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廊下を歩いていると窓が開いていたのか生温い風が入ってきた。

「もう夏なんだね」

少し後ろを歩いていた天宮が呟く。
特に返す言葉もなく歩を止める事もしなかった。
もう夏だ。
全国での頂点を決める季節。天宮はそれに参加する季節になったと言うように呟いたのだろう。


俺は音楽を極めてきた。
もはやステージの上でしか存在できないように奏で続けた。

「所詮そんなものか」

パソコン画面に映された受賞結果を見て、すぐに参加者一覧へと戻す。

“小日向かなで”

確かに出場はしているのに何一つ受賞する事はなかった。
あの7年前から。

「貴様はステージ以外の場所に行くつもりなのか」

気付けば俺は小日向かなでが参加する演奏会へ向かっていた。

『もう夏なんだね』

もう夏だ。
俺は自分の意図などわからずに夏を迎える前に小日向かなでの音を聞かねばいけないと何かに導かれるように訪れた。

ステージに立つ小日向かなでは昔のように儚く小さかった。だが音は違っていた。
そこで去らなかったのはステージに立つ存在が自ら抑えこむような印象を持ってしまったからかもしれない。
お前はこんなところで終わる存在ではない。

“お前はここで終わるのか?”

そんな手紙を残してしまった理由は自分にもわからなかった。


「冥加さん!」

かけられた声に振り返ると小日向がいた。
東日本大会が始まる前に楽器店で見かけた時は何の冗談かと思った。
しかし制服で星奏学院の生徒になったのだと気付いた。
7年前の事など忘れ、俺に気付く事もない。
なのに話し掛けてくるなどおかしな奴だ。

「今日は野菜ジュースを持ってきたんです」
「だから何だ」

紙パックの野菜ジュースを見せながら言うと、今度はそれを差し出してきた。
前にも別の物を差し入れと言って渡してきている。

「何故構う」
「え?」

俺の問いに返答できずにいると表情を曇らせて顔を俯かせた。
差し出された野菜ジュースだけがこちらに向けられている。

「仕方ないから貰ってやる」
「あ……はい!」

野菜ジュースを手から奪い取ると小日向は顔を上げて笑った。
そんなに喜ぶ事でもないだろう。
そしてまた借りを作るわけにはいかないと返す物を考える。
もう手元にはない野菜ジュース。ならば返す物も残らないものがいい。

「花か……」

最初に思い浮かんだものが花だった。贈ったのはラベンダー。
それから野菜ジュースを貰えばラベンダーを返すという奇妙なやりとりをした。

東日本大会、全国大会セミファイナルと進み、全国大会ファイナル。
たった一ヶ月がこんなにも俺を揺さぶるとは。

思えば俺は待っていたのかもしれない。
出会ったステージでずっと。
もう憎いのか愛しいかすらわからない。ただこのステージで俺は小日向かなでと音を奏でたかった。
小日向かなでが訪れなければ気付かなかった。7年気付かずにいたのにたった一ヶ月で……。

負けて悔しいというよりは何かが抜け落ちたようにステージに残っていた。
始まった場所で終わりを迎える。
もしこの場に小日向かなでが来たらまた始まるのだろうか。
残骸と成り果てた俺でもステージで存在できるのか。
奇跡など起こりはしない。

「っ!?」

会場の扉が勢いよく開かれた音に弾いていたヴァイオリンの音が途切れた。
どんな気持ちで扉に目を向けたかなどわからない。
ステージに走ってくる人影を構えていたヴァイオリンを下ろして迎える。
ヴァイオリンケースを持って息を切らしている。

「冥加、さん……」

息を整えながら微笑む。
その微笑みに釣られるように俺も笑んでいた。

「愛のあいさつを弾いてくれないか」

終わりを告げたステージに再び始まりを告げる音色を。



H22.3.22

終わりを告げたステージに再び始まりを告げる音色を
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