君の魂よどうかこの手のひらに(ガイア生誕祭2020)




 ガイア・アルベリヒの誕生日パーティを、是非エンジェルズシェアで行わせてもらいたい。ディルックがそんな依頼をジンから受けたのが、今からつい2週間ほど前のことだった。
 ガイアが任務でモンドを離れており、かつディルックがエンジェルズシェアでバーテンダーをしている夜を狙ってやって来た依頼主の姿と依頼の内容に、ディルックは分かりやすくその眉間にしわを寄せた。
 以前、確かにディルックは「ジンの慰労パーティを行いたい」という騎士団からの依頼に応じてこのエンジェルズシェアを貸し出した。しかしそれは、あくまでジンの普段の働きに対するモンドのいち市民としての感謝と労わりの気持ちからのことであって。
 だから、そう。今回のその依頼については、ディルックにとって受ける意味も理由もひとかけらもありはしなかった。故に、ディルックはいつもの如く「騎士団のイベント事に関与する気はない」と一蹴してしまおうとした、……のだけれど。

 これはもう、「相手が悪かった」と言うしかないだろう。

 何を隠そうその依頼時、依頼主であるジンの後ろには、アンバーにクレーに旅人、パイモン、加えてリサという錚々たるメンバーの顔触れが並んでいたのだ。そんな彼らから同時に懇願と期待とできらきらと輝いた瞳を向けられてしまえば──リサは彼女たち一番後ろでにこにこと微笑んでいたけれど──、いくらあのディルックといっても参ってしまうもので。

「お願いします、ガイアお兄ちゃんのお誕生日パーティをここでやらせてください!!」

 精一杯の大きな声でクレーから真っ直ぐにそう言われてしまえば、もう折れる他ないだろう。
 さらに、そこへ極めつけと言わんばかりにディルックへと飛ばされてきたのは、丁度店内で酒を楽しんでいた客たちからの声。

「いいじゃねぇかディルックの旦那! ガイアの旦那にはいつも世話になってるからなぁ、俺たちからも頼むぜ〜!!」

 暇を見つけてはこの酒場に入り浸るかの騎兵隊長様は、どうやらこの店の常連たちからも深く慕われているらしい。まあ、彼自身確かに表面上は親しみやすい性格をしているし、聞き上手かつ話し上手、そして酒好きという酒場の人間たちからは好かれやすい人となりをしているのだから、それもそう驚くべきことではないのだろう。
 四方八方からの声と視線に囲まれたディルックは、痛みを訴え始める頭を手のひらで押さえながら、苦虫を噛み潰したような声と表情とで「是」と答えること以外できはしなかった。

 そうして訪れた11月30日。

 依頼されたと言ってもその内容と言えば場所の貸し出しと飲料の提供だけであったために、ディルックが特別に何かを行ったということはない。
 夕暮れ時にアンバーや旅人たちが次々に料理やらプレゼントやらを持ち込んでくる様を眺めながら、リサが提案する容赦のないサプライズの内容に軌道修正を促しながら、高いところの飾りつけに困っているクレーを抱き上げてやった程度だ。

「これはね、クレーからのガイアお兄ちゃんへのプレゼントなの! ガイアお兄ちゃん、喜んでくれるかなぁ……」

 可愛らしくラッピングされたプレゼントを手に、どこか不安を滲ませながらはにかむクレーの姿を見て、ディルックは内心に言葉を転がした。彼はこんなにも周囲の人間から慕われているのか、と。
 改めてその事実を認識したことによる微かな驚きと、何によってか生まれたひとかけらの安堵を滲ませながら。

「……ああ。きっと喜ぶだろうさ」

 不本意ながら受けた依頼ではあったが、この純粋無垢な好意を真っ直ぐに向けられたあの男の反応を見ることができるのなら、この夜にも少しばかりの意味はあるのかもしれない。あの扉を開けた瞬間にクラッカーを打ち鳴らされ、目を丸くする男の姿を脳裏に思い浮かべて、ディルックはその唇を微かに綻ばせた。


 心の片隅に突き刺さった小さな小さな棘の存在に気づかぬふりをしながら、ただ静かに。


 その日は朝からジンと共に清泉町での任務に当たっていたガイアがモンドに戻ってきたのは、19時を過ぎた浅い夜の頃。門を入った所でジンと別れたガイアを、そこに偶然通りかかったエンジェルズシェアの常連客が店まで連れてくる、というのが今回の作戦の流れらしい。ちなみに、もちろんこの常連客も仕掛け人のひとりである。
 あのガイアには、奇を衒って変な嘘を吐くよりも逆に開けっ広げにしていた方が悟られにくいだろう。という満場一致の見解から、その常連客がエンジェルズシェアまでガイアを導くための口上は「ガイアの旦那の誕生日祝いに酒でも奢らせてくれ」という内容のもの。加えて、ジンを始めとする騎士団のメンバーも、事前にそれぞれが一度はガイアに「誕生日おめでとう」の言葉をかけ終わっている。

 それゆえに、あのガイアといえども少しの油断があったのだろう。騎士団メンバーからの誕生日祝いはもう既に終わっているはずだという、そんな油断が。


「ハッピーバースデー!!」


 数重の明るい破裂音と、ばらつきながらも彼へ注がれた祝いの言葉。開いたままの扉の向こうには、夜のモンドの街角と、通りがかりの住民たちが落とす拍手の音が満ちていた。
 それらに囲まれた渦中のひとりの男と言えば、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして出入口に立ち尽くしていて。
 クラッカーも持たず拍手もせず、ただ腕を組んで無表情にカウンターの中からその様子を見つめていたディルックも、その様には思わず小さな笑みをこぼしてしまったほどだ。

「……っ、これは、たまげたなぁ」

 数拍を置いてようやく状況を理解したらしい彼は、驚きと困惑を隠しきれないまま、それでも何とかいつも通りのたおやかな笑みを浮かべようとする。けれどまあ、やはりその表情はどこか歪で不格好なものに終わってしまって。
 そんな彼の姿が珍しいからか、その周囲を囲んだアンバーやクレーたちの楽しげな声が店内に響く。サプライズは無事に成功し、後は賑やかに夜を楽しむだけ。気づけばガイアの表情も、見慣れたあの笑顔に変わっていた。

 プレゼントを渡され、食事や酒を次から次へと詰め込まれ、人々の中心で笑顔と声に囲まれたガイアの姿を、少し離れたカウンターの中からディルックも何とはなしに眺める。楽しそうな光景だ、と、その賑わいを見た人は全員がそう評するのだろう。この世界にただひとり、ディルック・ラグヴィンドだけを除いて。

 ああ、やはりか。

 そんな呟きが、無意識のうちに転がり落ちていた。声はなく、ただ彼の内言として。

 ガイアが笑顔や言葉として表に出している「嬉しい」も、「楽しい」も、決して嘘ではない。ただそれ以上に、その裏に隠された「居心地の悪さ」が大きすぎるだけなのだ。
 ディルックは知っていた。気づいていた。ガイア・アルベリヒという男にとって、彼自身の『誕生日』というものがあまりいい意味を持っていないことを。
 その理由の一端を自分自身の存在が担っているのだろうということにも、薄々ではあるが理解が及んでいた。そして、それは今日、ついに確信へと変わった。

「誕生日おめでとう」の言葉を受ける彼が、カウンターに立つディルックへと向けた視線を見た、その瞬間に。

 それを思い返した途端、きりり、と心臓のあたりが軋むような痛みを訴えた。あまりにも不快なその感覚に、ディルックは人知れず顔を顰める。
 気を紛らわせるためにと煽ったぶどうジュースの味は普段と何ひとつ変わらないはずだというのに、どうしてか酷く苦みの強いものに感じられた。



 料理も減り、宴もたけなわとなった頃。
 カウンター席に座っていた旅人と言葉を交わしていたディルックは、ふと、今日の主役であるはずのあの男の姿が店内から消えていることに気がついた。どうやら、少し飲み過ぎたから風に当たってくると言って2階のベランダに出ていったらしい。リサからの言葉に、ディルックは「そうか」と、ただ素っ気ない返事だけを残した。

「様子、見に行ってあげないんですか?」

 というのに。
 まるでそれが当たり前の行動ではないのか、と言わんばかりの口調と表情で目の前の旅人が口にするものだから。さらには、それを近くで聞いていたジンやリサまでもが何故かその言葉に便乗してきたものだから。結局、気付けばディルックはベランダへと続く扉の前に立つ羽目になっていた。
 彼女たちが何を考えているのかが全く分からない、と頭を抱えるディルックではあるが、ここまで来てしまえば引き返すのも面倒くさい。あの男のことだから、どうせベランダでぼんやりと夜空でも眺めているのだろうと、そんな予想を立てながら扉に手をかけた。

 11月の終わりを迎えた初冬の世界は、やはりその夜を凍てついた空気で満たしている。呼吸をする度に肺が冷やされていくことを感じながら、ディルックはその視線でベランダを一望した。けれど、すぐに見つかるだろうと考えていた姿は一向に視界に映らない。
 ベランダはそう広いものではないというのに、一体どこへ? 怪訝に思いながら視線をわけもなく上へと向けた彼は、ふと、ある考えに至る。

 なるほど、あの男のやりそうなことだ。

 そんな頷きを内心にひとつ落とし、ディルックは壁に手をかけ屋根へと上った。別にあの男をわざわざ探しに行かずとも、「ベランダで涼んでいた」と適当なことを言って店内へ戻ってしまえばいいというのに。どうしてかその時のディルックには、その選択肢が思い浮かばなかったのだ。

「……今日の主役が、こんなところで何をしているんだ」

 そんなディルックの予想の通り、ガイアは屋根の上に居た。
 何故か胸元で手を組み仰向けに寝転んでいるという彼の姿にため息をこぼしながら、ディルックは屋根を歩いてその傍へと近寄る。呆れた、とでも言いたげな声色でそう言ってやれば、きっと彼からもいつも通りの軽口が返ってくるのだろう。返ってくるはずだ。ほとんど確信めいたそんな考えを思考の片隅に転がしながら。

 けれど、ディルックに返ってきたのは、『沈黙』という名の本日二度目の予想外ばかり。

「……ガイア?」

 眠っている。そう考えるのが当たり前だった。
 だってこの男は、つい先ほどまで確かに酒を飲んで、食事をとって、笑って、話して、ディルックの目の前で生きていたのだから。
 横なって、目を閉じている。ただそれだけ。眠っているだけ。きっとそうだ。それ以外に考えられない。──けれどもどうしてか、ディルックの胸の内に込み上げてきたのは、どうしようもないほどの焦燥感と恐怖感。指先が凍り付いていく感覚に、気付けばディルックは彼の傍らに膝をついていた。
 手袋を外して、彼の頬に触れる。冷たい。それはそうだ、何故なら今日の夜はとても冷え込んでいる。そんな夜空の下に数分でもいればこうなっても仕方ない。けれど、ディルックがこれだけ近づいてもなお、その頬に触れてもなお開かれることのない瞼に、嫌な予感は募るばかりで。
 口元に手をかざした。そして数秒。ディルックの心臓が不吉な軋みに叫ぶ。足元に満ちていた夜の街角のさざめきが、急速に遠ざかっていく。理由は単純、そこにあるべき呼吸がなかったから。
 誰かが息を呑む音が聞こえた。耳元に誰かの鼓動がどくどくと煩く響いている。それらの全てを生み出したのが他でもない自分自身であるということにも気づかず、ディルックは焦燥に駆られるまま彼の首筋へと指先を伸ばした。


「……死んじゃあいないさ、安心しろよ」


 声。
 ディルック以外の誰かがこぼした、声。

 指先が震える。中途半端に動きを止める。夜の空気に肺が痛んでようやく、ディルックは自らが呼吸を止めていたことに気付いた。

 視線の先で、閉ざされていた彼の瞼がおもむろに開かれて行く。そこから覗いたのは、夜明け前の空を閉じ込めた瞳の姿。数度瞬きを落としたそれは、虹彩にディルックの姿を映した刹那ゆるりと柔く綻んだ。

「まさか旦那がそんなに焦ってくれるとはなぁ」
「……自分の店の屋根で人死にが出るなんて、焦らない方がおかしいだろう」
「はは、それもそうか」

 いつも通りの飄々とした口調に、腹の読めない笑み、そして軽口。けれどそれらの全てにどこか力がないように見えたのは、ディルックの気のせいだろうか。初冬の夜が、あまりにも冷えついていたせいだろうか。


「死なないさ。こんなところで」


 ディルックから外された視線が、夜空を映す。満月に近い、けれどもわずかに欠けた月が、星の姿をかき消すほどに眩く夜に輝いていた。


「……こんなにも幸せな心地のまま死ぬなんて、勿体ないだろう?」


 酒を飲んで、美味しい食事で腹を満たして、沢山の人から生誕を祝われて。笑顔を、言葉を与えられて。そんな幸せの中で死ぬなんて。

 そんな死に方、自分には勿体ない。
 自分に、そんな死に方を選ぶ権利はない。

 そんな言葉が聞こえるかのようだった。
 ゆるりと微笑むその横顔が、月明かりのせいかやけに儚く腹立たしいものに見えて。ディルックは手のひらを強く強く握りしめる。そんなディルックの様子に気付いているのかいないのか、ガイアはさらに言葉を続けた。
 随分と深まった夜の中、それでもまだ街角の賑わいは消えない。声、足音、ドアベル。様々な音がこの世界を満たし続けている。

 それでもなお、ディルックはその瞬間、世界から全ての音が抜け落ちたような、そんな錯覚に襲われた。

 ただひとつ、目の前の男が紡ぐ声を除いて。


「俺の死に場所は、ここじゃあない」


 だってここには、風が吹いているだろう?


 それは、冒険者の間でよく囁かれる言葉。風の吹く場所で死ななくてはならない。風に、その魂をモンドまで運んでもらうためにも。


 つまり、彼のその言葉は。


 気づけば、ディルックは込み上げる感情のままにガイアの胸倉を掴み上げていた。
 寝転んでいた状態から突然上体を引き上げられたガイアは驚きに目を丸くしたが、瞬時にその表情を笑みで塗りつぶした。余裕綽々といったその様子にまた腹立たしさが込み上げて、奥歯を固く噛みしめる。

「おいおい、どうしたんだよ旦那」
「……馬鹿なことを言うな」
「馬鹿とは酷いなぁ。旦那にとっても悪い話じゃないと思うんだが……何をそんなに怒っているんだ?」

 その言葉は、嫌味や皮肉というよりは本当にディルックの怒りの理由が分からないと言いたげな口調で紡がれていて。ディルックはそんなガイアの様子にはたりと感情の温度を落とす。
 そして直後紡がれた彼の言葉によって、あることに気付かされるのだ。


「あんたも嫌だろう? 俺なんかの魂に身の回りをうろつかれるなんて」


 ──それは、まるで。


「…………お前の魂は僕のところに戻ってくるとでも言いたげな口ぶりだな」


 モンドではなく、騎士団でもなく、彼の本当の故郷でもなく、ただひとり、ディルックの下へ。

 呟きにも似たディルックの声を拾って、ようやくガイアも自らが何を口走ったのかを理解したらしい。……は? と当惑混じりの声がこぼれて、二人の間を沈黙が満たす。
 視線が交わった。丸く見開かれたその瞳は、ディルックの記憶の中にいる幼き日の彼を連想させる。ディルックのことを「義兄さん」と呼び、よくディルックの後ろをついて回っていたあの幼い少年の姿を。

 その虹彩に反射した月光があまりにも眩しくて、くらくらと目が眩むような感覚がした。

「……いや、違う。全然違う。そうじゃない」
「何が違うんだ」
「全部が、だ」

 胸倉を掴んでいたディルックの手から力が抜けたことに気付いたガイアは、彼らしくもないへたくそな言い訳を必死に並べ立てながらディルックから距離を置いた。まるで悪戯がばれた幼子のようなその反応に、ディルックは言葉にし難い感情が自らの心臓を満たしていくことを感じてしまう。
 器用なくせに、不器用な男。ディルックの評するガイアという男は、そんな存在であった。これまでも、きっとこれからも。面倒くさくて、腹立たしくて、けれどもどうしてか目を離すことが出来ない命。
 彼を包み込み覆い隠す氷の壁は、あまりにも高くて酷く分厚い。さらにいえば、その形成の一手には他でもないディルックも携わっているという始末。きっと、その壁を溶かしきるというのはディルックの炎をもってしてもそう容易いことではないのだろう。

 けれど、だからこそ、手放してはいけないと思った。目を逸らしてはいけないと思った。その壁を溶かしてやらなくてはならないと思った。


「……ガイア」


 名前を呼ぶ。目の前の男の名を。
 モンドに帰ってくるついでにあんたのところにもだな、などという彼の言葉を遮るように。静かな声で、それでも堪らなく真っ直ぐに。

 彼の存在を、彼の命を、全てを、その手のひらの中へ握り込むように。



「誕生日、おめでとう」



 鳩が豆鉄砲を食ったようなその表情に、やはりどうしようもなく笑みがこぼれた。



2020/11/30

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