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「梨花ちゃ〜ん、暇だったら少しでいいから手伝ってく」
「ボクはここで圭一が汗だくになって植物さんに水をあげるのを鑑賞してるのですよ。暇ではないのです」

校舎裏にある知恵のカレー菜園の今日の水やり当番は圭一だった。
今日は魅音は店の手伝いで部活は休み。
圭一が委員長兼部長になってもやはり魅ぃや前からの部活メンバーが出れない時は自然と休みになった。
沙都子は詩音と共に入江の所へ、そういえばレナはどうしたのだろう。いつの間にか帰っていた気がする。

「レナは親父さんと買い物の約束があるからって急いで帰った」
「みっ!?圭一はえっちなのですっ!」
「へ?」
「レナの事考えてたら突然言い出したのです」
「ははっ!違うって、魅音が手伝いでいなくてもレナが用事あったからどっちにしても部活はできなかったなー、と言おうとしただけだって」

圭一の軽い笑い方に少し腹が立ち、あからさまに顔を背けた。

「梨花ちゃん、一つ聞いてみてもいいか?」
「いいですよ。はい、終わりなのです」

我ながら意地の悪い受け答えだ。圭一が気がついたように何やら悔しがっている。

「冗談よ。圭一が私に聞いてみたい事が気になるから聞いてあげる」

この話し方は久しぶり。いつも話していた相手とはもう会話はできないから。
こちらの方が楽といえば楽なんだけど、今更こちらに切り換えるつもりもない。成長すれば話し方なんて変わるものだし。
だから今はこの話し方で会話をするのは圭一だけ。
圭一は色々と打ち明けた時は口調と内容に驚いていたけど、今はもう驚きもしない。それが少し悔しいけど嬉しい。

「梨花ちゃんは何度もその……同じ時間を繰り返したんだよな?」
「そうね。同じ事の繰り返しを見てきたわ」

その繰り返しの中で今目の前にいる少年がいなかった事もある。
はじめはただの偶然。でもその偶然が私から完全に出口を奪った気がする。

「俺がいない時もあったって言ってたよな?」
「圭一……あなた、本当に私の考えてる事わかってるんじゃないの?」

あまりにも的確な質問に苦笑する。圭一は聞きたい事を聞いているだけだから、私の言葉の意味がわからないといった表情をしていた。

「何でもないから続けて」
「雛見沢を訪れなかった俺はどうしてたんだろうって気になってさ。知ってたら教えてほしいんだ」

私もそれは気になっていた。羽入に聞いてもはぐらかされた。
だから私も知らない。目の前に彼がいるかぎり、いない時の彼を知る手立てはない。

「梨花ちゃん?ごめん、変な事聞いて」

私の沈黙を悪い方で受け取ったのか圭一は謝ってきた。

「知らないの。私は私の見てきた事しか知らない。私が知りたい事を羽入は教えてくれなかったから」

俯いて地面を見つめる。強く暑い日差しで頭が熱い。
羽入はいなくなったわけじゃない。見ていてくれてる、この雛見沢を。
でももう身近には感じられない。こうなって私はただの人なんだと気付かされた。
いくら何百年生きて何百回同じ時を見てきても、私がいない場所や人の事はしりえない。
それはおろか雛見沢内だって知らない事があって、材料を揃えて推測しなければいけなかった。

「そうか」

圭一の問いに答えられずにいたのに何かを納得したような声音と共に、頭の天辺がひんやりとした。

「羽入は梨花ちゃんに女の子でいてほしかったんだな」

少し冷たい圭一の手で頭が冷やされて、その言葉が胸に響く。
私は人だから知らない事はたくさんある。それを知ったら私はきっと中途半端な存在になってしまう。

「考えてみる楽しみもあるしな。でも雛見沢を知らないなんてその時の俺は損してるよな〜」
「……考えて不安な事もある」
「それでも動かなきゃはじまらないだろ?」

この人だからこそ出口を一緒に見つけてほしいと願った。
この人だからこそ時に惨劇に捕われてしまった。
未知の可能性を秘めたこの人だからこそ。

「さて、水やりも終わったし帰るか」

空の上呂を片手に校舎に戻ろうとした圭一の手を私は掴んでいた。
もう熱いその手はこの外気のせいか、私の熱のせいか。

「女の子、でいてもいいの……?」 
誰かに聞く事ではない。聞いてどうなる事でもない。
自然と口にしていたのはこの人だからこそ。

「梨花ちゃんははじめから女の子だろ?」
当たり前とばかりに笑って答える圭一。私は顔が熱くなるのを察して俯いた。

しばらくそのままでいると圭一が歩き出した。私の手を引いて。
前は見えないけど歩いている。見えない目の前に怖いはずなのに安心していた。
ふと片方の手が視界に入り、彼の手を独占できないだけで嫉妬してしまいそうになる。
たかが空の上呂。でもその上呂からも水が溢れだしそうな、そんなこの人だからこそできそうな事を想像して笑ってしまっていた。
醜い感情も変えてしまえそうなこの人だからこその、この人への気持ち。



H19.5.27

この人だからこそ。
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