続・童幼
食堂で書庫から小夜が戻ってくるのを待っていた。
ついていこうとしたら待っているよう言われてしまい、渡された本をテーブルに広げページを捲る。
昔読んだことのある本でおとぎ話のような物語だった。
「……小夜?」
ふと違和感を感じた。立ち上がり食堂の出入口に向かう。
同じ場所のはずなのに感じる違和感と、似ているのに違う気配。
「小夜?」
小夜の気配と似ていた。だから呼び掛けた。でも明らかに廊下の端に蹲りこちらを見ている少女は小夜よりも幼かった。
「あ、あの」
一歩踏み出すと少女が口を開いた。
戸惑っているのか怯えているのかはわからない。
「僕は君に危害はくわえないよ」
「……」
安心させるように笑みを浮かべて言うも少女は無言になる。少しずつ近づいていくと俯き膝を抱える。
「迷子かな?」
「……わかりません」
少女の前で膝をつき話しかける。少女は膝を抱えたまま答えた。
「怖いの?」
「……わかりません」
同じ答え。自身の感情がわからないのか混乱しているのか。
ゆっくりと頭に手を載せる。一瞬身体は強張ったけれど撫でると次第に力が抜けていった。
「どうして……私の名前を知っているんですか?」
「知られていると困る?」
「いえ……貴方も私が化け物だと知っているんですね」
少女の言っている意味を整理すると僕が小夜という名の化け物の存在を知っていて名前も知っていたと思っているらしかった。
変わらずに頭を撫でると少しだけ顔を上げた。
「君は可愛い女の子だよ、小夜ちゃん」
合った視線はまた膝を抱え遮られてしまった。
目の前にいるのは確かに小夜だ。ただし何年、いや何百年以上かわからないほど前の小夜だろう。
小夜自身も幼子の姿の時期もあったと話していたがそれが一体いつの頃かわからないとも言っていた。気づけば今の姿で成長が止まった、と。
「っ……あの」
「暴れないで。椅子があるところに行くだけだから」
蹲る小夜を抱き上げると少し抵抗を見せる。でもすぐに抵抗をやめ僕の肩に顔を埋めた。
今の小夜も小柄だが幼い小夜はそれ以上に小さい。
「……どうして?」
「廊下の床は冷たいから。それだけだよ」
そう言いすぐそばにある食堂に入った。
「ここに座って待ってて」
「はい……」
椅子に座らせキッチンに向かう。
どうやら今いる場所は住んでいる屋敷の形はしていても別の時間軸と歪みあい特殊な空間になってしまっているようだった。
はたして作りおきのものがあるのか。こんな状況でもそんな心配をしてしまうのは小夜に何か食べさせてあげたいからだった。彼女の力にならないとしても人のものを食べるのを嫌がらない。幼い彼女もきっとそうだろう。
「あるみたいだね」
鍋の蓋をあけ中身を確認すると野菜の入ったスープがあった。時間軸も場所もこちら寄りのようだった。
「はい、どうぞ」
「……」
幼い小夜の前にスープをよそった皿を出す。皿と僕を交互に見て、じっとスープを見つめたまま動かない。
小夜の斜め向かいの席に座り、小夜の前に置いたスプーンを取りスープを掬った。
「小夜ちゃん、口を開けて」
顔を上げた小夜は戸惑いの表情を浮かべていた。
身につけている服は薄汚れた布。髪も結っていない。
しばし考えスプーンを口に含んだ。程よい熱さで火傷もしないだろう。
もう一度スープを掬い驚いている様子の小夜に向ける。
やはり戸惑いはするも恐る恐るスプーンを口をつけた。
「美味しい?」
訊くと頷いた。
そのあとスープがなくなるまでたまに僕も食べながら、小夜に食べさせた。
「小夜ちゃんは気づいたらここにいたの?」
「……はい。走っていたら知らない場所にいて」
小夜の髪をとかしながら多少会話をしてくれるようになった小夜に問う。
「どうして走っていたの?」
想像はできた。小夜の身体は強張り確信に変わる。
幼い小夜は何かから逃げていたのだろう。
「はい、できたよ」
二つに結わえた髪を手に取り小夜に見せるように前にやる。
「ありがとう、ございます……」
目を合わせるもすぐに俯いてしまう。
「ひゃっ」
小夜を持ち上げ椅子に座り、膝の上に小夜を載せた。今の小夜では聞けないであろう驚きの声が可愛らしい。
「このまま僕と一緒にいようか」
「このまま……?」
「うん」
振り返り見上げてくる小夜の頬を指の背で撫でる。幼い小夜は今の状況をわかっていないだろう。
ここなら誰もいない。本当に小夜と僕の二人だけ。
「……ここはどこなのでしょう?」
「どこだろうね」
そう答えると小夜は困ったように眉を下げた。
「君は人のものではない力のせいで人から迫害されている」
「はく、がい?」
「傷つけられたり良くないことをされてるよね」
小夜は答えずに顔を俯かせた。小さな肩に手を置き手先に向かって這わせていく。
まだ戦う術を得られず、力を使いこなせていない幼い小夜。今手元に置けば小夜は僕しかいなくなる。全て僕に向けられる。
人から逃げてきてここに迷い込んだ小夜なら僕の言葉に頷くかもしれない。
そう考えていると小夜が左右に首を振った。
「良くないことばかりではありません。人は……時に私に笑いかけ温もりをくれます」
「逃げていたのに?」
「それも仕方ない事です。私は本来こちらにいる存在ではないのですから……」
幼くも小夜は小夜であり、時を経てその思いは強固なものになる。
もしかしたらわかっていたのかもしれない。僕が出会ったのは時間がひとを作る、経験や出会いを重ねひとは個を形作ると主張する小夜なのだから。小夜も長い年月を生きてきたからこそ僕と今共にいるのだろう。
「っ……」
幼い小夜を包むように抱き締める。驚いたようだけれどすぐに僕に身を任せた。
「ここを真っ直ぐ歩いていけば元の場所に戻れるよ。多分ここに迷い込む前の場所だから逃げていたならすぐ走ったほうがいいかもね」
「ありがとうございます」
抱き上げて廊下を歩きながら説明する。前には先の見えない廊下があった。
「小夜ちゃん、戦うなら刀がいいよ」
「かたな?」
「鋭い切っ先の武器で君には一番使いやすいみたいだから」
「わかりました」
素直に頷く小夜の頬をもう一度撫でてから下ろす。
膝をついて頭を撫でると深くお辞儀をした。
笑みを浮かべると小夜は背を向け歩いていく。小さな背中を見つめ立ち上がると小夜が振り返った。
「お名前を訊いてもいいですか?」
「……文人」
「ふみと?」
「文人だよ。またね、小夜」
「はい!」
一瞬教えるべきか迷った。ここは彼女のいた時からは遠い。戻る際に忘れてしまうだろう。それでも教えた。小夜が望んだのだから。
小夜は笑顔で頷いた。浮島で生活していた時の小夜が過る。小夜は幼い小夜と同じ笑顔を浮かべていた。
やがて空間が歪み靄に包まれる。
すぐに元の場所に戻り、小夜を探すために歩き出した。
H25.2.4