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「参ったな……」
冥土の羊に向かいながら呟く。
引き返す事も考えたけど予定通り向かう事を彼女にメールで知らせた。
「一目見たら帰ろう。そうしよう」
意を決して歩く速度を早めるとすぐに冥土の羊が見え、店先に見慣れた人影が見えて駆け寄った。
「ウキョウ!……ウキョウ?」
駆け寄る俺に気がついた彼女が笑顔で迎えてくれたけどすぐに顔が曇る。
「ごめん、今日はすぐ」
「何でそんなに濡れてるの?早く着替えないと風邪引いちゃう」
帰るという言葉を遮られて腕を掴まれ裏口へと引っ張って行かれる。
スタッフルームまで連れて行かれ彼女は店長に話してくると出て行ってしまった。
「やっぱりわかるか」
すぐに帰ればいいと思ってきたけどやはり上半身が濡れていたのはわかってしまったらしい。
黒いからわかりにくいかと思ったけど自分で思うよりも酷い見た目になってるのかもしれない。
「はい、ウキョウ。タオルと替えの服」
「え、悪いよ。でもタオルだけは借りようかな……」
「着替えて」
「でもそれ従業員用のだよね。俺が着ていいのかな」
「店長には了解を得てきたから大丈夫」
じゃあと差し出されるタオルを受け取り濡れた服を軽く拭いていく。
拭くよりも脱ぐほうが早いかもしれないとタオルを机に置いて上着を脱ごうとした。
「あれ?」
「どうしたの?」
「……脱げなくて」
「濡れてるから脱ぎにくいのかも。手伝うよ」
「手伝う!?」
驚きの声を上げてしまい彼女も驚いて目を見開いていた。
すぐに笑い出して微笑む。その仕草が可愛らしくも何だか気恥ずかしくなってしまった。
「後ろ向いて」
「でも……」
「ほら、早く」
躊躇する俺に近寄り上着の襟に触れる。初めての距離ではないのに胸が高鳴る。
「でも何でこんなに濡れてるの?雨は降ってないよね?」
脱がせてくれている彼女と共に自分の服を一生懸命脱ごうと腕の部分を引っ張る。
「時間があったからオリオンに会いに花屋に行ったんだ……そしたら」
「そしたら?」
片側が脱げ、もう片側に移る。
「ニールのうっかりで水かけられてさ」
その時の事を思い出しながら語ると無意識にため息が出た。
彼に悪気がないだけに怒るに怒れず、お客さんにかけないよう厳重注意をして花屋をあとにした。
「水ぐらい平気だけどさすがに君に会いに来るのにこれはないかなって引き返そうか迷ったんだ」
「メールくれたらよかったのに」
「その姿も好きだから見たくてさ」
もう片側も脱げた瞬間につい口から漏れてしまい、彼女が顔を上げた。照れたように俯き上着を机に置く。
「しゃ、シャツも手伝うね!」
「え!?いい!大丈夫です!ていうかそれ以上脱がせないで!」
シャツに手が伸びてきて慌てて後ずさる。
「シャツは上着ほど濡れてないから」
「でも……手伝うの楽しいのに」
「男の着替えを手伝うのが楽しいなんて言ってはいけません!」
たまに彼女は無防備に近寄ってくる。
信頼してくれてる嬉しさはあるけど男であるかぎり危険に代わりはない。
「わかった……」
残念そうにしながら肩を落とす彼女の身体を掴み反転させる。
「すぐ着替えるからその間そっち向いてて」
そう告げて急いで用意してもらった服に着替えた。
「似合うよ、ウキョウ」
「そうかな?」
「うん!」
自分の身体を眺める。用意された服は冥土の羊の厨房担当の人の服だった。
自分ではよくわからないけど彼女が嬉しそうで満更でもない気分になってくる。我ながら単純だけど彼女だからそう思うんだと思う。
「あれ、ウキョウさんここでバイト始めるんですか?」
「イッキ!?ち、違うよ!」
「ちょっとわけがあって服を借りたんです」
「そうなんだ」
スタッフルームに入ってきたイッキが僕を見てくる。
「じゃあ手伝って下さい。君も休憩まだあるけどフロア忙しくなってきたから入ってくれるかな」
「はい!」
「待って!僕に手伝ってって言ったんだよね?」
出て行きかけたイッキを呼び止めるとイッキは笑顔で振り返った。
「料理を運ぶくらいできますよね?トーマが来るまでですからそれまで持ちこたえて下さい」
こちらの返答は聞かずにイッキは行ってしまった。
常連だからにしても手伝わせるのは無茶があるんではないかと思う。
「ウキョウ」
呆然とドアを見ていると彼女が僕の手を取った。
「私もフォローするから。それに……ウキョウと一緒に仕事できるの嬉しくて、その」
「わかった!俺頑張るよ!料理運ぶぐらいなら何とかなると思うし」
楽観的だとは思う。でも彼女の言葉が嬉しかった。
彼女は嬉しそうな表情で見上げてくる。
「行こうか」
「うん」
彼女と手を繋いだままスタッフルームを出た。
アクシデントもこんな幸せへ繋がるならいいものだなんてやっぱり単純な自分だと思いながらそれすらも彼女がいるからなんだと握る手の温もりで実感した。
H24.8.8
幸せへのアクシデント
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