seven




「──なあ、旦那」

 4月15日の夜。この日に自分以外の客がいなくなるまで飲み続けたのは、それが初めてのことだった。
 酒に浸されきった頭を力なくカウンター席の机に落としたまま、ガイアはカウンター内で店じまいに勤しむディルックへと声を飛ばす。もちろんそれに対する丁寧な返答などあるわけがなく、店内にこぼれるのはグラスを拭く微かな音だけ。けれど、ガイアはそれも気にせず言葉を続けた。呂律の回りきらない声はどうにも情けのないものだったけれど、今のガイアにとってそんなことは些事も些事。アルコールの力でも借りなければ、この言葉を彼に向けて紡ぐだなんてこと、一生を懸けても出来はしないのだから。

「旦那は、俺が死んでも悲しまないよな?」

 モナから自分たちの星座と運命の変化について初めて聞いたあの日から、もう何度この2週間を繰り返したことだろう。何をしても結末の変わらないこのループに、ガイアも辟易としてしまっていた。

 自分はあと何度死ねばいいのだろうか。
 自分はあと何度彼を傷つければいいのだろうか。
 自分はあと何度この国を裏切ればいいのだろうか。

 自分は、あと何度彼を悲しませればいいのだろうか。

「お前は俺のことが嫌いで、憎んで、疎んで、だから、俺が死んでもお前は悲しまない。なあ、そうだろ?」

 網膜に焼きついた彼の泣き顔が、どうしたって消えてくれない。ふとした瞬間にその光景を思い出しては心臓が軋みあがって、呼吸が詰まって、胸が苦しくなった。そんな日々を、自分はもう何度繰り返したのだろう。
 きっと、気付かぬ間にガイア自身の限界がすぐそこまで迫ってきていたのだ。だからこそ、ついにその言葉を彼へ投げかけてしまった。投げかけることが出来た。この運命のもうひとりの当事者であるという彼へ、ディルックへ。
 ガイアが彼に望む答えはただ1つ。「ああ、そうだ」と先の言葉を肯定してほしかった。そうすればガイアは、「やっぱりそうだよな」と笑えるはずだから。「でもお前、泣いていたじゃないか」なんて言葉を飲み込んで、安堵に胸を撫で下ろすことが出来るはずだから。
 何度繰り返してもガイアの想いは変わらない。憎んで欲しかった。恨んで欲しかった。疎んで欲しかった。ガイア・アルベリヒを嫌って、ガイア・アルベリヒの死を喜んで、そうしてガイア・アルベリヒの存在を彼の人生から消し去って、忘れて、どうか幸せに彼の人生を生きていって欲しかった。
 死にゆくこの罪深い存在に、彼の悲しみなど手向けて欲しくはなかった。

「……質問の意図が一切分からないが、」

 だからこそ、ガイアは何度も何度も繰り返した。彼に嫌われるために、彼に憎まれるために、彼がもう二度と、ガイアのせいで涙を流してしまわぬように。彼が、ガイアのいない世界で笑っていられるように。
 彼にとっての不要な存在として、この命を終えるために。


「──悲しむさ。君が死ねば、僕は悲しむ」


 だって、それ以外に彼へこの愛を伝える方法など、ガイアには残されていなかったのだから。

「……は……?」

 突きつけられた彼の言葉に心臓が悲鳴を上げた。がんがんと痛みを訴える脳みそから、急速にアルコールが抜けていく。咄嗟に持ち上げた視線の先で、彼はこちらに背を向けたまま酒類の在庫の確認に勤しんでいた。
 本当は、そんな答えが返ってくることもガイアは薄っすらと理解していた。けれど、それを受け入れるだなんてことはやはりどうしたって出来そうにない。ガイア・アルベリヒの望むディルック・ラグヴィンドは、ガイアの死を悲しんだりはしないのだから。

「……っ、どうして、お前は、」
「確かに、僕は君のことがあまり好きではない。君は自分勝手で、言っていることも半分しか信用できなくて、自分の愉悦のために周囲を振り回す、とんでもなく迷惑な奴だ」

 帳簿を付け終えたらしいディルックが、ゆったりとした動作でその視線をガイアヘと向けた。暁の瞳がシャンデリアのこぼす橙の光を反射して、息を呑むほどに美しい色彩をきらきらと輝かせている。
 手に持っていた帳簿とペンを机の上に寝かせた彼は、空いた右手をガイアの方へと伸ばす。それを拒絶するという選択すら取れなかったガイアは、ただ茫然としたままその動きを見つめるばかり。
 ディルックの右手が望んだのは、ガイアの左腕だった。細身に見えてその実大剣を軽々と振り回してみせる彼の腕力は、いとも容易くガイアの身体を椅子から剥がし、自らの方へと引き寄せる。
 半ば無理矢理立ち上がらされた身体に目を白黒とさせるガイアが状況を理解した時にはもう、ガイアの身体はすっぽりとディルックの腕の中に閉じ込められてしまっていて。予想外にもほどがありすぎるその出来事がまたガイアの思考回路をショートさせた。


「……だが、それでも僕は君を恨んでなどいないし、疎んでも嫌ってもいない。君は、──正しく僕の『大切な人』なんだ。そんな君の死を、僕が悲しまないはずがないだろう」


 後頭部に回された彼の手のひらが、ガイアの頭を優しく撫でている。彼と触れ合った部分から、彼の優しい体温が伝わってくる。そのわずかな熱は、けれども凍てついたガイアの心と身体を溶かすには十分で。
 気づけばガイアは、彼の背に縋り付くようにその両手を伸ばしていた。
 心の表面から何かがほろほろと剥がれ落ち、その欠片はやがて涙となってガイアの視界を滲ませた。こぼれる嗚咽を必死に抑え込もうとするのだけれど、それにも大した意味はない。確かにそこにある彼の輪郭と熱と鼓動を掻き抱いたまま、ガイアは懺悔するように言葉を吐いた。

「──もう、疲れたんだ」

 死ぬことにも、形だけとはいえモンドを裏切ることにも、意図して彼を傷つけることにも。疲れてしまった。疲れていた。本当はもう、ずっとずっと前から。

「俺はもう、お前の泣いている姿なんて見たくない」

 死んでしまいたかった。消えてしまいたかった。けれど、自分が死ねば彼は悲しむのだという。なら、それなら、自分は。自分は一体どうすればいい?

「そう願うなら、死ぬな。死のうだなんて思うな。罪も苦しみも全てを背負って僕の隣で生きてくれ」

 ガイアを逃がすまいとでもするかのように、ガイアを抱きしめるディルックの腕に力が籠められた。骨が軋みそうなほどのその抱擁は酷く息苦しくてたまらなかったけれど、それを嫌だと思うことなど決して出来なくて。


「僕は君を愛しているよ、ガイア」


 頭の奥底で、星空の片隅で、世界の中心で、何かが砕け散る音が刹那に響き渡った。



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最果ての惑星