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「そういえば衛藤くん、しばらくタイつけてないね」
放課後。屋上に行く途中に香穂子が今更気付いたように言った。
入学式ぐらいしかちゃんと着けてた記憶がない。もう桜もすっかり散って梅雨も近いっていうのに。
「制服合わせの時に誓った」
「何を?」
タイのない胸元と顔を交互に見てくる。
入学式の時に見てるんだからわかりそうなものなのに。
「音楽科の制服は合う奴を選ぶ。俺は合わなかった、それだけ」
「だからタイをつけないの?」
香穂子に問いに頷いた。
制服合わせの時に鏡に映る自分を見て衝撃だった。
合わなさすぎだろ。
「新入生なんだなって思えてよかったのに」
入学式の時の俺を思い出してるのか顔を上に向けて残念そうにする。
「何がいいんだか……」
香穂子とは反対の方向に顔を逸らした。
確かに香穂子は先輩だけど年下扱いされるのも今更すぎて何だか嫌だった。
「拗ねた?」
「そこは怒ったか聞くところだろ」
入学してから年下扱いされてるのは気のせいだろうか。学年がはっきりわかって後輩という実感が湧いてきたとか?
「でも土浦くんもタイ着けてないよね。普通科の時は着けてたのに」
「それはそうだろ……」
俺も似合わなかったけどたまたま同日に制服合わせに来ていた梁太郎さんも似合わなかった。
その時の事を思い出して苦笑しか出てこない。
「行事の時はちゃんと着けてるんだろうしいいんじゃない?俺もそうだし」
「そんなに音楽科の制服好きじゃない?」
「好き嫌いとかじゃなくて合う合わないの問題。あと好み」
音楽科の制服は決められたように着てしまうと着崩しにくい。
まだ学ランの方がよかった。着るのも楽だったし。
「私は音楽科の制服似合ってると思うけどな。普通科の制服も似合いそうだよね」
「は?」
香穂子の顔を見ると想像したのか頷いている。
音楽科より普通科の制服のほうがまだ合いそうな気はする。
そもそも制服なんてなくして私服にしてくれれば楽なのに。
「あ、加地くん!」
香穂子の声に我に返ると前方からにこやかな笑みを浮かべてる葵さんがこちらに歩いてきてるのが見えた。
軽く手を挙げて駆け足になる。そんな嬉しそうに寄ってこなくてもあんたは香穂子と同じクラスだろと言いそうになるけど、返っくる言葉はわかりきってるから言わない。
いつ会ってもたとえ一分前でも一秒前に会っていても嬉しそうにするんだろう。
「二人はこれから練習?」
「うん。加地くんは?」
「僕は練習室で練習しようかと思って。あとで行ってもいいかな」
香穂子だけにではなく俺に向けても言ってくる。
断っても仕方ないし黙ってると香穂子が返事をしていた。
「うん、屋上にいるから」
「ありがとう」
そこで会話終了かと思えば香穂子が葵さんをジッと見つめだした。
と言っても難しい顔をしてるもんだから今までしてた会話から何なのかだいたい予想はつく。
でもわからない葵さんは香穂子に何度か呼び掛け、応対を忘れたように見つめ続ける香穂子に困り出して俺に助けを求める視線を向けてきた。
でも俺はそのままにしておく。
あとで屋上に来るんだろうし邪魔される腹いせをここでしても別に平気だろう。
「日野さん?」
でも予想外に香穂子の思案の時間が長かった。
普通彼氏の前で他の男を見つめ続けるか?
そんな気はないとわかっててもやっぱり面白くはない。
「香穂子、時間なくなる」
「あ!そうだね。加地くんは音楽科のタイちゃんとつけそうだね」
「へ?」
満面の笑みで自己完結した答えを言われても困るだろう。
葵さんは少し困惑したまま首を傾げた。
確かに葵さんなら似合うかもしれない。実際似合うかはしらないけど似合いそうなタイプというか。
「じゃあ、葵さん」
「あ、うん」
会話を打ち切ると葵さんを横切って歩き出す。
香穂子が余計な事を言い出さないうちに。
慌てて駆け寄ってくる香穂子を確認して歩みを進めた。
「でもやっぱり衛藤くんも似合うよ」
後ろにいるから表情はわからなかったけど満面な笑顔なんだろう。
いくら言われても自分では似合うとは思えないけど、彼女に言われると嬉しくなる。
恥ずかしいから言ってやらないけど。
「早くしないと練習時間なくなる」
「うん」
少し早足で屋上に向かった。
この気持ちを音で伝えたいと思ったから速まったのかもしれない。
H22.6.3
この気持ちを音で伝えたいと思ったから
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