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「あ……」
「散歩か?……って、シュタインいないな」

夜食を買いにコンビニへ行った帰り、マンションの入口に鷹士さんがいた。
いつものように人がよさそうな笑みを浮かべ、視線を下方に向けて声をかけてくる。
すぐにコンビニの袋に気付いて出かけた理由がわかったようだ。

「夕飯の残りがある時もあるから小腹減ったら声かけてく」
「いいです、悪いですから」

最後まで聞かずに言葉を遮る。それじゃ、と軽く会釈して先にマンションの中へ入ろうと足を進めた。

「雅紀」

鷹士さんを追い越しマンションに入る手前で呼び止められる。

「何ですか?」

鷹士さんがマンションの前にいても別に不自然じゃない。でも今この時は不自然で仕方なかった。
そう思うのは会いたくなかったからかもしれない。

「何か、ヒトミに言う事はないのか?」

この人はオレの仮面に気がついている。一度それらしい事を聞かれてはぐらかした事があった。
そして今言われた言葉。
オレ自身ですら答えがでていない事なのにどうしてわかるんだ。

「別に、ありませんよ?」

線を引くように笑顔を装う。無意味だとわかっていても。

「それでお前はいいんだな?」

煽るような物言いにいい加減放っておいてくれと言いたくなる。
でもそれを完全に振り払えずに口ごもる。

「あいつは待っていてくれる。でも時間は待たない。時間が経てば経つほど……」
「あんたが何を知ってるんだ!オレはあいつに言う言葉なんて知らない。謝るつもりもない」
「……謝ってほしいわけじゃない」

どうしてそっとしておいてくれないんだ。
もう遅い。遅いなら鐘が落ちるまで待つしかない。鳴らずの鐘なんて意味がないんだから。

「お前はあいつを思って行動したのか?」

知らないふりをしたかった。これ以上近付こうとしなければ、いい事だから。

「鷹士さんは桜川を、妹を思ってオレにそんな事を言ってるんですか?」

返答はなく、ただ苦笑するのみ。何より近くにいるはずなのに手にはしてはいけない。過剰なまでの愛情。過剰にして隠してるものがある。

「好き、なんですよね?」
「大切な妹だからな」

数分前とは打って変わり穏やかな空気の中で、鷹士さんは妹が笑うように柔らかく笑んだ。その笑みに含んだものは隠したまま。

鳴り遅れた鐘は
無自覚なオレを起こした


「桜川、放課後ちょっといい?」
「え、うん……」

ためらいがちに返事をする彼女。放課後にオレにされた事を思えば拒否してもいいはずだ。

「話、するだけだから」

気休めの言葉だとわかっていながらも、少しでも怖がらせたくなくてそう言っていた。

放課後。静まりかえった廊下を歩いていた。
今ごろだと教室には誰もいないだろう。彼女はいるだろうか。
歩を進める速度が少しだけ遅くなった気がした。
教室の戸は閉められていて、開けるのをためらう。
いなかったらそれまで。いてくれたら……どうするのだろう。

「華原くん?」
「うわっ」

目の前の戸が突然開かれて驚いてしまった。窓から入る夕陽の眩しさに目が眩む。

「なんで……わかった?」
「足音がドアの前で止まったから」

そっかと返してお互い黙りこむ。入る事さえかなわない彼女の空間。

「あ、私邪魔だよね?」

後ろにさがりドアを塞いでいた身体は空間を作った。
それでも入ろうとしないオレに首を傾げる。

「華原くん?」

無邪気に純粋に呼ぶ声。あの人に守られてきた彼女。
そのままでいればいい。知らないでいた方がいい事はたくさんあるから。
でもそしたらずっと彼女はあの人の腕の中にいる事になる。
悔しい。決して越えられない線がある事はわかってるのに、それもいつか越えてしまいそうな予感がする。彼女が、越えてしまいそうな気がする。

「怖くないよ」
「えっ?」

さっきから予想外の事が続いて思考が追いつかない。こんな事を考える自分の思考すら予想外だ。

「違ったらごめんね。でも私は華原くんの事怖くないからって伝えたくて」
「あんな事したのに?」

泣きそうだ。でもその気持ちも押し隠す。
言葉でならどうとでも言える。まだ彼女を疑う自分に嫌気がさす。言おうと決めたはずなのに。

「最後までしなかったのは何でかなって考えたら簡単だった。華原くんが私を怖がってたんじゃない?」
「オレが……?」
「距離がわからなくて怖かったんだよ」

気付けば教室内に足を踏み入れていた。彼女に両手を引っ張られたからだ。
そのまま両手を掴まれて間近で見上げられる。

「私が触れてれば怖くないでしょ?大丈夫、どんな華原くんの話も聞きたいし、もっと近付きたいから」

苦しさがこみあがってくる。目頭の熱さが身体全体に広がって暑く感じた。

「それじゃあまるで告白みたいだ……」
「やっぱりそうなのかな……?」

視線を落として考えこむ彼女が面白かった。そして嬉しかった。

「ありがとう、桜川。……今度はオレから近付くよ」
「うん」

微笑む彼女に掴まれていた両手を握り返して、顔を近付けた。彼女は少し背伸びしたのか更に距離は縮まっていった。

触れた唇が離れたら
君が好きだと伝えるから



H19.5.11

触れた唇が離れたら
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