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「入れ」

執務室の扉を叩くと返事が返ってきた。
いて当たり前なんだけど今日は睨まれないといいなと思いながら扉を開く。

「失礼します。報告書を記載するにあたって不明な点があったので……」
「どうした。報告書が落ちたぞ」

こちらに目もくれずに肩肘をつきながら書類に目を通している。
いつもの光景のはずなのにどこか違う光景に私は唖然とした。

「キ、キサラギ少佐?」
「何だ」

不機嫌そうにこちらに目線を向けると頭にあるソレが少しだけ動いた。

「っ!?」

思わず口に出しそうになった言葉を両手で塞いで押し込む。
キサラギ少佐は私を一瞥するとすぐに書類に目を戻した。
いつものキサラギ少佐なのに一箇所だけ違う。
動物の耳が頭についていた。
つけているのかと思ったら動いたから生えてるのかな?
以前私にもそんな耳がついた事があった。取ろうとすると痛くてどうしようか悩んだ。
キサラギ少佐もあの時の私と同じ状況のはずなのに平然としている。まさか気付いてない?

「っ……」

“可愛い”と言いたくて仕方がなかった。でも言ってしまえばきっと恐ろしい事になる。具体的にどんな事になるかはわからないけど、睨まれるだけではすまない予感がする。
でも言いたい。普段からは想像もできない可愛い動物の耳のつけた少佐。アンバランス?ギャップ?
口にしてしまわないように心の中で可愛いと連呼する。
ふわふわの毛は触ったら気持ちいいに違いない。

「おい」
「は、はははははい!?」

気付けばキサラギ少佐が私を見上げていた。
いつのまにこんな近寄ってしまったんだろう。
更に右手が少佐の耳に近づいていた。慌てて両手を後ろに隠す。

「耳の事なら気にするな。特に問題はない」
「気付いていたんですか?」
「気付かないわけがないだろう」

お前ですら気付いているのにという含みがあるのは気のせいではないと思う。

「以前お前にもついた事があっただろう。だが一晩経ったらなくなっていた」
「つまり今回も一晩経てばなくなるという事ですか?」
「一晩経ってなくならなかったら考える」

全く慌てたそぶりも見せないなんてさすが少佐ですと言いたくなる。
返される言葉に予想がつくから言わないでおくけど。

「お前じゃないからな」
「えっ……」

言ってないのに言われてしまった。
確かにあの時は慌てすぎたとは思うけど普通なんじゃないかとも思う。
それに隠してもらうとはいえあんな誤解されるような……おかげでしばらくは女性の視線が痛かった。

「さっさと用件を言って報告書を出せ」
「はい、すみません」

落としてしまった未完成の報告書を拾いにいく。
士官学校の時や隊へ配属された当初よりは会話もできるようになった。
でもやっぱり苦手。だけど嫌いなわけではない。むしろ……どうなんだろう。
報告書を拾いながらちらりと少佐を見る。
まるで私はここにいないかのように自分のやる事を黙々とやっているようで、私が見ていても少佐の視線がこちらに向けられる事はなかった。

「っ……少佐!失礼します!すみません、ごめんなさい!」

私は立ち上がり、報告書を机の上に乱暴に置いてそう言っていた。
一緒にいればいるほど、知れば知るほどわからなくなる。
ジン・キサラギという人が。

「少尉、何を」

だから私は少しだけ関わろうと思った。少しだけ前を向いてキサラギ少佐についていこう。
後ろ向きな私が家のためにここへきて、家のためだけではなく前向きになりたいと思ったから。
少佐を胸に抱きしめて耳を触ってみる。やっぱりこれは猫の耳かなと形や毛の肌触りを感じながら考える。

「……離れろ」
「だ、だめです」

くぐもった声が胸にぶつけられる。
顔は見えないけど無表情のままなのはわかる。特に身動きもせずに離せとだけ言われても離れようとはしなかった。

「やっぱり自分のとは違いますよね」

ふにふにと耳を触る。
自分の頭についてしまった時も触ってみたけどやっぱり違う。少佐のとなれば尚更。
本当なら顔を見たかったけどそんな勇気もなくふわふわな耳を堪能していた。
その時扉のノック音が聞こえた。

「入れ」
「失礼します。キサラギ少佐……え?」

私が声をあげる間もなく扉は開き男性の声がした。
すぐに慌てた声が聞こえて扉が閉まる。背にしているから状況は目にできなくても想像はできる。

「待って……!」
「無駄だ」

すでに遅くても何か言い訳はできるかもしれないと振り返って追い掛けようとした。
でも腰を引き寄せられて動けない。

「やっと前の噂も消えかかってきたのに残念だったな」
「あ……ぅ」

緩めた腕の中で少佐は少しだけ顔をあげて言う。
何となく楽しそうに思えるのはどうしてだろう。
私が困ってるからかという答えに行き着いた。

「そんなに耳がいいのか」
「え?あ、はい。だって可愛いし……」

口にしてから気がついた。頭についている耳が僅かに動いて、私は制止してしまう。

「そうか。そうだったな」

でも少佐はそれだけ言って黙ってしまった。
私はしばらく待っていたけどやっぱり少佐からは何も言われる事はなく、胸にあてられる息と腰に触れる腕の感触を心地よく感じていた。
目を閉じて頭についている耳に頬で触れた。

期待しても何もないとわかっていても。
どんな期待をしているのか私自身わからなくても。
少しだけ前向きに進めたなら。



H22.3.19

期待しても何もないとわかっていても
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