中庭の噴水近くで穏やかな昼下がりを過ごしていた。途中ピスティが動物を連れてきてくれたり、背中に乗せてもらったりと、柔らかな羽毛に埋もれることでジュリィの強張りも取れつつあった。飛ぶとなると三人も乗せることになってしまうため、それだけはできなかったが、それでも彼女が楽しそうにしていてくれただけでも、ピスティの力は本当に素敵なものなのだなと頭が上がらない。
そろそろ仕事に戻るねと彼女と別れたのが一時間程前。ジュリィと花冠をつくりながら時が過ぎるのを待っていたが、流石にもうすることもなくなってしまった。芝に腰を下ろして立てた両ひざの間にちょこんと収まるジュリィは、手元の花をいじり続けている。
そうして、夕市の始まりを告げる鐘が鳴り響いた。


「もうそんな時間かあ」


俄かに騒然とし始めた声は王宮にも届き、ジュリィはまるで先程まで触っていた小動物のように背筋を伸ばして聞き耳を立てた。懐かしいのかもしれない。彼女こそ、この時間のあの喧騒中で育っていたのだ。
ジュリィはすっくと立ち上がり、ナマエの手を取る。


「ナマエちゃん、お外行きたい」
「お外かあ……うーん」


陽が沈むまであと二時間もないだろう。外出禁止とまではいわれていないが、捕り物があったのが二日前だと考えると、ジュリィを連れ立って歩くことは些かリスクがある。――この人混みの中、彼女を攫っていくことは平易なことではない。はぐれず、人混みからあぶれなければ。


「……おうちに、」


帰りたい。その言葉は、飲み込んだ。ただ、お家にと呟いてしまった言葉はもう吐き出されてしまって、それを皮切りに涙は零れ落ちるばかりだった。――迷ってしまう。このまま王宮内で生きていくことが、彼女にとっての幸いになるのだろうか。母と呼べる人もおらず、縋るのはただあの麻袋の口を開けたナマエとジャーファルだ。
家に帰っても、おかえりと言ってくれる声はないのに。料理場に立つ背も、布団からのぞく目も、泥を払う、眦を拭う柔らかな手も、もうないというのに。
――ぎゅうと、ペンダントを握った。ナマエの母が亡くなった時に、父から預かった形見だった。彼女にも、形に残る何かがあれば、少しでも前に進めるのだろうか。


「……日が暮れるまでに戻ること、私から絶対離れないこと」
「!」
「約束できる?」


こくこくと何度も頷いた頭を撫でて、立ち上がる。一度自室に戻り、長剣を携え、それからロゼには一言断っておかなければならない。彼女に伝えれば必然、何か問題が起こればジャーファルまで伝わる。
恐らくこの時間であれば部屋にはいるだろう。緑射塔に戻り自室のドアを開ければ案の定、ロゼはそこにいた。


「すみません、日暮れ前には戻るので、一度この子の家まで行ってきます」


ジュリィに隠れるように長剣をベルトに収め、少し伸びた髪を括った。
ロゼは渋い顔をしたが、「巡回経路は覚えているので、何かあれば武官を呼びます」と言えば、熟考のあとジュリィの前に屈んだ。彼女は官服の裾に隠れるよう半歩引く。


「ナマエのいうことは、しっかり聞くのよ」
「うん」
「手を離しちゃだめよ」
「うん」


彼女はそのまま右手を繋ぐ。


「次の鐘が鳴っても戻って来なかったら、ジャーファル様に報告と、探しに行くわ」
「大丈夫、きちんと戻ります」


目的は彼女の家の傍まで行くことだ。中にまでは入れるかどうかは状況次第なので、一時間とないくらいに戻って来られるはずだ。一応これで不測の事態への保険は掛けられたので、あわよくば残党の捕縛もかなうかもしれない。どちらにせよ、気は引き締めていくべきだ。
ロゼの見送りを背に、橙に染まり始める建物の間を抜けていった。



謝肉祭あとの夕市ということもあり、いつもより肉の露店も多く見受けられた。件のこともあり、貴金属の店は減少していたが、監査が終わればまた戻ってくることだろう。
できるだけ人気のある道を選ぶともなれば中央通りになるので、この混雑の中手を引くことはあまりに困難だった。ひょいとジュリィを前に抱えて人波をかき分けていく。
予め彼女についての情報はジャーファルからも聞いていたので、家の場所はなんとなく見当がつく。あとはジュリィの記憶を頼りにしていけばいい。


(そういえばお外って中庭の意味だったんだけど、本当に外まで来ちゃったなあ)


正当な小言を言われるくらいは覚悟しておかないと、と思い出して苦笑いした。


「あ」
「どうしたの?」
「あそこ」


ジュリィが不意に指を指した場所は、大凡彼女の家の方向の曲がり角だ。成程、確かにここを曲がって行けば近道になるのかもしれないが、少し人気からは離れてしまう。それより一本後の方が確か八隊の巡回当番なので、そちらから回ることにした。途中やはりすれ違った八隊に挨拶をしてから、右に曲がる。


「さっきの人たちが私の仲間なんだよ、何かあったら、あの人たちに助けてもらおうね」


海岸に近くなっていく。潮騒が耳に馴染んで溶けていく。一度海に寄るのもいいかもしれない。陽光の反射で煌めく水面が、振り返れば積み重なる橙の家並みが、この時間は一際綺麗に見えるのだ。ジュリィにとっては当たり前の景色なのかもしれないが、見慣れたそのほうが、王宮の空なんかよりずっといい。
タイル張りの地面はブーツの音が良く響く。ジュリィの柔らかな靴底では、足音はそこまで響かないようだ。
海岸を臨める手すりに腰を凭れ、潮風に髪を攫われる。ジュリィは少しだけ口を開けたまま、目に映るすべてを眺めていた。
停泊している船体が落とす影。砂浜の白さに、夕焼け色の海。潮の匂いに、賑わう声。王宮よりも風は強く、流れる雲が夜を連れてくる。
彼女は、ぐずった鼻を啜った。


「…お家、いこっか」


彼女の家は、海を背に左手の坂の海岸側の方にある。ナマエが警備していたバオバロブの森は右手にあるので、あまりこちらにきたことはなかった。左手の坂を上り切ると、国営商館があり、立地としては、そんな何かが起こるような場所ではなかったのだ。
同じ武官であるナマエが、無関係だったなどいえるはずもない。それも、謝肉祭の日に。
無意識に抱きしめる力が強くなる。このまま、進んでいくことが幸いになるのか、未だ迷っている。
なかなか進まない足に、ジュリィが顔を見上げてくる。彼女は、進みたいのだ。
息を吸い込んで、タイルを蹴った。もうすぐ、日も沈んでしまう。


- 109 -
BACK TOP