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居間のソファーに座り本を読んでいると笑い声が聞こえてくる。
「ふふっ、気持ちいい?」
視線を向けると居間の隅で春歌がアレキサンダーのブラッシングをしていた。
音を立てないように立ち上がり近づいていく。
「ひゃっ!」
何も言わずに後頭部に触れると声を上げて驚いた。
アレキサンダーは気づいたようだが主人の意図に気付き知らぬふりをしていた。
「カ、カミュ先輩。びっくりしました」
「俺を放置した罰だ」
夕食の後片付けが終わるまで待っていたのにあんな楽しそうな声を聞かせられたら意地悪もしたくなるというもの。
「お邪魔をしてはいけないと思って……」
「構わん。今度からは声をかけろ」
「はいっ」
ブラシを握りしめ嬉しそうにする春歌に安堵する。
膝をつき屈み春歌とアレキサンダーを交互に見遣った。
「犬が好きか」
「犬も好きです」
「まあそうだろうな。生き物に対して恐怖は感じても嫌悪を持たなさそうだ」
俺の言葉に首を傾げる。
アレキサンダーを二、三度撫でふと浮かんだ問いかけが口に出た。
「動物を飼った事はあるのか?」
「はい。早乙女学園に通っていた時に猫を」
猫というのが気にかかり更に問う。
「今は?」
「それが突然いなくなってしまって」
俯き寂しそうな表情を見せる。
さぞ可愛がっていたのだろう。アレキサンダーへの対応からして容易に想像できる。
「恩義も感じず薄情な猫だな」
「違います!」
顔を上げて珍しく強く否定する。無意識だったようですぐに謝罪の言葉を口にした。
「すみません……でもクップルにも何か事情があったんだと思います。私から離れてもいいんです。ただ無事で幸せでいてくれたら」
「クップル?猫の名か」
「はい。まるで人の言葉がわかるようなお利口な猫でした。メロンパンが大好きで、私が課題の作曲作りで悩むと励ましたり曲を聴いてくれたりしたんです」
懐かしむように話すが段々声音に覇気がなくなっていく。
アレキサンダーも気づいたのか春歌を見上げ鳴き、顔を擦り寄らせた。
「ありがとう、アレキサンダー」
「そんなに利口なら逞しく生きているだろう。大方音楽に囲まれて生きているのではないか?」
「そうかもしれません。そうだと、いいです。ありがとうございます」
立ち上がり言うと春歌は俺を見上げて笑みを浮かべた。
翌日。事務所に入るとソファーに座る見慣れた後ろ姿があった。
「丁度いいところにいたな、愛島」
「何ですか?ひっ!」
振り返り俺を視認した愛島はソファーの背もたれに隠れるように身を縮こませた。
わざと靴音を鳴らし近づき、意味のない隠れ方をしている愛島を見下ろす。
「カ、カミュ。何ですか?」
「貴様に話がある。立て」
「いやです。カミュは怒っている!」
「わかっているなら早くしろ。俺が気は長くないと身を持って思い知っているだろう」
「そう思うなら改善して下さい!おおらかになるべきです!」
「貴様の首根っこを掴んでやってもいいんだぞ?」
愛島は動く気配はなく俺を上目遣いに見ているだけ。
息を吐き背を向けた。
「ここでする話ではない。早くしろ、クップル」
「……なぜカミュがあの名を知っているのですか?」
クップルと口にすると愛島は渋々ついてきた。
無言のまま歩み、自宅がある森に踏み入ると口を開いた。
「春歌に訊いたからに決まっているだろう」
「それをワタシに言う意味がわからない」
足を止め振り返る。
「貴様がクップルだからだ」
「……カミュ、怒っています」
愛島が母国で呪いをかけられ日本に来た事は聞いていた。
ろくに外に出た事のない王族がよく生きてこられたものだと思ったが春歌の話を聞いて納得した。
「俺が怒る理由がわかっているのだろう?」
「笑顔が怖い、です」
わざとらしいまでに笑みを浮かべてやる。
愛島は恐れを感じたのか一歩後ずさった。
「貴様も運が良かったな。春歌に拾われていなかったら死んでいただろう」
「恐ろしい事を言わないでください!ですがその通りです。春歌はワタシの命の恩人。幸せになってほしいのにカミュをパートナーに選んだと聞いて真っ青になった」
「本当に猫だったとわな」
春歌が飼っていたクップルだと認めたため俺への暴言は流してやる。
「あの時は仕方なかった!このまま猫のままなら春歌のそばにいたいと思った。一緒に暮らしていたのは猫の姿です。怒るならカミュも犬の姿になればいい」
「何を意味のわからん事を。俺はこの姿でも春歌と暮らしている」
「むぅ……」
不満そうな表情をするが構わずに体を自宅の方向に向き直し歩き出した。
「怒っていない?」
「春歌から話を聞いた時は怒りを覚えどうするか考えた」
「大人げないです!猫ですよ!」
「黙れ」
「じゃあワタシはなぜ連れて行かれてるのですか?」
黙らずに問いかけられるが春歌の待つ自宅に到着するまでに説明はしておかねばならない。
「猫の心配をしていた。正体は明かさずにクップルとやらは無事だと春歌に言え」
「春歌に心配をかけてしまったのですね……」
「全く、世話になったのなら最後に何かしていけ」
「ワタシができる最大限で恩返しをします!まず歌を」
「黙れ。到着までに何と言うか決まってなければどうなるかわかっているな」
「わ、わかりました」
愛島は黙り、沈黙のまま歩いていく。多少声には出しているが真面目に考えているならばそれでいい。
「春歌を大切にしているのですね」
自宅である塔の扉の前までくると愛島が言い出した。
振り返ると愛島が笑みを浮かべる。
答えるまでもない。
扉を開け俺を待つ愛しい者に帰宅を告げた。
H25.4.22
愛しい者
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