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「和さん、こっちですよ」
改札を出て連絡をしようと携帯を取り出すと聞き慣れた声で呼ばれた。
「日織」
呼び掛けてきた人物に顔を向けるとその姿はあの館で会った時のように着流しだった。
「待たせてごめん」
駆け寄ると日織はふっと笑い首を横に振った。
「気にしないで下せぇ、公演までまだ時間ありますし」
慣れない線の電車でうっかり反対方向に乗ってしまった事をメールで知らせていた。
理由を知ってるからというのもあるだろうけど日織は優しすぎると思う。
「でも待たせちゃったし、何か奢るよ。自販の飲み物だけど……」
「じゃあお言葉に甘えます」
僕が譲らない事を悟ったのか日織はすんなりと受け入れた。
二人で自販の前まで来ると僕はお金を入れて日織に何がいいか聞く。
「お茶じゃないんだね」
「上演中に用を足したくなったら困りますからね」
日織に出てきたペットボトルのジュースを渡して僕の分を買う。
日織の言葉にボタンを押した瞬間に後悔した。もう一本買うわけにもいかず、出てきた紅茶を取り出した。
「上演前にしのぶさんと落ち合う事になってるんですよ」
「え、本当に?」
飲み物を手に会場へと足を進める。
今日は館で出会った双子の片割れ、あやめちゃんの舞台を見に来た。
「えぇ、和さんが来たのを確認してあやめさんに報告しないといけないそうですよ」
「何で報告?」
「あやめさんに気に入られてましたからね」
館での事件で僕は何とか殺人を阻止しようと色々隠したり、張り込んだりした。
その結果斑井さん以降の殺人は食い止められたわけだけど……。
「和さん?」
「そういえば斑井さんの本名知らないや」
手にする飲み物を見つめながら斑井さんの事を思い出す。もう一人の被害者の人はみんなが奈雲役の人が誰か話している時に聞けていたけど。
「斑井さんの出演作見ればわかりますよ」
「え?」
日織なら知ってるはずなのにあえて教えてくれない事を疑問に思って見上げる。
日織の微笑は見守ってくれているようでくすぐったかった。
「そうだよね」
「はい」
何だか照れ臭くなってしまって再び飲み物に顔を向けて、開封した。
歩きながら軽く飲む。
「変な質問だったらすいやせん」
「ん?」
「和さんはあの館に迷いこんだのを後悔してますか?」
確かに変な質問だった。
日織なら僕の答えがわかりそうだったから。それでも聞いているのは僕が斑井さんの事を聞いたからに違いない。
「後悔してないよ。むしろよかったと思ってる。こうして人生初めての舞台観賞の日を迎えられたし」
「そっちですか?」
そういう事ではないと僕もわかってる。あの館で助けられない人達がいた事を僕はずっと後悔し続けるだろう。何か手があったんではないかと。
でもそんな僕を心配してくれる人がいるから、その人達との出会いを後悔したくないから。だから今日をこうして迎えている。
「今まで役者さんの名前チェックしたりしてなかったからこれからちゃんとみよう」
「でも端役だと誰か誰だかわかりやせんぜ?」
「それは……ほら!感覚だよ!これはこの人だーっていう」
「自己暗示じゃないですか、それ」
日織が苦笑を浮かべながらペットボトルの蓋を開けた。
「見つけてみせるよ。でもまだ日織が見つけられないんだよね」
「あの一件以降からでしたら俺が出た作品まだ放送してませんしね」
「一生懸命探しちゃったよ……主に時代劇を」
「まあ、そのあたり探してればいつかはいますよ」
「何だか知ってる人を探しながら見るのも楽しくて色々見ちゃうんだよね」
「和さんの事だから段々話に夢中になって気がついたらエンドクレジットになってそうですね」
「何でわかるの……」
そんなにわかりやすいかなと言うと日織は和さんですからと言った。
「あ、会場すぐそこですぜ」
「本当?あそこにいるの成瀬くんじゃない?おーい!成瀬くーん!」
執事姿ではない少年に声をかけると驚いた顔でこちらを見ると顔を赤くさせてこちらに走ってきた。
何だか怒ってるような?
「和さんってたまに天然ですよね」
「そう?」
先日まで想像できなかったあの一件からやっぱり想像できなかった日常を迎えている。
忘れる事はない。そうして今日を迎えて明日を迎える。
H23.3.27
そうして今日を迎えて明日を迎える
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