four



「よう、ディルックの旦那。なんだか随分と久しぶりに会う気がするなぁ」

 相変わらずの軽々しい口調でそうのたまったその男に、思わず微かな殺意が芽生えてしまったのも無理はないことだろう。

 あの月夜からまた数日が過ぎた今日は、アカツキワイナリーにおけるブドウの収穫の日だった。
 酒、特にワイン類を作る際には必要不可欠なブドウ。つまりそれの収穫は、酒造業の盛んなモンドにおいてひとつの一大イベントと呼べるほどのもの。
 ワイナリーの広大なブドウ畑を相手取るには、ワイナリーにある人手だけでは不十分だ。それゆえ、毎年この日はモンド城から人を雇い、総出でブドウの収穫に当たるのが通例となっている。
 今年も今年とてその例に漏れず、モンド城から多くの人を呼び込んでブドウの収穫に臨む、……のだが。先述したように、モンド城からアカツキワイナリーまでを一般の人々が移動する際には護衛が就くことが暗黙の了解として定められている。
 そして今日のそれを担当したのが、ディルックの長らくの頭痛の種となっているあの男だった。そして、その男がディルックを見て開口一番に吐いた言葉が先のそれだった。つまりはそういうことだ。
 今日のこの収穫やそれ以降の様々があったために、ディルックはこれまで、ガイアについての個人的な葛藤や悩みをただ内心で燻らせておくことしか出来なかった。それがどれだけ不快なことだったかなんて、きっこの男には想像もつきはしないのだろう。そんな八つ当たり染みた思いと舌打ちを胸の内に隠し、ディルックはブドウの収穫に専念するためガイアに背を向けた。
 収穫直前に続いたあの長雨の影響が懸念されていたけれど、幸いなことにそれほど大きな被害はなく、たわわに実ったブドウたちは今、太陽の下で今か今かと収穫の時を待っている。
 今年も何とかいい酒を用意することが出来そうだ。ブドウ畑の管理担当と共に胸を撫で下ろしながら、ディルックは集まった人々へ慣れたように指示を出し始めた。

 その一方、ディルックに背を向けられたガイアはひとり、ワイナリーの玄関ポーチの片隅でぼんやりとそんな彼らの姿を見つめていた。ガイアの仕事は移動中の護衛だけであるためわざわざブドウの収穫を手伝ったりする必要はないのだけれど、生憎じっとしているだけというのはなかなか性に合わない。
 少し時間をおいて、しばらくした頃適当に収穫作業に混ざってやろう。そんなことを静かに画策しながら、ガイアは壁に背を預けた。
 そのまま周囲を観察する様に視線をぐるりと巡らせる──中で、ふとガイアと誰かの目がぱちりとかち合う。その誰かとは、ここアカツキワイナリーのメイド長であるアデリンであった。
 顔見知りでもある彼女に、ガイアは反射的にいつも通りの笑みを浮かべてみせる。そうすればアデリンはどこかはっとしたような表情を浮かべ、そのままこちらへと足早に歩み寄ってきた。

「すみません、ガイア様。少々よろしいでしょうか……?」
「ああ、もちろん。一体どうしたんだ?」
「実は……」

 彼女曰く、屋敷のほぼ全員がブドウの収穫に出払っている今を狙ってメイド数人で屋敷内の大掃除を行っているのだけれど、シャンデリアを天井から降ろすための装置が途中で引っかかってしまい、二進も三進もいかなくなってしまったのだとか。
 天井近くで起きてしまったその不調に、小柄なメイドたちでは梯子に上っても手が届かない。そこで背丈のある男性を探していたところに、丁度良く暇そうにしているガイアがいた、と。
 確かに、わざわざ畑にいる男性陣を呼び戻すというのもあまり効率的ではない。申し訳なさそうな表情のアデリンに、そういうことなら手を貸そう、とガイアは快くその依頼を受け取った。モンドに住む人々のそういった悩み事を解決することも、西風騎士団の立派な仕事なのだ。
 アデリンに導かれるまま、ガイアはワイナリーの豪邸内へと足を踏み入れる。ワイナリーへと訪れること自体はこれまでに何度もあったけれど、こうして建物の中に入るのはもう随分と久しぶりのことだった。カーペットを踏む爪先に初めは少しの緊張が滲んだけれど、1歩2歩と歩くうちにそれも次第に薄れていく。なんだ、案外こんなものなのか。ぽつりと脳裏にこぼしたその言葉は、この世界の誰にも届きはしない。

 シャンデリアの装置に生じた引っかかりを解消する作業は、それほど時間や手間を要することもなくあっさりと終わった。
 メイドたちからの感謝の声に応えながらそのまま掃除の手伝いでも……と提案してみたのだが、それは流石にダメだと断られてしまった。精鋭揃いのこの屋敷でよそ者が余計なことをするのは確かに迷惑だろう。残念残念、と軽くそれを笑い飛ばして、ガイアは何とはなく屋敷内をぐるりと一望する。
 以前ここを訪れた時とほとんど変わっていない内装の中、ふと、ガイアの視線があるものに惹かれていった。
 正面玄関から入ってすぐ左手の場所に飾られたその大きな花瓶は、屋敷内の装飾と照らし合わなくとも「これはないだろう」とひと目に判断できるほど奇抜なデザインをしていて。屋敷の一角に繰り広げられたその光景のあまりの不格好さに、思わず笑みがこぼれてしまう。

 なんだそれ。

 思い出したのは、しばらく前にエンジェルズシェアにて訳有ってディルックと同じ机を囲んだ時のこと。その際に同席した他の2人との会話の中にふと触れられたとある内容。当時の自分が、きっとただの冗談だろうと聞き流してしまったあの言葉。

「……なんだよ、それ」

 喉元に声が掠れた。あまりにも小さな小さなその呟きは、誰の耳に届くこともなく空気の中にかき消えていく。じりじりと胸のあたりが焦げ付いていく感覚が酷く不快で、無性に腹が立った。
 投げつける宛てのないその苛立ちに、また笑みがこぼれる。
 嘲笑とも呼べる乾いたその笑いは、他でもない彼自身に向けられたものだった。


  ***


 朝から行われたブドウの収穫作業が終わったのは、空の半分近くが夜に染まった頃のこと。モンド城から雇われてきた人々はその日一晩をアカツキワイナリーで過ごし、翌日の午前中にモンド城へと戻ることになった。
 復路の護衛を任されているガイアは、どうやら殊勝にも昨夜の飲酒を控えていたらしい。そのことに、やはりディオナの言う通り彼は味覚に何か麻痺を患っているのだろうかと考えるけれど、夕食時の彼には特別変わった様子が見られなかったという事実がそれを足止めしてしまう。
 単刀直入に問い詰めれば簡単に答えてくれるぐらい素直な相手ならばこれほど困ることもなかったのだけれど。やはり現実はそう甘くないらしい。
 人々の乗り込んだ馬車に寄り添ってアカツキワイナリーを去っていくガイアの背中を静かに見つめながら、ディルックは静かに考え続けた。どうすれば隠れ鬼の得意なあの男を完膚なきまでに捕まえてしまえるのだろうかと。


 ──……そのガイアがアビス教団の魔術師たちによって連れ去られてしまったという話がディルックの下へ舞い込んできたのは、その日の夕方近くの頃のこと。


 なんでも、アカツキワイナリーからモンド城までの道のりの間で突然馬車が敵の集団に襲われ、その中にいる人々を無事にモンド城へ送り届けるためにとガイアだけがその場に残ったのだという。そのおかげで無事モンド城に辿りついた人々が慌てて西風騎士団に駆け込み、その報告を受けて騎士団の応援が即座に向かった。しかし、そこには敵の姿どころかガイアの姿も残されておらず、周囲を広範囲に捜索しても何ひとつとして手掛かりは得られなかった、と。
 ジンからの指令を受けて遥々アカツキワイナリーまで駆けてきた西風騎士によるその報告を一通り聞いたディルックは、たったひと言だけを返した。

「そうか」

 あまりにも冷静かつ淡白な彼のその反応に、伝令役の西風騎士は一体何を感じたのだろう。何かもの言いたげな表情を浮かべた騎士は慌てて唇を噛みしめ、失礼しますと言い残してディルックの前を辞していった。その背中にどうしようもない憤りが滲んで見えたのはきっと、気のせいなどではないのだろう。

 ……どうやら、ガイアはあの騎士に随分と慕われているらしい。

 そんなことを胸中にぽつりと理解しながら、ディルックはおもむろに視線を窓の外へと向けた。
 そこに広がっているのは燃えるような空。夕暮れ。今日という名の世界が終わっていく姿。黎明とは対を為すものでありながらも、その姿を似通わせた存在。
 あの騎士はもう、ワイナリーを離れてガイアの捜索に戻ったことだろう。
 窓に手のひらを伸ばし、指先でその表面を撫でた。きい、とガラスの軋む微かな音を聞き遂げたディルックは、次の瞬間黒いコートの裾を翻して歩き始める。その爪先は迷うことなく、ただ真っ直ぐに黄昏の中へ。

 向かう先は、もう決まっていた。


  ***


 壁に叩きつけられた衝撃に呼吸が止まる。その反動のように溢れてきた咳をげほげほとこぼせば、口内に血の味が滲んだ。喉が切れたのか、それとも口の中が切れたのかは正直分からない。
 石造りの床にそのまま倒れ込めば、水と氷に苛まれた身体が肌を裂くような冷たさに侵されていく。氷元素を操る神の目を与えられたこの身は、どうにも未だに寒さとの折り合いが悪いままなのだ。骨までもが氷漬けになってしまうような感覚に背筋を震わせながら、それでもガイアはただ耐え続けた。
 本当の『寒さ』なら、とっくの昔に経験している。だからこんな寒さなど自分にとってはぬるま湯も当然。耐えられないわけがない。自らにそう言い聞かせれば、本当に寒さが幾分か和らいだ気になるのだから不思議だ。
 アビスの魔術師たちの下卑た笑い声を聞き流しながらガイアが考え続けるのは、一体いつどのタイミングでどうやってここから逃げ出すのかということ。
 馬車を守りながら多対一で戦い続けるというのは、流石のガイアといえども非常に難しいことだった。それでもなんとか馬車を逃がすことが出来た直後、一瞬の隙をついて敵から意識を昏倒させる類の攻撃を受けてしまったのだ。
 しくじったなと後悔するも時既に遅く、あれよあれよという間にガイアはアビスたちによって拉致され、そして今に至るという訳だ。
 ここに運ばれるまでの間に、何とか繋ぎ止めた意識の中で騎士団の仲間たちへの手掛かりを残しはしたのだが、それを彼らが見つけてくれるかどうかは正直賭けだ。それに、見つけてくれるとしてそれまでにどれぐらいの時間がかかるかも分からない。
 外からの救援はあまり期待できない、つまりガイアはこの窮地を何とか1人で脱してみせる他ないということだ。これは中々に骨が折れるなと、ガイアは視界に映るだけで軽く両手は越えるだろうアビスの魔術師たちの姿に、やや乾いた笑みを胸中に転がした。
 ここは、ガイアがしばらく前、あの大雨の日からずっと探し続けていたアビスの隠れ拠点なのだろう。朦朧とした意識ではここが正確にどこにあるのかまでは把握しきれなかったが、大まかな場所は理解出来た。すなわち、ガイアがここから脱出することさえ出来ればこの拠点を叩き潰すことも叶うのだ。そんな重要任務を失敗しては、ジンやアンバー、そしてクレーたちにどれだけ泣かれてしまうか分からない。

 彼女たちに泣かれるのは少し困る。それに──…

 ふと脳裏を過ったその輪郭に、もう何度目になるのかも分からない自嘲の笑みをこぼした。全く、昨日の今日だと言うのにどうしてこんなにも。

『──何をにやにやと笑っている』

 折角の思考を断ち切るかのように、気味の悪いアビスの声が鼓膜を叩きつける。直後身体を襲った氷のあまりの冷たさに、本能的な悲鳴が喉元を裂いた。ぴきぴきと肌が凍っていく感覚があまりにも鮮明で、脳内を駆け抜ける警鐘が必死に命の危険を訴える。氷元素の神の目を持った人間が凍死なんて、あまりにも字面が間抜けすぎるから御免蒙りたいのだけれど。

『さっさと吐けば楽になれるものを、どこまでも口の硬い奴め』
「ッ、ハハ、……残念だが、いくら俺を突いたところで、あんたらの求める情報なんか、これっぽっちもでてきやしねぇぜ」

 絶え絶えな呼吸に言葉を詰まらせながらも、ガイアは毅然とした態度でそう言い捨てた。神経を逆撫でするような物言いはついつい癖で出てしまったもの。悪気はないんだ、ああ、本当に。
 横たわったガイアの顔に水の塊が落とされる。呼吸を邪魔するついでに寒さまで厳しくしていくそれがまたガイアの体力を削り落としていった。
 水と炎の魔術師はともかく、氷の魔術師はシールドを張られてしまうと非常に厄介だ。何故ならガイアの元素攻撃があいつらには全く通らないから。神の目の2つ持ちなんていう贅沢が出来たならなぁ、なんてそんな馬鹿げたことを考えると同時、目蓋の裏にあの鮮やかな炎の赤が蘇ってきて。ああもう、やめろやめろ。そんなの思い出したって意味はないんだから。考えたってどうにもなりはしないのだから。

「……それに、餌が俺程度じゃ、あんたらのだーいすきな闇夜の英雄様だって、逢いには来てくれないぞ。絶対に、な」

 強い確信を込めた声が、石造りの空間の中で空虚にこだまする。敵側もその点についてこれ以上追求する意思はないようで、代わりとばかりに再び先程の問いを繰り返される。もう耳にタコが出来そうなほど聞いたそれに対して、ガイアもまた全く同じ答えを繰り返すことしかしないのだけれど。

『貴様はあの 硝真草しょうしんそう≠一体何に使っているんだ、答えろ!!』

 それは璃月地域を主な生息地とする希少な植物の名。ガラスのように透き通ったからだを持つそれの最大の特質は、『ありとあらゆる元素力を際限なくその中に吸収することができる』というもの。しかし、硝真草はあくまで元素力を『吸収』することしか出来ず、それを何かに変換したり、外へ再び放出したりすることは全くできないのだ。様々な研究者がその特質を何かに利用できないかと研究を続けているが、その歩みは非常に遅く、現時点での硝真草の利用価値はほとんどないに等しい。
 しかし、可能性だけの話をすれば硝真草は有用なものとなり得る存在だ。恐らく、このアビスたちもその使い道を探り続けているのだろう。硝真草にありったけ吸収させた元素力を爆発させることが出来れば、それだけでも彼らにとっては価値のあるものとなるのだから。

「何度も言ってるだろ? お前たちなんかには絶対に考えもつかない、とっても素敵な使い方をしている、ってな」

 この身体がもっと自由なものだったなら、ガイアはきっと、今頃腹を抱えて大笑いしていたことだろう。それぐらい、アビスたちのガイアへの詰問はお門違いも甚だしいものだった。
 しかし、アビスたちがそれを素直に受け止めてくれるわけもない。まあそこにはガイア自身の言い方という原因もあるのだが……今はあえて触れずにいよう。
 激昂したアビスが再びガイアに拷問という名の暴力を振るう。もう少し怒りで判断力を無くしてくれれば隙も突きやすいのだけれど、怒りに合わせて振るわれる暴力も酷くなるのだから少々考え物だ。
 視線を部屋に巡らせて、片隅に放り投げられた自らの武器と神の目の存在を確認する。戒めは有難いことに両手を背後で括られているだけ。縄を元素力によって芯まで凍らせてしまえば、きっと床に叩きつける動作で砕き割ることができるだろう。手首が凍傷になってしまう可能性など、今の全身の有り様を見れば考慮の必要もない。

 きいきいと喧しく騒ぎ続けているアビスを眺め見て、自分の身体の状況的にもそろそろ動くかと決意を固める。

 離れた場所にある神の目へと意識を送り、氷元素を両手の戒めとなっている縄へと集中させる。かなり骨の折れる過程ではあったけれど、それを可能にする精神力程度はしっかりとガイアにも残されていた。
 アビスたちの死角で縄が凍り付いていく。予想通り、平静を失った彼らでは、ガイアが使う元素力の微かな揺れを察知することも出来はしないようだ。
 無事に芯まで凍りついた縄を砕くために、勢いよく両腕を床に叩きつける。ぴきん、ぱきんと鋭い音が鳴り響き、両腕がひと息に自由を取り戻した。
 凍傷を負った手首が、甚振られ続けた全身が、少し身じろぐだけでも酷い痛みを訴える。それでも立ち止ることは許されない。驚愕するアビスを横目に、ガイアは自らの武器を手に取るべく駆け出した。

 ──……その瞬間、だった。

 ガイアのいる位置から、アビスを挟んで丁度反対側。この空間唯一の出入口があるのだろうと思われる方向。そこから突然何かが空間の中に飛び込んできた。
 ぶわりと肌を撫ぜたのは、火傷を負ってしまいそうなほどの熱風。冷え切った身体がその温度にぴりぴりと震え、思わず身体から力が抜けてしまいそうになる。
 けれどもそれを何とか持ちこたえ、ガイアは視線を熱風の巻き起こされた方へと向けた。そして直後、大きく大きく目を見開くこととなる。何故なら、そこにあった光景があまりにも信じ難くて、信じられなくて、そして同時に──…



「──ガイア!!」



 声が聞こえた。自分の名前を呼ぶ誰かの声だ。今この瞬間、何よりも聞きたくなかった声だ。喉が焼けつく感覚に言葉を紡ぐことも許されず、ガイアはただ奥歯をきつく噛みしめる。

 なあ、お前はどうしてそんな声で俺の名前を呼ぶんだよ。

 アビスの群れを焼き尽くした炎の鳥が、ひとつ大きな羽ばたきを残してふわりと空に姿を消した。シールドが剥がれ混乱状態に陥っているアビスがほとんどだが、中にはまだ何とかシールドを保っている者もいる。それを確かめて、ガイアは止まっていた歩みを再開させた。


 神の目を掴む、剣を握る。
 戦いは、未だ終わっていない。


 じわりと滲んだ視界はきっと、突然の熱風に目がやられてしまったせいに違いない。


  ***


 十数の魔術師とその他諸々を倒しきるまでに、そう時間はかからなかった。
 最後の1体を何とか始末したガイアは、満身創痍の身体を引き摺ってここから脱出しようと歩き出す。戦闘の途中途中に確認したところ、どうやらここは地下深くへ向けて蟻の巣のように形成されたかたちの拠点となっていたらしい。拉致されてきた際には確認できなかった内部構造をしっかりと把握し、また近いうちに西風騎士団で部隊を組んで調査をしに来なければ、と覚束ない思考の中で考える。

 その直後、ふらりと身体が大きく揺れた。

 そのまま世界ごと勢いよく振り回されていくような感覚に、ああもう限界なのかと理解する。まあそれなりに頑張った方なのではないだろうか。このまま自分が倒れてしまっても、あいつが自分の代わりにこの拠点をどうにかこうにか処理してくれるだろうし。だから、自分は、もうこのまま、全部全部を引き摺って……、

 地面に落ちようとした身体が、その直前に何か温かいものに抱きとめられた。

 雲に乗った時の心地というのは、こんな感じなのだろうか。そんな馬鹿げたことを考えてしまうぐらいにガイアは疲れ切っていたし、ガイアを抱き上げたその腕は酷く温かく、そしてたまらなく優しいものだったのだ。
 お前、最近妙に俺の世話を焼きたがるよな。そんな揶揄いの言葉を飛ばす余裕も、彼の行動に反抗する元気も、もちろん今のガイアには残されていない。凍えきった身体が温かい温度に溶かされていく感覚に酔いしれながら、ただゆっくりと意識を落としていくことしか彼には出来なかった。

「──ガイア」

 名前を呼ばれた。
 いつものように飄々と答えてみせたかったけれど、生憎それも叶わない。

「眠ったのか?」

 まだ意識はあるから、眠ってはいないと思う。
 けれど、彼の歩みによって規則的にもたらされる振動がどうも眠気を誘うから、きっと眠りに落ちるまでそう時間はかからないのだろう。

「…………君は、」

 ──ああ、やっぱりお前には見抜かれてしまうのか。


「君は、僕から一体何を隠そうとしているんだ」


 野暮なことを聞かないでくれ。それをお前には、お前にだけは知られたくないからこっちは必死に隠しているんだ。だから、なあ。探さないでくれ。知らないでくれ。
 こんなもの、知らない方がお前にとっても幸せなんだから。

 瞼の向こうにうっすらと朝陽がこぼれ落ちていくのが分かった。
 ああ、夜が明けたのか。

 意識が闇の奥底へと落ちていく。
 ああ。もう少しだけ、この温もりに触れていたい。
 ああ。どうか、どうかこの温もりの中でこのまま。


 ──……なあ、ディルック、



 俺は、あと何度同じことを繰り返せばいいんだろうな。




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