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星奏学院に転校してきて一年と少し。
学院に来てから二回目の誕生日を迎えた今日、僕は彼女と海浜公園を訪れていた。
「今日はここで練習をするの?」
彼女に着いてきてほしいと言われて着いてきた。もちろん断る理由なんてない。
でももう夕方で風も冷たく、練習をするには辛いんではないかと思った。
だけど彼女は何も言わずに笑んで僕の手を引いていく。
互いの繋がれていない手には楽器のケースを持っている。
もうどこへ行こうとしているのかは予想ができていた。
彼女をはじめて見た場所。
はじめて、彼女の音を聴いた場所。
「加地くん、弾こう?」
目的の場所までくると彼女の手が離れた。
やっぱり以前僕が彼女にはじめて見た場所だと告げた所だった。
椅子にケースを置いてヴァイオリンを取り出す彼女をただ見ているしかない。
「加地くん?」
「香穂さんの、音が聴きたいな」
いつもなら一緒に弾く事、彼女の音色を少しでも引き立たせる事ができる幸せがあるはずなのに今はヴィオラを取り出す事ができなかった。
この場所で、彼女と一緒に弾く事ができない。
はじめて聴いた光景は今でも思い出せて、その中の音色に自分の音色を合わせる事ができなかった。
彼女は心配そうに覗きこんでくれるけど僕は笑んで返す事しかできなかった。
彼女は何も聞かないでくれた。そしてヴァイオリンを構える。
彼女が瞼を伏せたこの瞬間、音色が奏でられるまでの間が苦しくなる。まるで息ができなくなったように。
やがて音色が奏でられると暖かな空間にいるような、安心して、でもどこか苦しくさせる。
この光景はあのはじめての時と変わりがなかった。見つめている事しかできない。
「……?どうしたの?迷子かな」
上着の裾が引かれたような気がして下を見ると小さな男の子が僕を見上げていた。
気付くと周りに彼女の音色に惹かれた人達が集まってきている。
「弾かないの?」
「え?」
一瞬何を言っているのかわからずにいるとすぐに男の子が指をさした。
指したすぐ先には僕が持つヴィオラのケース。
「……今はヴァイオリンのお姉さんが弾いてるからね」
「弾けないの?」
「うん、弾いてはいけないんだ」
屈んで男の子の目線に合わせて、ヴァイオリンの音色を掻き消さないように話す。
男の子は眉根を下げて悲しそうにした。今にも泣いてしまうんではないかと心配になる。
「寂しいよ」
「寂しい?」
「あのお姉さん一人は寂しいよ」
彼女に視線を向けるといつもと変わらない、幸せに包まれるような音色を彼女は弾いていた。
でも何かが足りない。
男の子の表情が音色に重なっていく。
去年は僕の誕生日だからと彼女にヴァイオリンを弾いて貰った。
今年は僕の誕生日に彼女の音をはじめて聴いた場所で一緒に弾こうと言ってくれた。
でも僕は弾けない。弾けないのにはじめての光景と変わらない光景を見て寂しいと感じてしまっている。
寂しいのは僕なのに、彼女にもそんな気持ちにさせてしまっている。
見たい光景は同じはずなのに、どうして僕はここに佇んでいるんだろう。
「ありがとう」
男の子の頭を撫でて立ち上がると男の子は笑った。
「加地くんと二人で弾きはじめたら人が集まってきてびっくりしちゃった」
「僕が弾く前から人はたくさんいたよ」
演奏が終わって少しして集まった人がいなくなった頃、離れがたくて椅子に腰掛けていた。
「香穂さん」
「なに?」
「どうしてここに来たの?」
今日この日にこの場所に香穂さんは計画して来たようだった。
その理由を知りたくて問い掛けると香穂さんは正面を向いて遠くを眺めた。
「加地くんが私を見つけてくれた場所だから、その場所で弾きたかったの」
「そんな、香穂さんが僕を引き寄せてくれたから」
言葉を遮るように彼女がこちらに勢いよく顔を向けた。
ジッと見つめられて言葉が続けられなくなってしまう。
「両方だね」
「そう、だね」
微笑む彼女に自然と頷いていた。
「私はこれからもヴァイオリンを弾いていたい。加地くんと一緒に」
ただ見ているだけでよかった。
だけどそうではないのだと気付かされる。
「か、香穂さんっ!?」
頷こうとすると香穂さんが身を寄せてきて胸に顔を埋めた。
どうしたらいいのかと考えながらもどうする事もできずに硬直する。
「加地くんだけじゃないから」
「え?」
「私も加地くんの音を聴いていたいし、一緒に弾きたい。だから離れた場所にいかないで」
望んではいけないと思ってはじめての光景に戻ろうとする。
それが互いの寂しさになってしまい、音色が悲しさを伝える。
「……ありがとう、香穂さん」
でも今は違う。もうこの場所を離れた所からただ見つめる位置にはいない。
彼女も望んで、僕も望む。
だからその証を確かめるように香穂さんを抱きしめた。
H22.11.24
彼女も望んで、僕も望む
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