天女


「文人を見なかったか?」
「お見かけしておりません」

廊下を歩いていると窓の外から会話が聞こえた。蔵人が僕を探しているようだ。
足を止めることもなく書庫へと向かう。しばらくすればどうせ蔵人は書庫まで来るだろう。


書庫に入ると小さな窓から光が差し込むが薄暗い。でも不便は感じないため扉を閉めて奥へ足を進める。
特に本が好きなわけではない。知識を持てば面白い事、楽しめる事が見つかるかもしれない。
七原という家に生まれ、今までの一族の中でも強い力を持っていた。だけどまだ子供の自分にはもて余すだけで何もない。
最近蔵人が殯一族の何かを知ったらしく、それを何か楽しい事に繋げることはできないか考えていた。それには僕も七原一族について知らなければいけない。
誰でも入れる書庫になどあるわけがないけれど、何もしないのもつまらなくよく訪れた。

「百人一首、か」

手にした本は百人一首のうたが書かれていた。

「あまつかせ……」

“天つ風 雲のかよひぢ をとめの姿 しばし留めぬ”

百人一首には恋歌も多い。言葉の意味は理解できても読んだ者の心情は理解できない。時代背景等は推測できる要素があっても何ら代わりない読み物だった。
心奪われた女性だから美しかったのか、女性がただ単に美しかったのか。

「……」

扉が開く音がして耳を澄ます。一瞬蔵人かと思ったがすぐに聞き慣れない靴音が聞こえ気配を消す。
この靴音はヒールの音だとわかった。
本棚の隙間から靴音の主の姿が見える。

「っ……」

一瞬息をのんだ。
ただ一人の見知らぬ少女に目を逸らせなくなる。
少女といっても僕よりも背丈は高い。見た目は10代ぐらいの女性。
薄暗い、本棚の隙間からもはっきりとその存在が焼き付いた。
しかしこの屋敷にあんな少女はいない。七原の親戚筋でも見た記憶がない。

「……?」

そこで目の前の本棚の異変に気がついた。
まだ埋まっておらず隙間のあった本棚が隙間がなく埋まっている。そこには見知らぬタイトルの本もあった。
靴音が再び聞こえ少女が歩き出したのがわかる。どうやら書庫から出ていくようだった。

「……何のようだ」

靴音が止み声が響く。低く重い印象だが少女らしさもある声。
気配を消していたつもりが少女に気を取られ過ぎたのか、自分の状況に動揺したのか。
近づいてくるのがわかるがこの場を動こうとはしない。そっと手にしていた百人一首の本を本棚に置いた。

「よくわかったね」

正面で彼女と対峙し瞳を見た瞬間、僕は彼女に殺されたいと思った。


彼女の姿を見ただけで何か強い力を感じた。力自体なら僕も負けないだろう。だけど経験が浅い。だからすぐに殺されてしまう。それでもいいと思った。
でも彼女は僕を殺そうとはせずこの空間の出口を僕を連れて探し始めた。
いつの間にか此の世ではない空間に迷いこんでいたようだった。

「お前は今の状況を把握しているのか」
「何となくはね。だからお姉さんは一緒に出口を探してくれてるんでしょ?」
「そうだ。お前を残していくわけにも……」

彼女が立ち止まる。少し後ろを歩いていた僕も足を止め、彼女を見上げた。
最初に目が合った時に気づいていた。彼女は“僕”を知っている。

「僕を知ってるんだね」
「なぜ……」
「ここにいることと最初に僕を見た時の反応でわかったよ。そして今考えていることもわかる」
「……何だ」
「お姉さんは僕に憎悪がある。だから今ここにいる僕を置いていけば全てなかった事にできるかもしれない」

なぜそう感じたのかはわからない。でも彼女が向ける微かな感情は予測がしづらい。もしかしたら憎悪なのではないかと期待をこめて言うと驚きの表情を見せた。

「こんな場所に置いていかれるならお姉さんに殺されたいな」

笑って、いい提案をするかのように囁く。
どうせ戻ったところで彼女はいない。ならば彼女のいる今この場で彼女に殺されたい。そうすればずっと僕の中で留めたまま終われる。

「あって間もない輩に殺されてもいいと言うのか」
「違うよ。お姉さんだからいいんだ」

彼女が僕を見つめる。しばし沈黙したままでいると顔が逸れた。

「お姉さん?」

突然手を引かれ歩き出す。彼女に殺す意思がないことがわかり引かれるまま歩いた。

「殺さないの?」
「殺さない。私は人は殺さない」

試しに問いかけてみてやはり殺す意思がないことがわかる。

「お姉さんと別れるなら殺されてもよかったのにな」
「馬鹿な事を言うな」

足が止まり、振り返った彼女の瞳と視線が合う。

「文人、私はお前を殺さない」
「……そっか、残念だな」
「文人?」

名前を初めて呼ばれ、“僕”を殺さないという言葉に驚いた。
すぐに笑みを浮かべ繋いでいた手を離し走る。

「お姉さんの名前は自分で見つけるよ。またね」

感覚で出口が近いとわかり振り返って彼女に告げる。
きっとこの空間での出来事を僕は覚えていられない。狭間の空間でも彼女の時間に近く、今の僕の時間からは遠すぎる。
彼女がいつの“僕”を知っているのか。はたしてあの彼女と共にいる“僕”に今の僕がなるのか。それはわからない。
留めるように歪む空間と靄の中彼女の姿を見つめ続ける。
ふとあのうたが過った。こんな気持ちに近かったのかもしれないし違うかもしれない。初めてただの読み物が身近に感じた。


「文人、ここにいるのか?」

書庫に響く声に我に返った。一瞬自分の状況がわからずにぼんやりと目の前の本棚を見つめ、何も手にしていない手を凝視した。

「いるなら返事をしろ」
「うん……」

奥まで来て僕を見つけた蔵人の言葉に相槌をかえす。

「……力が欲しいね、蔵人」
「お前が珍しいな」
「だって力がないと……」

彼女に会えないよ、と言いかけてやめた。彼女とは誰のことだろう。

「お前が乗り気なら話が早い。部屋に行くぞ」
「うん」

背を向け書庫を出ていく蔵人に続いていく。
出ていく瞬間脳裏にある百人一首のうたが過った。



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