novel top ▲
床一面に広がる赤。
先程まで沸き上がっていた殺意がそれにより引いていく。
いったいどれだけの傷を与えたかもわからない。
一度倒れたはずだが幻影のようなぼんやりとしたものが見えた気がする。
気付けば足元に転がる骸から流れ出る血が広がっていた。
「引いたのは殺意ではなく、恐怖か……?」
行く手を阻むのならば殺してやる。
あいつと瓜二つの顔だ。殺すのに躊躇うはずもない。
躊躇うほどもはや理性はなかった。無理矢理外されてしまったような感覚だ。
最初はただ邪魔をするなら障害は排除するだけ。
だが、恐怖を感じてからはそれから逃れたくてひたすら刺した。
技も何もない。
『お前は連絡用のメモに何故こんな……』
『可愛いですよね!パンダさん』
『可愛いという問題ではない』
『何かまずかったですか?』
何を思い出しているのだろう。
骸との思い出など役にも立たない。捨てなければ。
もう一度ユキアネサで骸の胸を貫く。
勢いよく刺したせいか身体が弾むように動く。まだ息をしていたであろう時の動きに似ている。
だから何度も何度も刺し貫いた。
真っ赤に染まった身体から血が飛び散る。そして更に広がる。
殺した骸を貫く意味などない。
今度は殺意でも恐怖でもなく、殺していた。
何を?
「死んでもまだ話し掛けるか、少尉」
死して尚浮かぶ少尉の姿を殺していた。
刺し貫けば身体は動く。だから何度刺せども死なない。
「いつになったら死んでくれるんだ」
答えるわけがない。
『お戻り下さい!キサラギ少佐!』
今度はここに訪れた時の少尉が浮かぶ。
その姿を見た瞬間怒りを感じた。どうしてお前がいるんだ、と。
でもお前はあいつではない。
「戻れではなく殺せばよかったんだ。この馬鹿が」
薄々どうしてこいつが僕の秘書官などに任命されたのか予想がついていた。
最初はわからなかったが、適性値が高い事以外に秀でているものがない。
ならば駒として使われているのだと。
それに関しては別にどうでもよかった。
『キサラ……ギ、せんぱい』
士官学校の時など数回しか会話をした事がない。
こいつが僕を苦手としているのはまるわかりであったし、僕もこいつに関わりたくなかった。
なのにどうして最後に呼んだ。
いつのまにか止まっていた手に気がつきユキアネサを鞘に納めた。
何かを伝えようとしているユキアネサを無視する。
少尉の髪や顔は自らの血で赤く染まっていた。
血に構う事なく床に膝をつく。頬の部分の血を手袋越しに拭うと手袋が赤く染まった。
その仕種は涙を拭うものに似ている。
実際泣いていたかはわからない。
「よく泣きそうにはしていたな」
配属直後や失敗した時などよく泣きそうな顔をしていたのを覚えている。
ならば死ぬ直前にも泣いたのだろうか。
もう片方の頬の血も拭う。身体がもはや見れたものではないものに反して顔は綺麗だった。
このまま顔と髪についた血をとればただ眠っているように見えるだろう。
恐怖に引き攣った顔や憎しみの表情を浮かべていたのなら身体のようにできたものを。
「お前も一応女だからな」
『酷いですよ、少佐。私一応女ですから色々気にするんですよ?』
また過去のやりとりが浮かぶ。
それに答える事はせずに立ち上がった。
流れた血を踏み、先へ進む。
もうこんな場所に用はない。行かねばならないのは兄さんの所だ。
血のついた手袋で頬を拭った。
拭うものなどなかったのに。
H21.9.16
拭うものなどなかったのに
prevU
next