nine




 その数日後、ガイアはこれまで通りにカーンルイアの手を取りモンドを離れていた。その理由は至極簡単。そうした方が、確実にカーンルイアの思惑を阻止することが出来るためだ。
 最初からずっとそうだった。ガイアがカーンルイア側に与するのは、カーンルイアの動向の全てをあの旅人に伝え、モンドを確実に守るためのスパイ行為でしかない。
 まさか自分たちが送り込んだスパイが、今度はモンド側のスパイとして帰って来るだなんてあいつらは思ってもいないのだろう。その証拠に、いつも最後までガイアを疑う者はいなかった。
 ガイアが二重スパイを働いていることを知っていたのは、常に旅人ただひとりだけだった。しかし、今回は違う。ガイアはディルックに全てを打ち明け、カーンルイアを打ち負かすための協力を仰いだ。
 もちろんそれには快く頷いたディルックだったが、ガイアが今回もカーンルイア側に向かうことには難色を示していた。面白いことに、彼は「危険すぎる」と言ってガイアを引き留めようとしたのだ。これまで何度も何度も同じことを繰り返し、さらには成功させてきたガイアに対して。
 思わず笑ってしまったガイアを睨む彼に、ガイアは今までになく清々しい気持ちで笑みを浮かべた。

「安心しろよ、ちゃんと約束は守るさ」

 もう、自ら死を選ぶなんてことをガイアはしない。彼の心にあるのは、ディルックと共に4月30日を迎えるという強い意志だけ。

「……気を抜くなよ」
「ハハッ、誰に言っているんだか」

 おもむろに伸ばされたディルックの腕が、ガイアの身体を力強く抱きしめた。慣れたようにそれを享受しながら、ガイアもまた彼の背に手を伸ばす。


「いってらっしゃい、ガイア」


 耳元で囁かれたその声が堪らないほどに優しくて、思わず涙が滲んでしまいそうになった。


「ああ、いってくる」


 過去を繰り返す日々は、これで終わり。
 彼らは、未来を手にするために進むと決めた。

 4月25日。アビスたちを引き連れてモンドを襲撃した。勿論この計画は前もって旅人やディルックたちに伝えていたため、彼らは最大にして最高の防衛をもってガイアたちを退けることに成功する。去り際にふとモンドを見下ろした時に、こちらを真っ直ぐに見つめていたディルックと目が合ったことは、まあ、今は特に語らないでおくとしよう。
 それからは、これも今まで通りに少しずつ情報を旅人たちへと渡し、彼らがカーンルイアの拠点に辿り着くのを待った。結果として4月28日はガイアの記憶通りに訪れ、カーンルイアとモンド、ひいてはテイワットとの全面戦争が始まることとなる。
 切って落とされた戦いの火蓋の中、ガイアはこれまでの記憶の全てをかき集めて自らが取るべき行動を思考し続ける。日が暮れ、夜が明け、ついに4月29日が姿を現した。運命の分かれ目はもうすぐそこまで迫っている。モンドに勝利を掴ませると同時に自らが生き長らえる術は──…

「さあ、ガイア。私と共に愛すべき祖国、カーンルイアを復活させるんだ!」

 旅人たちの攻勢により追い詰められた先で喚き散らす実父の姿を冷めた目で見つめながら、ガイアはこの後に起こる出来事を頭の中で反芻する。
 残された敵は、最早彼ただひとりだけ。つまり彼を取り押さえることが出来れば、この戦争も終結するということ。少し離れた場所でこちらを見つめている旅人やディルック、ジンやアンバーたちもそれを正しく理解していることだろう。
 ガイアが死ぬのは、いつだってこの直後のこと。父親のその言葉にガイアが何も言わない、またはそれを拒絶した場合、窮した父親は、最後の悪あがきとばかりに氷柱の攻撃を四方八方へ放ち、この神殿を崩壊させる。その崩壊の中でのガイアの死因はといえば、たとえば瓦礫に押しつぶされるだとか、奈落へ落ちるだとか、そういった為す術のないものばかり。
 だからこそ、ガイアが敢えて選ぶのは、「頷いてやる」という選択肢。味方たちへの被害が最小限に済み、かつガイアの生存確率が最も高いのはこの道だとガイアは確信していた。
 記憶の通りぱっと表情を明るくさせた父親は、ガイアの方へと嬉しげに歩み寄ってくる。一度はガイアを捨てた癖に、今度はこうしてガイアに縋り付こうとするだなんて、いやはや何度見てもこの光景には笑みが浮かぶ。こんなくだらない男とクリプスを比べて苦しみ続けてきた自分があんまりにも愚かで、哀れで、悲しかった。
 父親の手がガイアヘと伸ばされる。けれどそれがガイアに触れる直前、ガイアは叫んだ。

「──ディルック!!」

 その言の葉を紡ぎ切るよりも早く、ガイアの視界に赤い炎が舞った。
 紅蓮の大きな鳥をかたちどったそれは、迷うことなくガイアと父親の方へと羽ばたき世界を焼いてく。間一髪それを避けたガイアの隣で、炎に襲われた父親の身体が地面に倒れ伏す。
 それを見下す隙も見せることなく、ガイアは素早く自らの剣を抜いた。鋭いその切っ先が狙うのは、父親の心臓ただそれだけ。その銀閃に躊躇など一切ありはしなかった。
 しかし、父親が逃げ惑い動き回ったせいでその照準がずれてしまい、ひと息にその命を狩り取ることは叶わない。それでも、腹部を深く貫いたその剣は確かに致命傷を与えていた。ゆえに、ほどなくこの男は死ぬはず、だというのに。どこまでも執念深い男は、虫の息となってもなお命が続く限りガイアたちを害そうとする。
 最後の一矢とばかりに生み出された氷柱が、男に剣を突き立てたガイアを狙う。咄嗟に自らの元素力で生み出した氷を盾にするが、あまりの勢いに身体が後方へと吹き飛ばされてしまった。致命的な怪我を負うことこそなかったとはいえ、不幸なことに、飛ばされた先でガイアを待っていたのは先の戦いの中で生み出された深い奈落。どうやらこの世界はどこまでもガイアに死を迎えさせたいらしい。

 けれど、こちらも生きることを決意した身。そう易々と諦めることなど出来はしない。

 風の翼を展開できれば良かったのだが、それはここまでの戦いの中で必要に駆られて壊してしまっている。そちらも必要経費だったとはいえ、今ここに風の翼があればと思わずにはいられない。
 せめてとばかりに空中で必死に身体を藻掻かせて、何とか奈落を避けようとする。しかしその努力も儚く、身体は暗い闇の底へ吸い込まれて行くばかり。その正しい深さなど分かりはしないが、少なくとも人間が落ちて生き長らえることが出来る程度の穴ではないだろうということは直感的に分かった。

 ──読み違えちまったみたいだなぁ。

 父親の身体が力なく地面に倒れ伏している様を視界の隅に納めながら、ガイアは胸中にぽつりと言葉をこぼす。今回もまた失敗に終わってしまいそうだけれど、この選択肢の先に待つ未来は分かった。だから、今度こそ。

 そう考えてみてふと思い至る。もし、もしも繰り返しがここで終わってしまったら。このまま死ねばもう4月15日は訪れず、全てが終わってしまうのだとしたら。

 ガイアの生を望んだディルックの願いでこの世界は空回りを続けている。けれど、それがいつまでも続くという保証はどこにもない。今更過ぎるその事実に気づいた瞬間、底知れない恐怖がガイアの心を蝕んだ。
 死ぬ。自分は死ぬ。死んで、終わって、もう二度とディルックのそばで生きることが出来なくなる。彼に名前を呼んでもらうことも、彼に抱きしめてもらうことも、彼の温度を感じることも、もう。

 嫌だ。強くそう思った。

 気づけばガイアは視線を彷徨わせて、あの暁の色を世界の中に探していた。声も無く震えた唇は、きっと彼の名を呼ぼうとしていたに違いない。
 身体はその間にも真っ逆さまに落ち続けていた。何十回も繰り返した死が、再びガイアの目の前に立ち塞がる。その事実へこんなにも恐怖を覚えたことは、これまでに一度もなかったはずだというのに。


「──……ディルック、」


 死にたくないと、生まれて初めてそう思った。
 生きていたいと、生まれて初めてそう思った。


「──ッ、ガイア!!」


 その願いに答えるかのように、ガイアの身体を誰かの腕が抱きしめた。同時に風の翼が展開されたようだけれど、成人男性ふたり分の体重はどうやら翼には荷が重すぎたらしく、落下速度をほんの一瞬和らげる程度の効果しか得ることはできなかった。ぐしゃりと歪んだ翼は、きっともう使い物にならないだろう。
 ふたりの身体が彗星のように奈落へと落ちていく。反射的に彼の背へと手を伸ばそうとしたガイアは、けれどもこの現状を正しく理解した途端にその指先を躊躇に揺らした。

「おいディルック、どうして、これじゃあお前まで」
「落ち着け、ガイア。僕たちは死なない。君はまだ元素力を使えるな?」

 有無を言わせない強さを持ったその言葉に、ガイアは促されるまま頷いた。それを確認したディルックは、すぐさま次の言葉をガイアに聞かせる。その内容の全てを理解したガイアは、まさか、と目を見開きディルックを見つめた。そんなこと上手くいくはずがない、と言い捨ててしまいたかったけれど、ガイアを見つめるディルックの瞳があまりにも真剣な表情を宿していたから。
 そんな表情をされてはもう何も言えなくなってしまう。意を決したガイアは自らの元素力をありったけかき集め、それを奈落の底へと放った。
 氷元素によって奈落の中の空気が冷やされ、肌がひりひりと凍てついていく。しかし、その冷たさを感じられたのもほんの一瞬。
 瞬きの間に自らのすぐ傍から途方もない熱が生み出され、冷え切っていたはずの空気が急速に温められていく。奈落の中で強制的に生み出された上昇気流が、凄まじい勢いでディルックとガイアの身体を上方向に突き上げた。
 もちろんそれで身体が空を飛べるわけではなかったけれど、落下速度をほとんどゼロにまで相殺するには十分なほどの風量だった。
 薄暗さのせいでここまで気づくことができなかったけれど、奈落の底は想像以上に近くまで迫っていたらしい。上昇気流を発生させたその直後に、2人は地面へと転がり落ちた。上昇気流により勢いのほとんどが殺されていたとはいえ、やはり落下の衝撃はそれなりのもの。
 地面を数度転がりようやく止まった2人の身体は、至るところを固い地面にぶつけたせいで傷だらけではあったけれど、幸い命に及ぶような怪我はない。さらに言えばガイアはディルックによって庇うように抱きしめられていた為ほとんど無傷と言っても過言ではない状況だ。
 慌てて起き上がったガイアは、まだ自分の隣で横たわったままのディルックの顔をのぞき込む。高い位置にぽっかりと浮かぶ丸い空から降り注ぐ光だけが、ガイアの世界に淡く輪郭と陰影を描いていた。

「ディルック、おい、ディルック……!?」
「……そんなに大声を出さなくても、聞こえている」

 けれどそんな状況にも関わらず、彼の色彩は相変わらず酷く鮮明にガイアの網膜を焼くのだから不思議だ。煩いとでも言いたげに顰められた彼の表情に、ガイアはほっと安堵の息を吐いた。
 へなへなと力の抜けた身体で、横たわるディルックの脇腹の上へ覆い被さる。土の匂いに混じって鼻孔をくすぐった彼の香りに涙が滲んだ。すぐ傍からおい、と聞こえた非難の声にも今は無視を決め込むことにする。ディルックの方もそんなガイアを拒絶する気はないようで、それ以上の苦情を申し立ててくることは無かった。

「よか、った……生きてるんだな、俺たちは」

 ぐちゃぐちゃになった感情のまま、ガイアは絞り出すような声でそうこぼした。嬉しさも喜びも、度を過ぎれば困惑に姿を変えてしまうらしい。そんな学びを胸に刻みながら、ガイアはもう一度深く空気を吸いこんだ。疲れ切った肺と心臓はそれに少しの痛みを訴えるけれど、その歩みを止めることは決してなかった。

「……ああ、そうだ。僕たちは生きている」

 ガイアの言葉を抱きしめるように、ディルックの声がそう呟いた。そして、少しの身動ぎをした彼の腕がそっとガイアの背へと伸ばされる。
 ぽんぽんと優しく背を叩かれた途端、全てが決壊したかのようにガイアの瞳から涙がほろほろとこぼれ落ちていった。その時になってようやく、自分が生きているという実感が追い付いてきたのだ。

「なんだ、今度は君が泣くのか」
「……うるさい」

 おもむろに起き上がったディルックが、今度は正面からガイアを抱きしめてその背を優しく撫で始めた。涙が止まらなくなるからやめてくれと言いたかったのだけれど、その温もりと振動が堪らなく心地よくて、結局、ガイアにはそれ以上何を言うことも出来はしなかった。

「……君が泣き終わったら、ここから出る方法を探そう」
「……ああ」
「そしてモンドに帰って、ちゃんと皆に全てを説明するんだ」
「ああ」
「今回の件の後処理は、とんでもなく骨が折れるだろうな。……絶対に逃げたりするんじゃないぞ」
「ああ、分かってるよ」

 他愛のない言葉を噛みしめるように繰り返す。本当に、まさかこんなにも心穏やかに彼と言葉を交わす日が来ようとは。過去の自分に聞かせれば、きっと「あり得ない」といって笑い飛ばされるに違いない。
 けれど、何をどう足掻いてもこれがガイアにとっての現実だ。これまでに犯してきた罪の全てを背負って、ガイアはこの先の未来も生きていく。愛する彼の隣で、ずっと、ずっと。

「……君がモンドを離れた後、明日のために大きなホールケーキとチキンを予約したんだ」
「……は?」
「君と一緒に食べようと思ってな。それが無駄にならなくて本当によかったよ」
「いや、いやいや……お前……」

 この義兄の思考回路は、時折こうしてガイアの予想の斜め上をかっ飛ばしていく。普段は冷静で聡明なくせに、どうしてこうもふとした時に訳の分からない行動をとるのか。当の本人は至って真剣であるという事実が輪をかけてガイアに笑いを与えてくるのだから、もう本当にどうしようもない。
 抑えきれなかった笑いをくすくすとこぼすガイアに、ディルックは不思議そうな面持ちで首を傾げる。それにまた堪らず噴き出した時にはもう、ガイアの涙は止まってしまっていた。

 カーンルイアとの争いは終わった。同時に、ガイアを縛り付けていた因縁もようやく絶ち切れた。ガイアもディルックも、確かにこの世界で生きている。明日が彼らを待っている。


「おかえり、ガイア」
「……ああ。ただいま、ディルック」


 2人の運命は、今、再び未来を刻み始めた。




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