いてみせると上目遣いで睨むように小夜は返してくる。

「あまり想像できないから」
「どういう意味だ」

人ではない小夜が神を信仰する女性の服装をしてその場に留まるのは奇妙な気がした。
でもあえて答えない。僕が答えないと察したのか小夜は呆れたように息を吐いた。

「お前だって私に巫女の格好をさせただろう」
「あれは正式なものじゃなくて小夜に似合うようにデザインしたものだから」
「“設定”だったな」

小夜が少し怒っているのがわかる。
一瞥されて逸らされ僕を横切り足を進めていく。そんな小夜のあとについていった。

「色んな人がいた」
「修道院の事?」

前を見据えたまま小夜が言い、訊き返すと首を軽く横に振った。

「今までの事全てだ。全ては記憶には留めてはおけない。だが本を読むとふと過る時がある」
「似た人を思い出す?」
「そうなのかもしれない。具体的には思い出せない。ただ色々な人と出会い、別れた事が過る」

小夜の表情が微かに曇った。やがて進む歩が緩やかになり立ち止まる。

「なら読まなければいいのに」

小夜の横顔に向かって苦笑しながら言うと小夜は困ったように眉を下げて見上げてきた。

「僕は本よりも小夜の話を聞いてるほうがいいな」
「面白い事なんてない」
「小夜の事なら知りたいよ」

小夜は視線を俯かせた。

「そうか」

そう一言だけ言うと目を閉じた。
僕もそれ以上はしばらく何も話しかけず小夜の頭を撫でた。



H24.8.13