昨日の謝肉祭の裏側で、ナマエとジャーファルによって今回の偽装許可証の件について大きな進展を見せた。無断停泊船についてはやはり関係はなかったようだが、どうやら攫った子供を換金するためにとある宝石商と手を組んでいるようで、そこから偽装許可証が流失し始めたようだった。数人は捕らえ損ねているため、あの後海岸及び海上に向けて増援を送ったが収穫はなく、ひとまず件に関わった十三隊の隊務を休止することとなった。顔を見られているため、このまま隊務を続けるにはリスクが高かったこと、副隊長、隊員一名が活動不能状態にあるためだった。
かくして、一夜明け、事件から二日目の今日。
相変わらず、ジュリィはナマエの傍を離れる素振りは全くなかった。隊務がないことから部屋にこもるか鍛錬に行くかになるのだが、この状態の彼女を置いていくことは憚れたのだ。先日確認してみるとあの場にいたジャーファルでも安心するようで、泣き喚くでも何かをするでもない彼女であれば文官の仕事に支障はないのだろうとは思う。
とはいえ、休んでいろと言われた手前預かってもらうことも、彼女を一人にすることもできなかった。
身体自体は、もうどこも痛みなどない。もともと肋骨が折れていた以外、とくに痛むでもなかったのだ。そのケガも、魔法のおかげか随分と楽になっている。
身支度を整えて、膝の上に座るジュリィの髪を整える。
――彼女の両親は、どうやらすでに生きてはいない様だった。余程惨かったのだろうか、口数も多くはなく、表情の変化も乏しい。ならば、何か綺麗な景色や物で上書きしていくことのほうがいいのではないだろうか。こんな、狭い部屋に閉じこもることなどより。
アリババたちが、してくれたように。
「ジュリィ、今日はちょっと違うところに行ってみよう」
王宮内とはいえ、丸腰で歩くということが慣れず、かといって剣をぶら下げると彼女が怖がるかもしれない。滅多な事が起こるわけではないのだ。短剣で十分かと官服の腰のあたりに忍ばせてから、ジュリィの手を取って部屋を後にした。向かう場所は、まずはヤムライハの所である。
水系魔法であれば何かこう虹のような綺麗なものを見せてあげられるのではないかと、他力本願さに後ろめたさは感じるが、喜ぶものなら見せてあげたいと思ってしまったのだ。黒秤塔に向かいながら、道すがら奇妙なものを見るような視線を受け――恐らく王宮内で子供を見かけることがあまりない――辿り着いた部屋にはいなかった。
「お仕事中かなあ…」
「あ、ナマエ! 久しぶりい! もう怪我は大丈夫?」
「っピスティ!」
ジュリィよりはっきりとした明るい金髪をなびかせて、彼女は大きく手を振りながら近づいてきた。身長もそう変わらないというと怒られてしまいそうだが、ジュリィが一瞬ぎゅうと強く握った手も、怖いからではなさそうだった。
ピスティは彼女の顔を覗き込むと、にぃとあどけない顔で笑った。
「こんにちは、私はピスティ。あなたは?」
「……ジュ、リぃ」
「ジュリィちゃん! かわいいねえ、ヤム今いないの?」
「いないみたい。よければ、ジュリィに魔法を見せてもらえないかなと思って来てみたんだけど…」
そっかとピスティもヤムライハに用があったようで、少しの思案の後、一緒に中庭に行かないかと提案された。八人将にはジュリィの話はそれとなく伝わっているようで、とくには何も聞かれなかった。
久しぶりに彼女と並んで歩いていれば、言葉は止まることを知らなかった。随分と久しぶりな気がする。いや、会ってはいたのだがこんなにも話した記憶は少ない。
時折ジュリィともたどたどしい言葉をかわしながら中庭へと向かっていれば、ひどく嬉しそうな顔でこちらを見ていることに気づいた。
「なんだか、お母さんみたいだね、ナマエ」
「んっ?」
そんなことと否定の言葉を使っていいのか分からず、曖昧な音を返すしかなかった。ちらりと下を見れば、彼女はその零れそうなほど大きな目で見上げている。帰る場所が、今の彼女にはない。だからといって、処遇を決めるにはジュリィの心を置いていっているような気がして、まだ早いのだろうとなんとなく思っていたのだ。
「……どうなるのが、いいんだろうねえ」
「――なんか、前ナマエがちっちゃくなった時あったでしょ?」
一月以上前の話だ。過去にするにはまだ早すぎるほどに、覚えている。
ピスティは目を細めて、ジュリィの手を引くナマエを見上げた。
「あの時と一緒だね」
「……うん、嬉しいことも綺麗なことも、増やしてあげられればと、思って」
立ち止まり、ジュリィの脇を抱えて持ち上げる。随分と軽い体躯は容易に持ち上がり、彼女はいつもより高い視点を楽しんでいるようだった。
今できることは、このくらいだ。彼女にしてあげられる小さなことを、増やしてあげるくらいだ。
頬にかかるピアスがくすぐったいのか、彼女は肩口に顎を乗せて後ろを見ていた。
「ナマエ、それにピスティではないですか」
「ジャーファルさん」
「げ」
横からただならぬ声を拾ったが、逃げないあたりいつもよりは仕事に追われていないようだ。
振り返れば、ジャーファルが文官数人を連れて書簡を持ち運んでいるようだった。ジャーファルさんと耳元で弾けた言葉に、ジュリィを地面に下ろしてみれば、彼女はぱたぱたと小走りに彼の足元にくっつきにいった。彼の方が母親の雰囲気なのかもしれない。アラジンたちが、そんなようなことを言っていた気もする。
どうしました、と書簡を片手に持ち替えてしゃがみこむジャーファルは、やはりどうみても母の笑顔だ。同意を求めてピスティを見遣れば、
「これならお父さんはジャーファルさんだね」
――どよめいた。本人の無自覚か否か、彼の背後にいた部下たちから広がってくるそれに、ジャーファルの頭を撫でる手が一瞬動きを止めた。
「何を言っているんです、ピスティ。そうだ、気分転換に空を見せてあげたら――」
立ち上がろうと腰を浮かした刹那。
ぎゅう。
幼く小さな手が、ジャーファルの袂を握りしめている。彼の許の方が安心するのかもしれないなあと少し悔しいような面持ちで、ピスティと顔を見合わせてしまった。
「ジャーファルさんのところがいいのかなあ」
仕事が、と戸惑うジャーファルも申し訳なくもすこし面白い状況でもあり、ナマエもそれならばとジュリィにまた後でと手を振ろうとした。が、ジャーファルを見上げていた瞳が彼女を映して歪み始めた。捨てられた小動物が向けてくるような眼差しに、彼女が求めていることがなんとなくわかってしまったのだ。
――順応しようと、頑張っているのだろう。突然生活は奪われて、周りは見知らぬ土地で、人で、寄る辺もなく、一人彷徨っている。不安を消してしまいたくて、少しでも安心していたくて、必死なのかもしれない。
ナマエでさえ、怖かったのだ。こんな幼い子が、確かに、笑って耐えられるはずなどない。
「……そうだよねえ、」
彼女に近づいて屈んだところで、目線が合う。きゅうと結ばれた唇を解くように両頬を挟んで、泣かないでと笑った。それからもう一度胸に抱えて持ち上げれば、襟元を強く握りしめられる。ようやく立ち上がったジャーファルがかける言葉を探しているようだったので、少しの思案の後、思いついてしまった。きっと、隣にピスティがいたから、悪戯っぽく笑ってしまったのは移ってしまったのだろう。
「それでは、ジャーファルさんがお仕事を早く終わらせてくれるまで、一緒にお外で待っていましょうか」
「…うん」
「――わかりました」
書簡を持ち直した彼は、去り際にジュリィのばいばいと降った手ににこやかに笑って行った。
「ナマエ」
ピスティが、見上げている。
「顔、真っ赤だよ」
「……ジュリィがあったかいから」
「嘘はよくないなあ」
彼の意外性に驚いただけだ。あんなふうにしれっと返されれば、こうもなってしまうのだと、力説した言葉はすべて横に流されてしまった。
いつもより早い鼓動を刻む心臓を落ち着かせたくて、ジュリィの背をゆっくりと撫でていた。
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