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カグツチの最上階。
その場には誰もいなかった。
誰かいるなどという 確証はなかった。だが目指す場所はここなのだと本能が告げた。
ただ佇み見上げる。待ち人を待つ暇潰しなのかさほど遠くはない過去が過った。


「す、すみません!」

ガラスの割れた音が屋内に響いた。
特に気にかけるまでもなく書類に目を通していく。

「わっ、どうしよう……破片は」

もたもたしているのが見なくてもわかる。
こんなのでも秘書官だ。雑務に支障が出ては面倒極まりない。

「少佐?」

立ち上がり、屈んだままのヴァーミリオン少尉を横切る。清掃用具と袋を素早く取る。

「用具の置き場ぐらい覚えて……貴様、何をしている」

横切る際には見えなかったがよく見ると少尉は割れた破片をいくつか手で拾っていた。

「拾ってます」
「何時間かけるつもりだ。これを使え」
「あ、ありがとうございます」

袋と用具を渡すと少尉は用具を使って袋に破片をいれようとした。だがうまくいかずに袋が離れていく。

「あっ……」

袋を引き戻しそれを数回続ける。苛立つが呆れのほうが大きい。
佇み見ていると少尉がちらりとこちらを見上げてきた。だがすぐに視線を逸らす。

「何だ」
「……あの、見ていられるとうまくいかないみたいで」
「僕はお前の上官だ、見るのは当たり前だろう」
「あぅ……」

しかしこれでは何のために用具を渡したのかわからない。
仕方なく、片膝をついて袋を持つ。

「早くしろ」
「は、はい!」

これで終わるかと思ったが破片をいれようとしてもうまく入らない。入っても一つか二つだ。袋と床の隙間に破片が入り込んでしまっている。これではいつ終わるのかわからない。

「細かく割ったな」
「すみません……」
「しかも僕のカップか」

特に大事な物ではないが責めるようにわざと言ってやる。

「……すみません。代わりの物を買ってきます」
「壊して終わりか」
「え?」
「壊せば終わるな」

少しずつしか入っていかない破片を見つめながら呟く。
自分でも何故こんな事を言ってるのかわからない。こんな何もない生活に飽き飽きしてるのだろう。自分は何のために統制機構にいてキサラギ家にいるのかがわからない。
仕組まれているようでわからないまま流されていく。硝子越しに興味もなく見つめるだけ。壊せば終わるのに壊しもしない。ただの人形だ。

「そんなこと……言わないで下さいっ。壊したら何も残らないじゃないですか」
「何もなければ壊してもいいのか、このカップのように」

少尉に視線を向けると目があった。泣きそうな表情だ。このまま逃げ出しかねない。

「ちが……違います。このカップに何もなかったわけではないです。私が秘書官についてからずっとこのカップにお茶をいれてました」
「だから何だ」
「思い出があるんです……だから」

視線を逸らして破片を見つめながら小さく悲しいと呟いた。

「少尉に壊すという意思がなかったのはわかった」

言いながら少尉から用具を奪い取る。顔を上げた少尉に袋のほうを差し出す。
理解はできない。だが必死さだけはわからないでもなかった。

「次までに新しい物を用意してこい」
「はい。少佐、カップを割ってしまって申し訳ありませんでした」

破片を袋に入れ終わり立ち上がる。改めての謝罪には何も返さなかった。


「貴様は“ノエル・ヴァーミリオン”か?」

やがて気配がして振り返ると見知った顔の少女がいた。
瞳は虚ろなのに攻撃的なものを感じる。

「……」
「“ノエル・ヴァーミリオン”かと聞いている」
「名前など意味はない。全て破壊するのだから」
「破壊とは無縁そうだった貴様がそんなものになるとはな。所詮あの人形達と同じか」

こちらが戦闘の意思を見せればすぐに戦闘となるだろう。もはや部下の面影はない。全て悲観して破壊すれば終わると思い込む人形だ。

「何がわかる。この世界は全て偽り。お前も偽りの英雄。何も救えはしない」
「貴様は知っているのか。あの男の真意を」

この場にはいないハザマ大尉……テルミ。出てこない事が逆に不気味に思えてくる。
質問に答えはない。そんなことは関係ないのだろう。

「破壊できればいいのか」
「破壊が全て。そして世界も私も滅ぶ」
「今の貴様が“ノエル・ヴァーミリオン”ではないのはよくわかった。来い、人形。僕が終わらせてやる」
「秩序の力は敵、だが私は止められない!」

破壊を望まなかった少女を終わらせてやるために構える。
かつてノエル・ヴァーミリオンと名乗っていた少女を理解したことはない。
だが望まないであろうことだけはわかる。
新しいカップを割らないように毎回気をつけていた少女がよぎる。馬鹿馬鹿しいがそれが僕の中に残っていた少尉との壊れない日常だった。



H23.12.15

壊れない日常
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