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理事長室に戻ると先に行くよう伝えていたはずの小日向の姿が見当たらなかった。
どこか寄っているのかと中へと足を進めて視界に入ったものに驚き立ち止まった。
「小日向?」
ソファに体を横たえ寝息を立てる幼い少女。その姿は初めて出会った小日向かなでの生き写しだった。
「ん……」
目蓋が上がっていき目を軽く擦りながら起きる。呆然と見るしかなく佇んでいると目が合う。
「だれ、ですか?」
「……お前は小日向かなでか?」
思っていた以上に低くなったのか幼い姿の小日向は怖がった様子でかろうじて頷いた。
足を踏み出し机に向かい椅子に座る。机の端には先程小日向が話していた鮮やかな色の小瓶が置かれていた。
先程までは確かに俺と話していた。話しながら気に入った小瓶を見つけたのだと笑っていた。これは夢に違いない。小日向かなでと名乗りながら俺を知らないなど悪夢だ。
「きれい」
声に我に返り視線を向けると小日向が机の端に掴まり目まで見せていた。動きから背伸びをしているのだろう。
「これか」
小瓶を持ち、差し出す。小日向は机から手を離し小瓶を見つめる。
「これはお前のだ」
「くれるの?」
「だからお前の」
「ありがとう!」
言葉を遮り礼を告げられ、小さな両手が小瓶を受け取るために伸ばされる。微かに手が触れ小瓶は小日向の手に移った。
満面の笑顔を見せられ出会った時の小日向かなでと重なりやはり小日向かなでなのだと思う。
「どうした」
周りを忙しなく見始め声をかける。
「わたしのヴァイオリンがないんです」
それはそうだろう。大方今の小日向かなでが探しているのは子供用のヴァイオリン。それがここにあるわけがない。
だが説明をどうしたものかと悩むと泣きそうな表情を見せ思わず立ち上がる。
「そんなに弾きたければ探してやる。だから泣くな」
手配してどれくらいで届くだろうか。受話器に手をかけ、子供用のヴァイオリンの手配をする。
「お前のものはすぐには見つからないがお前が弾けるサイズのヴァイオリンが届く」
「ありがとうございます」
頭を下げる姿を見て落ち着き椅子に座り直した。
こんな短時間で弾きたくなるとは小日向らしいといえばらしい。
「座ったらどうだ」
立ったままの小日向に言うと返事かのように空腹の音が聞こえてきた。少しの沈黙のあと小日向が恥ずかしそうに腹を両手で隠すように触れソファに座った。
息を吐き再び立ち上がり茶菓子と紅茶を用意する。最近は小日向がしていたことだ。
「菓子しかないが」
小日向の前に置いてやると俺の顔と目の前の食べ物を交互に見る。砂糖を入れてやり飲むよう促す。通常入れていた数よりも一つ多めに入れた。
「あつっ……」
「冷まして飲め」
言うと小日向は頷き笑みを浮かべた。熱いはずなのになぜ笑んだかわからないがひとまずはこれで大丈夫だろう。
「あなたもヴァイオリンを弾くの?」
立ち上がると言われ置かれているヴァイオリンケースに視線をやった。
「冥加だ。冥加玲士」
「みょうが?」
「名だ」
「みょうがさん!」
幼い小日向に名を呼ばれるのは奇妙なもので不思議な感覚だった。
あの時小日向が勝利すれば俺と枝織は今どうしていたかわからない。そうは思ってもやはり情けをかけられ勝利を譲られることはそれが名を知らぬ少女だとしても認めた音色の持ち主だからこそ屈辱だった。こんな小さな少女に俺はずっと囚われていた。大きな存在が俺を占めた。
もしかしたら幼い小日向かなでに名を呼ばれる運命もあったのかもしれない。だが俺が今いるのは7年幼き少女に囚われる運命だ。
もしもなど空想でしかない。今の状況もひとときの夢。ならば戯れに楽しむのもいいだろう。
「届いたらお前の音色も聞かせてもらおう。それまでは俺の音色を聞くがいい」
「はい、みょうがさん!」
ケースからシュトゥルムを取りだし少女に向けて奏でる。
これからも永久に俺を捕らえる愛しき少女のための音色を。
H26.12.12
愛しき少女
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