不思議


朝食の仕度をしていると小夜の気配がして火を止め食堂に向かう。

「小夜?」

思わず呼び掛ける。小夜の頭がテーブルから少しだけ見え、椅子が引かれ座った彼女の姿が見えた。

「……何だ」

大概の事には臆さず対応できると思っている。でも小夜に関しては別だった。
僕を見つめる瞳は変わらない。でも姿は幼くなっていた。


「はい、珈琲」

朝食を食べ終わり、小夜に食後の珈琲を出した。
小さな手がいつもと変わらないカップを持ち上げようとする。取っ手だけでは不安定だったのかもう片方の手で軽く添えてやっとカップが持ち上がる。

「っ……」

一口飲んで身体が強張った。

「子供の身体だと舌も子供舌になるのかもしれないね」

そう言うとカップを置いてこちらを睨みつけてくる。心なしか目が潤んでいるように見えて笑いそうになってしまう。

「それに苦いよね」

受け皿毎自分の前に寄せ用意しておいた砂糖とミルクを入れてマドラーでかき混ぜる。
混ぜ終わりカップを持ち上げ息を吹き掛けた。
小夜は口を微かに開いてすぐに閉じた。言ったところで仕方ないと思ったのだろう。
カップを受け皿に置いて小夜の前に戻す。中身をしばし見つめ両手でカップを持ち先程より少し冷めた珈琲を口に含んだ。

「いつもより来るのが遅いなと思ってたけど朝起きたらそうなっていたの?」
「そうだ」
「心当たりは?」

カップを置いて凝視される。こんなことができるのは僕以外いないと訴えかけてはいても、無意味に今はしないとわかっているから突き詰めようとはしない。
考える素振りをするように両肘をテーブルにつき組んだ手に顎を軽く乗せる。
ポーズに見えてはいても実際に思案はしていて屋敷内の気配を探る。

「少しだけ、違和感がある」
「……そうだね。この間の黒猫といい、狭間の件のいい、常に特殊な結界を張ってるから何かが寄ってくるのかな」
「だが私をこんな姿にする意図が見えない」
「本当は小夜ではなく狙いは僕だったかもしれない」

小夜が驚いたように目を見開く。そうとは考えていなかったようだ。

「呪いのような禍々しさはないから大丈夫だと思うよ」

小夜の顔が若干曇って安心させるように言った。

「でも不思議だよね。身体だけ退行させるなんて。記憶も退行させた方がこうした何かにとっては有利かもしれないのに」

あからさまに話を逸らすと小夜も顔を逸らし軽く息を吐いた。

「っ……!?」

小夜に抵抗されない隙を狙い立ち上がり抱き上げた。

「……下ろせ」
「屋敷探検でもしようか、小夜。違和感がどこにあるかわかるかもしれないし」
「下ろせ。私は歩けないほど幼子ではない」

僕より目線が高くなった小夜に笑みを浮かべ構わず歩き始める。
最初は抵抗するように小さな手で顔や頭を叩かれ、髪を乱された。足はしっかり固定して抱いているため暴れられる範囲に限界を感じたのか抵抗しなくなる。

「小さくなっても二つに結ぶんだね」
「……髪型なんて邪魔にならなければ何でもいい」

言いながら乱した髪を撫でて直してくれる。

「束ねるなら何でもいいなら僕が」
「断る」

言い終わらないうちに拒否されてしまい苦笑する。
やがて違和感が強く感じる場所に来る。

「やはり図書室か」
「普通の図書室のはずなんだけどね。やっぱり古い物が多くあるのが影響してるのかな」
「文人がよく訪れた場所だからだろう」

小夜の発言に少し驚く。そう感じつつもあえて口にしなかったから。そう口にするという事は少なからず僕を知っているから。

「お前は私がどんな姿になろうと変わらない」
「小夜は小夜だからね。記憶が退行しても変わらないと思うよ」
「どちらがだ」
「どちらでも」

小夜と視線が合う。この瞳に射抜かれたいと出会った時から思ったのならどうなろうと変わらない。

「たとえ記憶を保持して最初からでも繰り返すよ。君の瞳にただ見つめられていたいそれだけで。ね、小夜」

きっと表情にも出ているだろう。自然と笑みが浮かび顔を寄せる。出会ってからの事、浮島、東京。小夜も過ったのか瞳に赤が灯った。

「ふみっ……」

言いかけて目を見開いたかと思うと俯き顔を隠すように頭を抱き締められた。
一瞬何が起こったかわからず呆然とする。やがて思い当たり口を開く。

「子供って舌が回らないから。でも噛みやすい名前でもないんだけどな」

からかうように言うと抱き締める腕に力が入る。

「でも今は小夜と一緒にいるから」

独り言のように呟く。小さく微かな温もりのある彼女。腕の力が緩み顔を見せた。

「行くぞ、文人」
「そうだね、小夜」

抱き抱えたまま図書室の扉を開いた。



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