eight




 ──夢を、見た。
 仲の良かった幼い頃のようにディルックに抱きしめられて眠ったその夜、ガイアはとある夢を見た。
 アカツキワイナリーで2人の子どもが楽しげに遊んでいる、とても穏やかで幸せな夢。最初はそれがガイア自身の持つ記憶をなぞった夢だと思っていた。けれど、次第にそうではないのだと気づかされる。
 場面が変わった。成長したディルックとガイアが、クリプスに肩を抱かれて笑っている。ああ、自分はそんな顔で笑うことが出来ていたのか。そんなことに気づくことが出来たのは、これが、それを見ていた人の記憶をなぞる夢だったから。
 また場面が変わった。それはディルックが成人を迎えた日の光景。無残に荒らされた道の中、クリプスの亡骸を前に佇むディルックの姿。視界に踊る血に染まった白い手袋が、頬を伝い落ちていく雨粒が、どうしようもなく心をかき乱していった。
 そして──世界は土砂降りの雨に閉ざされる。
 お互いの全力を切っ先に籠めて剣を交えた。胸を焼くこの激情には、途方もない怒りと同時にどこまでも深い悲しみが宿されていて。目の前に薄青の閃光が走った瞬間、世界は深い闇に包まれた。

 しかし、夢はまだ続いているようだ。

 四方八方に満ちた闇をぼんやりと眺めていると、不意にどこからか誰かの声が聞こえてきた。その響きに吸い寄せられるように足を進めれば、少しずつ、少しずつその声は鮮明になっていく。どうやらこの声の主は泣きながら誰かの名前を叫んでいるらしい。
 聞きたくないと思った。耳を塞いで足を止めて、その場に蹲ってしまいたい衝動に襲われた。けれどガイアの意識を捕らえた夢は、容赦なくガイアにそれを突きつける。

「──ァ、ガイア、ガイア……っ‼」

 ガイアの亡骸を抱いたまま、ディルックは何度も何度もガイアの名前を呼び続けていた。頬に涙が落ちても、身体を何度揺すっても、何度言葉を紡いでも、ガイアが目覚めることはない。その事実ばかりがどうしようもなく理解させられて、またひとつ涙がこぼれ落ちていった。
 胸を侵すこの悲しみは、きっとディルックが抱いた感情のひとかけら。それを理解すると同時に込み上げてきたのは、どうしようもない遣る瀬無さと愛おしさ。

 ──そうか、やっぱりお前だったのか。

 その感情に駆られるまま、思わず泣きじゃくるディルックへと駆け寄ろうとしてしまう。けれどその行動を咎めるように、目の前に分厚い氷の壁が立ちはだかった。
 冷たく透明な氷の向こうで、ディルックは今もなおガイアの亡骸を抱きしめ泣いている。泣かないでくれと叫んだところで、こちらの声が届くことはないのだろう。
 拳をひとつ、氷の壁に打ち付けた。
 父親を喪い、騎士団に突き放され、義弟に裏切られ、今もひとり闇夜を駆ける彼。彼もまた、多くのものを喪い続けてきた人なのだ。そんな彼が、ガイアを今もなお「大切な人」なのだと言った。つまりガイアが死ぬことは、彼からまた「大切」を奪うも同義。だからこそ、ガイアを喪った彼は、その運命を捻じ曲げることを願ったのだろう。世界の理を覆すほどに強く、強く。
 それを理解させられてもなお死を選ぶ強情さは、つい先ほどディルックの体温によって全て溶かされきってしまっている。つまりは結局、ガイアに残された道などたったひとつだけ。

 氷の壁の向こうでガイアの死を嘆くディルックの姿を真っ直ぐに見据えた。

 彼をあそこから解放してやることが、この繰り返す世界を終わらせるための唯一の手段。きっと彼ももう、ガイアと同じく疲れ切ってしまっているに違いない。悲しむことに、苦しむことに。

「……分かったよ」

 静かに、静かにガイアは決意する。全てを終わらせてしまうことを。随分時間がかかってしまったけれど、ようやく気づくことができた。
 ようやく、前を向くことが出来た。

「今度こそ、ちゃんと15日後のお前の誕生日を祝ってやる。──だから、もう泣かないでくれ、ディルック」

 氷を生み出す術ならまだしも、氷を溶かす術などガイアは持っていない。けれど、その氷を溶かしてやることが出来るのはこの世界にただ1人、ガイア・アルベリヒだけなのだ。


  ***








 ──彼に呪いをかけたのは、間違いなく自分だった。

 動かなくなったガイアの身体を腕に抱えた瞬間に、ディルックはようやく全てを思い出す。繰り返し続けるこの2週間と、その果てにディルックを庇い息絶える、自らの義弟の運命を。
 ディルックの涙で濡れたガイアの頬をそっと撫でる。硬く閉ざされた瞳がディルックの姿を映すことはもうない。けれど、彼はまた繰り返す。ディルックのかけた「呪い」によって、再び4月15日から今日までを。
 最初にガイアを喪ったあの日、ディルックは強く現実を拒絶した。きっと、その願いのあまりの強さが世界にまで影響を及ぼしたのだろう。
 全てを覚えたままこの日々を繰り返し続けるガイアと、ガイアを喪った時になってようやく全てを思い出すディルック。突如脳裏に溢れ返るガイアの死に、何度気が狂いそうになったか分からない。
 けれどもきっと、全てを覚えたままでいる彼の方が苦しいに違いない。悲しいに違いない。自らの死を繰り返すなんてことに耐えられるほど、人間の心は強く出来ていない。
 脳裏に彼の姿を思い描く。ディルックの涙を目にして、あり得ないとでも言いたげに目を見開く彼の姿を。

 どうか早く理解してくれ。分かってくれ。僕が君の死に必ず涙するのだということを。僕には君という存在が必要なのだということを。
 どうか早く選んでくれ。僕と生きる未来を。

 ディルック・ラグヴィンドの願いは、ただ、ただそれだけだった。



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