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部屋にある鏡を見つめて毛先に触れる。
少し小さめな鏡には釈然としない私の顔が映っている。

「髪を切れ、か」

キサラギ少佐に髪を切れと言われて私はそのとおりにはしなかった。
少佐に刃向かうほど大切なものなのかと疑問に思う。
でもすぐに疑問は消えた。

「ずっと伸ばしてるんだから……」

揃えるぐらいに切ったりはするけど、私の記憶がある中ではずっと伸ばし続けている。
5年。
短いけど、私にとってはその5年が“私”の全て。
苦手な人を監視するという立場は辛いけど、今は着任時よりは辛くない。
今日みたいに理不尽な発言もするけど、少佐は悪い人ではないとわかってるから。でも苦手なのは変わらない。

「長い髪嫌いだったのかな?」

士官学校時代から浮いた噂もないから好みとかもよくわからない。

「でもツバキも長いけど少佐は優しいし……」

鏡の中の私は悩んでいた。
何が少佐を苛立たせるのか。私に嫌悪感を向けて、殺意すら感じる瞳で見るのか。
知りたい気もするけど教えてくれないだろうし、聞く勇気もない。
苦手意識を持って接していては悪化するだけと思い、できるだけ苦手意識を出さないようにはしてみた。
そうしたら少しだけ変わった気がする。
私の気のせいかもしれない。でもそう思うと前よりも前向きになれる気がした。

「よし」

少しだけ笑みを浮かべた鏡の中の私が頷いて鏡の中から消える。
すぐに帽子を持った私が映りこむ。

そして今の私と共に年月を過ごした髪をまとめた。


「少佐?」

翌朝。執務室を訪れると普段は書類から顔を離さない少佐が顔を上げていた。
驚いてるのかな?

「……貴様、切らないと昨日言ったばかりなのにどういう事だ」

怒ってる!?
睨まれて胸に抱いたファイルをぎゅっと抱きしめる。
逃げ出してしまいたい。でも逃げても今の状況は変わらないどころか悪化するだけ。
できるだけ怯える気持ちを表に出さないように努めて、帽子を取った。

「任務や勤務中は邪魔ですよね」

帽子の中にまとめていた髪が私の背に落ちる。
その動作を少佐は訝しげな瞳で見ていた。
口元がひきつってたりしないだろうか。
でもそんな不安はよそに少佐は視線を外してため息を吐くと書類確認に戻ったようだった。
私は安堵してファイルを机に置いて髪をまとめる。
何も言われなかったって事はいいんだよね?
少佐を正面にして髪を帽子にいれこむ勇気もなかったので背にする。
その背に何だか視線を感じた。
普段は顔を上げないで応対する事が多い少佐がまさか見てるわけがない。気のせい。
そう思っても視線を感じる。
ちらりと後ろを見ると少佐が見ていた。視線は合わず、慌てて正面に戻す。
どうして見られてるの?
わからない。
わからないけど怖くはなかった。
まとめあげて正面に向き直る。
少佐は私が背を向ける前と変わらずに書類に顔を向けていた。

「突っ立っていないで早く仕事をしろ」
「はい!」

いつもと変わらない態度。
でも少しずつ変わっていく日常。
もっと一緒にいたらその変化は大きくなるの?

変化は怖いけど、今の私となりえるもの。この髪のように見える形ではないけど、私を創っていく。

机の上に置いたファイルを手にし、日常に向かった。



H22.6.10

見える形ではないけど、私を創っていく
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