童幼
最近よく訪れる書庫に本を取りに来た。小さな窓から陽が入ってくるため見えはするが少し薄暗い。
本棚から一冊抜き取り、扉に向かおうとして立ち止まった。
書庫に入った時から感じていた気配。何か仕掛けてくるかとわざと気づかないふりをしていたがどうやら隠れているつもりらしい。
この屋敷には文人と私しかいない。ならば文人しかいないわけだが、文人は隠れるなら私に気配を悟られないようにする。
文人の気配に酷似しているがあの男はわざと気配を悟らせるなら今のように中途半端に消しはしないだろう。
「……何のようだ」
書庫の奥に聞こえるように呟く。
しばし待ってはみても返答もなく出てくる様子もなかった。
「やはり隠れているつもりか」
靴音を響かせながら奥に向かう。一番奥のまだ私が読んでいない本がある本棚に隠れている人影を見つける。
「よくわかったね」
目が合うと隠れていた人物が言った。
隠れていたのは私よりも背丈の低い子供だった。
「……お前は何者だ」
「何も知らない子供だよ、って言っても信じてくれなさそうだね」
子供の風貌には見覚えがあった。ただし背丈は私より高く、見た目も子供ではない。
「迷子みたいなんだ。正確には知ってる場所なんだけど知らない本と知らない人がいる」
私が警戒しているのがわかったのか子供は隠さず話しているようだった。
この屋敷は元々七原の所有しているもので古くからあると聞いていた。住めるように幾度も改築を重ね、この地に建て続けているのだと。
「僕は七原文人、一応一時的にここに住んでたはずなんだ」
子供は文人の面影があり、子供の言葉から文人の幼少期なのだとわかる。
「何か企んで来たのではないのか」
「さすがに危なさそうなお姉さんのいる場所に来ようとは思わないよ」
笑みを浮かべて話す文人は子供というだけで今とあまり違いがなく感じた。
「なぜ私が危険だと?」
「わかるよ。理由なんてない。お姉さんは強い。僕を殺せるほどに、ね」
「私が怖くないのか」
危険と口にしながらも怖がる素振りを見せない文人に問う。
「怖くないよ。お姉さんはとても、綺麗だ」
変わらない。私を見つめる瞳も、発する言葉も。
確かに七原文人だった。
「何もしないの?」
文人に背を向け扉へ向かうと声をかけられる。まるで何かを期待するかのような声音に少し呆れながら続く言葉に足を止めた。
「お姉さんは一緒に出口を探してくれてるんでしょ?」
「出口を探しに行く」
書庫を出てどうやら私も迷いこんだのだと気がついた。
ここは今までいた屋敷であって屋敷ではい。もちろん子供の文人がいた屋敷でもない。どちらかといえば私がいた屋敷に近いが異なる。
文人の仕業かとも考えたがそれもないだろう。ならば文人もここにいなければおかしい。私を一人どこかにやるとは考えにくかった。
「お姉さん、本が好きなの?」
「好き嫌いは特にない」
少し後ろを歩いてくる小さな文人。相変わらず怖がる様子はない。
「書庫に本を取りに来るくらいだしその本、僕以外読まないから珍しくて」
「お前は本が好きなのか」
「僕は知識を入れたいだけ。何があるかわからないから臨機応変に対応できるようにしないと」
「その結果が雑学か」
「え?」
文人は自分が興味のない知識まで入れている。
『面白いことがあればいいなと思って読んでいたけどなかなかないね』
同じ本を読むという行動でも文人と私が求めるものは違った。
「お前は今の状況を把握しているのか」
「何となくはね。だからお姉さんは一緒に出口を探してくれてるんでしょ?」
「そうだ。お前を残していくわけにも……」
もしこの文人をこの場で残したら今の文人はどうなるのか。
迷い続けて此の世に戻れずにいたら、私を見つけずにいて浮島地区もなく父様やみんなは生き続けるのではないか。
そして私はルーシーと共にいて、ルーシーが亡くなったあとまた独りになる。今までと変わりがない日々を繰り返していく。
「僕を知ってるんだね」
「なぜ……」
いつの間にか足は止まり、文人が私を見上げていた。
「ここにいることと最初に僕を見た時の反応でわかったよ。そして今考えていることもわかる」
「……何だ」
「お姉さんは僕に憎悪がある。だから今ここにいる僕を置いていけば全てなかった事にできるかもしれない」
文人は悟い。悟らせはしないし感情に同調も理解もしようとしないのに他人の思考がある程度読める。それは子供の頃からだというのか。
「こんな場所に置いていかれるならお姉さんに殺されたいな」
笑って、いい提案をするかのように囁くように告げる。
「あって間もない輩に殺されてもいいと言うのか」
「違うよ。お姉さんだからいいんだ」
文人は変わらない。文人自身も変わらないと話していたのが過る。だが変わった、とも。
私を見つけて変わらないで変わったのだと。
「お姉さん?」
文人の手を取り歩き出す。始めは引っ張るようだったが次第に文人も自身で歩き出した。
「殺さないの?」
「殺さない。私は人は殺さない」
既に流れた時に抗って変えれば何かしらの歪みが起こる。
文人は本来生きている。そして私を見つける。
文人を許しはしない。許すことはできない。
「お姉さんと別れるなら殺されてもよかったのにな」
「馬鹿な事を言うな」
握っていた手が握り返され文人を見遣るとやはり笑っていた。
「文人、私はお前を殺さない」
「……そっか、残念だな」
「文人?」
私が名前を口にすると一瞬驚き目を見開く。すぐに笑みを浮かべ手を離し走っていく。
ただ走る小さな身体を見つめていると振り返った。
「お姉さんの名前は自分で見つけるよ。またね」
周りに靄がかかり一瞬歪む。視界が戻った時には子供の文人はいなかった。
「小夜?どうしたの、佇んで」
後方から声が聞こえ振り返ると文人がいた。先ほどまで手を繋いでいた子供ではなく、ずっと私のそばにいた文人が。
「文人……」
「何?小夜」
文人の手が私の髪先を掬い上げる。
きっと目の前にいる文人も私が殺そうとすれば抵抗することもなく殺されるだろう。
もしかしたら抗うかもしれない。私が戦えと望めば。文人は私の望みを叶えたがる。
「私はお前を殺さない」
「……うん」
許すことはできない。だが文人の向ける思いを知ってしまった今は憎悪はない。
私が生きてきた永い時のまだ短い時間だとしても共にいるのだから。
H25.1.28