six
「──あなた、死にますよ」
自分にとってはもう随分と前、けれどもこの世界にとってはほんの数日前に自らへ向けて放たれたその言葉を、宛もなく脳裏に反芻する。きっぱりとしたその口調は、それが疑うべくもない事実なのだと切に訴えていた。
その言葉を聞いた時、まだ未来を知らなかったガイアは、しかし何の否定も拒絶も躊躇もなく、ただただ「そうなのか」とその訴えを受け入れた。それは、彼女という占星術師への信頼からというよりは、むしろ自分という存在の愚かさへの確信から生まれた理解。
自分の死という、全ての生命にとっての最大の脅威を眼前につきつけられてもなお、ガイアの心は酷く穏やかに凪いでいた。そこに安堵すら滲んでいたのは、きっと、……ガイアがその結末を望んでいたから。
本当はもう、ずっと、ずっと、終わりの時を望んでいた。だからこそ、これでようやく終わることが出来るのだと、終わらせることが出来るのだと、思わず笑みが浮かんだのだ。それを見た占星術師が怪訝な表情を浮かべることも気にせず、ガイアは笑った。
──だというのに、その先でまさかこんな未来が待ち受けていただなんて。
望み通りガイアは死んだ。けれどそこには望んでなどいなかった義兄の涙があって。気づけばガイアは時を遡り、何度も何度も同じ日々と最期を繰り返すことになっていた。ガイアはそれを、これまでに自らが重ね続けてきた罪への贖罪なのだと信じていた。疑ったことなどなかった。あの心優しいひとを悲しませずに死ぬという自らの願いを叶えるための、どこかの誰かからの祝福なのだと。そう思っていた。……それなのに。
そこではたりと思考を切り、ガイアはおもむろに夜空を仰いだ。そこに浮かぶ大きな月は目も眩みそうなほど眩しく美しく輝きながら、世界を、ガイアを真白く照らし出している。
4月19日の夜は、どうしてかいつも静謐な空気を纏ってそこにあった。しんしんと降り注ぐ月光を、ともすれば雪の欠片と見紛ってしまいそうになるほど。
「──ガイア様、お迎えに上がりました」
そしてその静寂をかき消すのは、いつだって同じ声と言葉。もう何十回と聞いたその音に、ガイアは視線を揺らすことすらしなかった。
「御父上と民たちが首を長くしてあなた様を待っております。長く待ちわびた我らが愛国、カーンルイア再興の時はもう目前。──さあ、参りましょう、ガイア様」
何度聞いても実に馬鹿げた話だと思う。必死で笑いを押し殺すことにも、最近はもう随分と慣れてきた。
500年前、神々の手によって滅んだ亡国カーンルイア。ガイアの母国でもあるその国は今、ガイアの実父を首領として、カーンルイア再興のための最後の躍進を遂げているらしい。
国の再興には、再興のための土地や基盤が必要となる。神々や天理への反逆を御旗に掲げるカーンルイアは、地上にある七国のうち、神による統治がどこよりも希薄なモンドに目を付けた。自由を謳い神としての務めのほとんどを手放している風神の力は、他の6柱と比べるまでもなく弱まっている。そんな堕落した神にならば打ち勝つことが出来る、と、どうも彼らは考えたらしい。
十数年前に幼いガイアがスパイとしてモンドに捨てられたのも、つまりはその再興計画の一端だったということ。モンド内部の情報を集め、それを彼らに横流しすることで再興を後押しするのがガイアに課せられた使命と期待だった。
「あなた様が我々の道標となるのです!」
ああ、全く、本当にくだらない。
込み上げてくる苛立ちを喉の奥で燻らせながら、ガイアはようやくその視線を背後へと向けた。
ガイアがその手を取ることを決めたのは、ガイアが彼らと共に再び滅びることを決めたのは、今更郷愁の念が込み上げてきただとか、実の父親への愛着が溢れてきただとか、そんなお涙頂戴を狙ったような理由からでは決してなかった。ガイアがその手を取ったのは、ただひとつの明確な理由があったから。ガイアがその最後を選んだのは、ただ、ただ、──彼らと同じ罪人の血が流れる自分に、あの自由で平和で温かい世界で生きていく権利などないと、そう思ったから。
彼をあれほどまでに苦しめた自分が、彼のいる世界でのうのうと生きていていいわけがない。たとえあの旅人が、彼が、自分を許してくれたとしても。他でもない自分自身が、どうしたって自分を許せなかった。
自らの罪も忘れて彼を愛してしまった自分を、どうして許すことができようか。
だからこそ、死のうと思った。自らカーンルイアの手を取ってモンドを裏切り、皆に憎まれる悪役のまま、死のうと思った。真実を、あの旅人ただひとりだけに託して。全てを終わらせようと、そう、思っていた。
「──恐らく、あなたの運命を捻じ曲げようとしているのだと思います」
昨日あの占星術師から告げられた言葉が、何度もガイアの脳を揺らす。その事実を信じることなど、今もなお出来はしない。けれど、彼女がガイアにそんな嘘を告げる理由だってありはしないのだから、結局、それがただひとつの真実であることに変わりはないのだろう。
突如として孔雀羽座に重なった夜梟座。彼女にとっても「星座同士が重なり輝きを判別できなくなる」だなんて現象は生まれて初めて目にしたもので、確かなことは何も言えないと言っていた。
けれど、紡がれたその言葉にはどうにも確信めいた響きが隠されていて。心臓が突き刺されるような説得力を感じながら、ガイアはただ、静かに彼女の声を聴き続けることしかできなかった。
「あなたと彼の運命が何故交わったのか、そして、これから先あなた方に一体どんな運命が待ち受けているのか。それはもう私にすら分かりません。──けれど、これだけは確かです」
真摯な光を宿した双眸が、ガイアを射抜く。
「その『運命』の当事者は、決してあなたひとりではないということです」
与えられた情報の全てを繋げれば、彼女が一体何を伝えようとしているのかは即座に理解出来た。けれど、それに納得できるかはまた別の話であって。
「……助言は占星術師の禁忌なんじゃなかったか?」
「ええ、その通りです。ですが、あなた方の運命は最早モンドの運命、ひいては私の運命とも交わっています。……私も、この国のことは結構気に入っているんですよ」
あなたと同じように。
彼女が紡いだその最後の言葉を記憶から振り払うように、ガイアは爪先を一歩前へ進めた。月明かりを背に向かう先では、深い深い闇がぽっかりと口を開けてガイアを待っている。
まだ心は迷っていた。迷わずにいられるわけがなかった。なぜなら、彼女の言葉の全てを信じてしまえば、自分は。彼は。
ぴたりと足を止め、惜しむように背後を振り返った。その先には、あの愛おしいモンドの姿がある。
──旅人、この話を打ち明けた時、お前なら一体何と言ってくれるんだろうな。
親友である異邦人の姿を瞼の裏に思い出しながら、ガイアは届くことのない言葉を胸の中で囁いた。ガイアの知るあの子どもなら、きっと「直接確かめてみればいい」と言って、あっさりガイアの背中を蹴り飛ばしてくれるのだろう。けれどここに旅人の姿は無いし、ガイアにもまだ、その決断を下す覚悟などない。
浅ましく否定と拒絶とを繰り返し続ける自らを嘲笑って、ガイアは再びモンドに背を向けた。大丈夫、あの国のことは今回もちゃんとあの旅人が守ってくれる。そんな確信が、重たい足をほんの少しだけ軽くした。
瞬きを落とす。その度にフラッシュバックする彼の涙がどうしようもなく心臓を潰すものだから、思わず嗚咽がこぼれてしまいそうになった。熱を帯びる目頭に気づかないふりをして、全てを振り払うようにガイアは闇を見据えた。きっと今回も、自分は彼を悲しませてしまうのだろう。そんな確信を携えたまま、4月19日の夜を歩く。
真白い月明かりだけが、ずっと、ずっと、その後ろ姿を見つめ続けていた。
- 7 -
*前次#
最果ての惑星