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「……三つ編みがいい」
「は?」

朝、京子の身仕度の手伝いをし髪を結んでいると聞こえる程度の声量で呟かれた。

「無理だ」
「私の執事なのに」
「やったことがないからな。ほら、できたぞ。早くしないと学校に遅れる」

遅れるという言葉に渋々立ち上がり扉に向かう。

「今日も髪を結んでくれてありがとう、真之介」

部屋から出ていく前に振り返って言った。
何も返せないまま京子は部屋から出ていった。

「本当は三つ編みが良かったのに何で礼なんて言ってるんだ……」

『私の執事なのに』

立ち尽くし呟くと京子の言葉が過る。
そう、僕は京子の執事になった。なのにできる事は少ない。京子が望むことをできているんだろうか。

「……ピアノもろくに弾けない」

練習はしている。でもまだ聴かせられるようなレベルではない。
拳を握り部屋から出ていった。


「真之介凄い!」

手鏡の中の自分の髪を見つめ京子は喜んでいた。
あれから数日。カツラを用意してもらい三つ編みだけではなく色々な髪型の練習をした。この家の者ならできる者がいるだろう。
でも京子の執事は僕だ。京子が望むことができずに執事になどなれるはずがない。

「満足か?」
「ええ!ありがとう、真之介!」

振り返り満面の笑顔を向けられ顔を背ける。

「手は大きいのに器用なのね」
「触るな!」

手に温かいものが触れ慌てて振り払う。無意識とはいえすぐに我に返り泣きそうな京子の顔が目の前にあった。

「ごめんなさい……」
「……何で謝るんだよ」
「真之介が嫌がる事をしてしまったから」

今にも泣きそうなのに謝罪する少女に手が伸びそうになる。

「謝る必要なんてない。悪いのは僕だ。すまなかった」

伸びそうになった手を制するように握り言う。
京子は首を振り少し無理をするように笑みを浮かべた。

「気にしてないわ。でも理由を訊いてもいい?」
「それは……」

躊躇う。でもこれから共にいてまた今のように振り払って京子にあんな表情をさせたらと思うと話さないわけにはいかなった。

「あんな組織にいたんだ。お前だって僕が何をしてきたかわかるだろ」

京子はなぜか首を傾げる。誘拐された時も随分肝が据わっている子供だと思ったがまさか自分を誘拐した連中がどんな奴らか理解していなかったのか?

「真之介はまたあの組織にいた頃のようになりたいの?」
「そんなわけない」
「ならいいじゃない」
「は?」

京子と話しているとたまに理解を越える事がある。

「真之介はその手で私を守ってくれたし、お母様の元に連れて行ってくれた。今だって私のために三つ編みをしてくれたわ」

嬉しそうに三つ編みを掴む。
不必要に触れるべき手ではない。汚れた手で触っていい少女でもない。そう思っていた。

「……僕はお前の執事、か」
「そうよ!私の執事なんだから」

小さな手が再び僕の手に触れる。今度は振り払わなかった。
守るべき人の手の感触を実感しながら小さな主人に微笑み返した。


「真之介は本当に器用よね」
「そうですか?」

お嬢様の髪のセッティングが終わり、ブラシを鏡台に置いた。

「デートする相手に髪の毛をやってもらうなんて……私も練習しようかしら」
「いけません!お嬢様のお世話は僕がしたいんです」

鏡を見ながら呟くお嬢様に言うと不満そうな表情でこちらに視線を向けた。

「たまには真之介を驚かせたいのに」
「驚いてますよ。お嬢様はどんどんお綺麗になりますから」

両肩に手を置いて鏡に映るお嬢様と僕に視線を向ける。お嬢様も正面の鏡に再び視線を戻すと視線が合った。

「お嬢様のお気持ちは嬉しいですがやはりこの手で守り着飾る事もしたいです。それが僕の特権ですから。お嬢様の執事であり、恋人である僕だけの」
「そうね。真之介は私の執事で恋人だもの」

肩に置いた手に手が重ねられる。特別な温もりはあの時から変わらない。

「行きましょうか。久しぶりのデートなんだから」
「はいっ」

お嬢様が立ち上がったのを合図に扉に向かい扉を開ける。
お嬢様を一人で行かせることも僕が一人残ることもなく二人で部屋を出て扉を閉めた。



H25.4.12

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