真人


「そんなに僕を凝視してどうした」

斜め前に座る少年に視線を僅かに向けた瞬間目を伏せたまま問われる。
カップを持つ姿はどこか不似合いに感じるのは昔会った印象が残っているのかもしれない。

「それで話す気はないんですか、お祖父様」

私が返答する前に文人が戻ってきて少年の前に小皿を置く。
すぐに少年と私の間に佇んだ。
図書室にはいつか幼き頃の文人がいた時のように少年がいた。でも今度は文人ではなく、違う少年。私が知っている七原真人。文人の祖父だった。

「僕も迷いこんだだけだ。戻る方法を探している」

カップから口を話し言うが文人が信じている様子はない。
私は判断ができなかった。もし七原真人が故意にここを訪れたなら理由がわからない。本当に迷いこんだ恐れもある。

「では僕に何か言うことがあるのではないですか?」

目を伏せていた真人の瞳が私に向けられる。だがすぐにまた伏せられた。

「恨み言でも言えというのか」
「実際そうでしょう?貴方は目的を持って研究をし、僕はそれを掠め取った」

セブンスヘブンは残っているが塔は実質凍結している。塔について私は詳細を知らない。ただ七原が関わっていたとしか。朧気な目的しか知らない。私は人と共にいながらも知ろうとはしなかった。私は狩るだけの者。人に関わりすぎてはいけない。私は鬼なのだから。だから必要がなかった。

「僕が出てきたところでどうにもならない。朱食免は消失、約定はお前が違え、記したものもない今何ができる」

文人が感情を表面に出すことは少ない。わかりやすく見せてわかりにくい。だが今は微かに苛立ちを感じる。
それは少なくとも繋がる血筋のものが現れたからなのかはわからない。

「小夜、この館を案内してくれ」
「この館は文人が用意したものだ。何より元は七原のものだったのならお前の方が詳しいだろう」

カップを置いて唐突に言われすぐに返す。文人が反応する前よりも早く。

「文人はここの片付けがあるだろう」

真人が文人に視線を向け、私も見上げると文人は無表情のまま真人を見ていた。
やがて伏し目がちに軽く息を吐き、手を差し出される。

「小夜、お願いできる?」

断る理由もなく手を取る。身体が小さく足が付かないため、文人の手を支えにし椅子から降りた。


「案内する気がないだろう」

食堂から出たものの先には歩かず真人の後ろについた。

「何故現れられるのかという顔だな」

緩やかな足取りで歩いていく真人についていく。特に何か言うわけでもなく、真人が話すのを聞いていた。 
「人の部分はとうの昔に食わせた。目的のために。だから僕は死ねない。死んでも彼世に留まる」
「……でもお前は人だった」

ルーシーから間接的にしか聞いてはいないが真人は人の未来を案じ、私の血を必要とした。だから私は協力した。ルーシーは奇特な人だったから。私の望みを訊いた人だった。

「お前にとっての“人”の定義など知らぬ。だが存在はもはや鬼だ」
「私と同じだというのか」
「お前も死ねないだろう。僕は形を無くし、此世には留まれない。文人が組んだ結界だから入り込めた。まがりなりにも血縁だ」

その言葉を聞いた瞬間ある事に思い至り足を止めた。
しばし距離が空いたのち真人を足を止め振り返る。

「……奪うのか」

真人は無表情のまま私に視線を向けるだけ。
何をとは言葉にしなかった。しばしの沈黙のあと真人が口を開く。

「お前は記憶を消してでも此世に留まる事を決めた。古きものでありながら、古きものを狩り喰らう。ならば利害は一致するだろう」
「何故今持ち掛ける」
「信じられると思うか?」

過去の出来事は利用しただけで何かあれば対処したのだろう。もしかしたらルーシーは私のために七原から離れたのかもしれない。

「だがお前にとっては短い時だとしてもお前の望みが本物だというのはわかったよ、小夜」

文人以外に名前を呼ばれる事は今はあまりなく、だからなのか微かな嫌悪を感じる。文人とは別の意味で底が知れない。ある意味血縁者。だが二人の思考が辿ったのは違う先。

「此世と彼世の繋がりを断つ。それが人の世を守る」

守るという言葉に身体が強ばる。私が此世にいる意味。だがそれは私が此世にいたいがための理由だ。

「世の理を崩せば何かしらの代償を伴う。それは誰にも予測はできない。七原真人、お前は未練があるだけだ」

瞳には敵意がちらつく。すぐに隠れ、何の感情も見えない瞳になる。

「お前にそんなことを言われるとは。理を自ら崩している存在のお前に。だから文人のような者が生まれた」
「どういう意味だ」
「生前文人に何かを教え、残す事は考えていなかった。文人が九頭から抜き出したにすぎない」
「……お前は文人に殺されたのか」
「それは違う。全ては廻るため。僕は必然のように此世から去った。文人でも僕には仕掛けられない」

奇怪な廻り。運命などはない。全ては必然と語っていた女の店主が過る。

「それが、何だ」

要領の得ない言葉と募る嫌悪を振り払うように強く言う。
それを見透かすように真人は微かに笑みを浮かべた。

「お前が此世に留まるため、揺らぐ思いを強固にするため、お前の自身でいたいという願い」
「黙れっ!」

刀を持っていたら抜いていたかもしれない。抑えるためか自然と息が上がっていく。

「己だけを見る人に触れて、失うもお前は己を強固にする」

なぜ知っている。私の願いはミセでのみ口にした。知るはずもない。ならばここにいる七原真人は何だ。幻影なのか。
困惑しながらも足は留める。

「何故七原文人を生かし、共にいる?本来ならば彼世に逝くべきだったあの場所で」

分岐はどこだと七原真人は問う。七原文人と七原真人の目的も辿る先も異なる。ならば七原真人は七原文人の身体を奪いにきたか消しにきたか。

「小夜」

何かが割れる音がした瞬間背後から声がした。足元には割れた鏡。

「ふみと……」

姿は見えない。だが声の主はわかり名前を口にする。
文人と共に行く事を決めた時が過る。私と同じものになったといっても殺せただろう。元は人だ。その存在を完全に変えるなどできない。
ならばなぜ私は文人と共にいるのか。

“小夜と一緒に”

言葉が途切れる。でも覚えている。私は文人の願いを聞いた。

「お前の願いは何だ、七原真人」

割れた鏡を凝視していた。俯いていた顔を上げる。
未練だと私は言った。だが違う。ここにいるのは願いだ。

「人の世の平和だ。約定がなくなり不安定になっている。だから」
「完全なものなどない」
「わかっている。だができることはあるだろう」

完全な平和などないと長い時を生きてきてわかっていた。人の争いには手出しはしない。それに約定が関わっていれば必ず喰うものがいた。私はその喰うものを狩るだけ。

「こんなところにずっといようものならまた来る」
「わかった」

いつの間にか空間が隔離されていたようで視界が白くなっていき、七原真人の姿も薄れていった。

「お前の姿は僕が介入したことによる副作用みたいなものだ。本当は文人にかかるはずがどこまでも思い通りにならない孫だ」

薄れる姿が段々と年老いていく。

「……また来れるなら来ればいい」

私の言葉に背を向きかけていた老人が振り返る。そしてやはり微かに笑みを浮かべただけで消えた。

「お祖父様、戻ったんだね。小夜も戻った」

背後からの言葉に自身の体が普段の姿になっている事に気がついた。

「七原真人がどうなっているか知っていたのか」

振り返り訊くとどこか不機嫌にも思える態度で視線を逸らした。何故不機嫌などと思ったのかわからない。今まで感じた事はないのに。

「何となくはね。九頭もそのあたりは完全には教えてくれなかったから」

人の魂は巡るという。だが七原真人の魂は彼世に留まったままなのだろう。それは何をも犠牲にし、自身をも犠牲にしながらも守ろうとした人の世の平和を願ってのこと。

「会話、聞こえてたよ」

思案に耽りかけたのを文人の言葉で引き戻された。
聞こえていたかもしれないと思っていた。でもそれをわざわざ私に知らせるとは思わなかった。

「なら出る準備をしろ」
「小夜はそれでいいの?」

微かな動揺を悟られないように告げる。
問いかける文人に歩み寄り腕に触れる。

「私の選択も望みも変わらない。これまでも、これからも」

軽く押してなすがままに反転し同じ方向を向く文人をそのまま押して緩やかに歩いていく。

「もし、あの時僕が君に殺されてそれが君のためになるなら今からでも受け入れるよ」

予想通りの内容に憤る。

「文人っ」
「そう言おうとしてたし変わらないけれど、まだこうしていたいかな」

見上げると文人が笑みを浮かべた。浮島の時のように私を見つめる。
それ以上は何も言わずに文人の腕に触れたまま歩き続けた。



H25.7.16