目蓋の裏の眩しさに瞬きを数度して、柔らかな風が頬を撫でるたびに深く目を閉じた。やけに涼しい左腕は、どうやら布団からはみ出ているようで、温かな何かが、手首を掴んでいる。
耳をすませば、誰かの寝息が聞こえた。
「……、ん」
重たい瞼を押し上げ、ようやく意識を覚ませば、そこは見慣れた自室の天井だった。
息を吸い込む。胸の痛みは、大分和らいでいた。
天井をしばらくぼうと眺めていると、視界の端で何かが揺れている。左腕の重さにゆっくりと顔をそちらへ向ければ、あの日の少女が椅子に座りながらベッドに腕を乗せていた。今しがた起きたのだろう、左頬には赤い跡が付いていた。彼女は丸い両目をさらに大きくして、背後のドアと、ナマエとを交互に見やっていた。
「……けがは、ない?」
左手で彼女の頭を撫でれば、麦の穂のような黄金色の瞳がじわじわと揺れ始める。小さな嗚咽を混じらせながら、ぼろぼろと静かに泣き始めた少女は、椅子から立ち上がるとすぐさま部屋を出て行ってしまった。
――細く、首元で揃えられたブロンドの髪。白磁の肌の上に乗る黄金色の瞳。整った見目に、年端も行かぬ体つき。あのまま彼女が、麻袋に入れられたままだったら。たすけてと、叫ぶ声すらなかったら。そんなことは、珍しくもないのだと。
ずっと握られていた左手を持ち上げる。痛みはない。恐らく、寝ている間に誰かが治癒魔法をかけてくれたのだろう。起き上がれば、頭を打ったせいか少しだけ眩暈がした。
「気分はどうですか」
「っ、ジャーファルさん……!」
少女に手を引かれるようにして、彼は開けっ放しのドアから現れた。顔色は相変わらず良いとは言えないが、彼もひどい怪我はしていないようだ。
少女はジャーファルの手を離すとふたたびベッドまで駆け寄り、ナマエの腰に抱き着いた。小さな頭を脇腹に沈められるたびに、肋骨が軋んで微かな痛みを誘う。けれど、徐々に湿り気を増す服に、背中を撫でてあげる他なかった。
「たすけてくれて、ありがとお」
服に埋もれていた顔をあげた彼女は、笑わなかった。ただ泣きじゃくってはひしと体にしがみついているさまは、まだ何かに怯えているようだった。
一時間と経たないうちに、少女はすっかりまた寝入ってしまった。幼子にとって精神的な負担が大きいほど、眠ることで忘れてしまうための防御反応が起こるのかもしれない。
ジュリィだと名乗った彼女に、家族はどこにいるのかと問うてもただだんまりを決め込むばかりで、恐らく、目の前で傷つけられた可能性はあるのだろうと察しはついた。助けに行ってくれと言わないあたり、そういうことなのかもしれない。どちらにせよ、昨日捕縛した彼らから情報を吐かせれば、ジュリィの両親の安否も確認できる。
「……隊の二人は、何ともなかったのでしょうか」
ジュリィをベッドに寝かしつけながら、ジャーファルを見る。彼女の前で昨日の話をぶり返すには酷だと思ったのだ。だから、彼女が寝るまでこの不安さえ聞くことはできなかった。
彼の頷いた顔に、自然と肩の力が抜けるのを感じる。
「ええ。ただ、しばらく隊務には戻れないでしょう」
「生きているなら、それだけで十分ですから」
「…貴女も、しばらく休んだほうがいい」
ベッド脇に飾られた花瓶には、ここ最近ロゼが趣味だといっていた鮮やかな花が差されていて、ジャーファルは遠くにそれらを映しながらそういった。
「無茶はもうしないでください。あの日は諜報のみだったはずでしょう、ただでさえ、あんな格好で……ちょっと、何笑ってるんですか」
――思わず、口元に手を置いた。笑っていたのか、自分でも気づかなかったのだ。
それでも、こうして笑ってしまっていたのには心当たりばかりだった。ジュリィと聞いてでてきた名前も、もう無茶をするなと呆れた声も予想していた言葉も、無事だった二人も。
そよそよと、風が髪を攫っていく。生温い、シンドリアの潮風が吹き込んでくる。
「安心してしまって、すみません。でも、もうあれは忘れて下さい……結構、恥ずかしくって」
傷だらけの身体だというのに、晒してしまうあの服装も、あまつさえジャーファルに見られたことも、思い出すと穴があれば入りたい心持ちになる。
左肩を抱いてしまった癖に他意はなく、彼は一瞬の間をおいて、それから笑ったような音がした。
「似合っていたと、思いますよ」
「っ!」
シンドバッドしかり、彼の傍にいるとこんなふうに簡単に、何気なくそういうことを口にできるようになるのだろうか。
レイヴンくらい軽薄であれば受け流せるのだが、如何せんジャーファルは何ともない顔をしてそういうことを言ってのける。ジュリィを気遣うふりをして、熱くなった顔を隠すように俯いた。
それから、そういえばと思い出したふうに、彼は言葉を継ぐ。
「先日ヤムライハを訪ねたでしょう、何か問題でもあったのですか?」
はっとした。そういえば、こんなふうに話をしてしまっているのも、何やらヤムライハには悪いのではないのだろうか。二人がそういう仲かどうかは計り知れないが、もしもの事を考えると不義理なのではないか。
いきおい見上げた視線の先で、ジャーファルが不思議そうに小首をかしげる。最初の頃に比べて、随分温和な表情もできるのだと、最近知ったばかりだ――違う、今はそんな感想を思い浮かべる時ではない。だからといってなんといっていいものか、言葉を探しあぐねていれば、彼の疑問の色が濃くなっていく。
「あ…えっと、その、……すみません、先日は、あの、タイミングも悪くて……」
「――……」
これでもかという程彼の双眸が細まった。そばかすの散った頬が心なしかひきつっているようにも見える。
何か勘違いされているのも困るので、と幾分か低くなった声は、明らかに面倒だという怒気を含んでいた。
――その後、入れ違いに部屋を訪ねてきたヤムライハにこの話を伝えれば、それはもうしっかり笑われることとなった。
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