「よお、目は覚めたみてェだな」


ランタンの明かりで目が眩む。飛び込んできたのは揺れる炎の明かりと、やはり恰幅のいい男一人。
瞬きを数度繰り返して、目を凝らした。男の背後の廊下は暗いが、右手から月明かりが少し見えたので甲板には近い部屋のようだ。詰みあがる木箱に紛れて丁度ナマエの正面に、手枷をした少年が見える。隙間に隠れるように、彼は怯えていた。


「おい! 聞いてんのか!!」


少しでも情報収集をと視線を動かしていれば、眼前を男の足で踏みつけられる。思わず、肩を竦めて目を瞑ってしまったのに気分を良くしたようで、ランタンを置くとナマエの胸ぐらを掴んで無理矢理起き上がらせた。そのまま、背後に積んであった土嚢のような袋の積み荷に突き飛ばされる。木箱じゃないだけましだが、それでも随分硬く、いきおい肺から空気が漏れて噎せた。


「あんたらにはでかい借りができたからなァ、ただ売り飛ばすだけじゃ脳がねェ。殺してくれと散々喚かせてからシンドリアに捨ててきてやるよ」
「――っ」


マスルールのような、凶暴な筋骨が灯りに照らし出られる。顔や体に幾筋もついた傷も、鋭い眼光も、相手を威嚇するには十分だった。
口は開くはずなのに、喉の奥から乾ききって言葉が出ない。
怖くない。単身乗り込む不安には慣れている。いつも、そんな役目を負っていたのだ。――すぐに、仲間が乗り込んできていたから。けれど、今回はそんな確証はないのだ。
喉が、ひきついた。


「っあぐ、う゛――!」


ナマエの顔を覆うほどに大きな両手が、その細い首を締めあげる。
腕の自由は聞かない。足は、動いてくれない。酸素が、足りない。喉を押し潰す力で、頭が破裂しそうだ。苦しい。息が、吸えない。骨が軋む。意識が、遠退く。


「――おいおい、死ぬなよ。弱っちいなァ」
「っ、はっあ! はっ――っう゛え゛」


ぱっと両手が離された瞬間、血液も空気もすべてが一気になだれ込み、腹からせりあがってきた何かを吐き出した。
下卑た笑い声が反響する。少年が、耳を塞いで俯いていた。


「次来た時犬みてェに待ってたら、優しくしてやるよ!」


ランタンを置いて男は立ち上がり去っていく。重厚な扉が、閉められた。


「っは、しぬかと、……!」


気管がひゅーひゅーと繰り返し鳴っていて、息を吸い込むたびに痛かった。
男曰く、まずは殺されないようだ。それがどの程度の生きている、かは置いておいて。早々に脱出なりなんなり考えないとこちらが持たない。
恐怖はある。けれど、気付いたらこの足はまた動かなくなるだろう。次に来るのがどのタイミングか分からないが、最善を練っておかなければ。
ひとまず、酸欠で頭がくらくらしていて動けそうにない。麻袋に頭を預けながら、乱れた呼吸を整えていた。


「……だい、じょうぶ…?」


灯りのおかげで、少年の顔が良く見える。年は十かそこらの、ジュリィに似たブロンドの髪、麦の穂のような瞳――顔立ちも、似ていなくはない。未だ呼吸は異音を放っているが、唾液を飲み込んで、笑ってみせた。


「大丈夫。ありがとう。ごめんね、怖い思いをさせて」
「ううん」
「君のお名前はなんていうのかなあ」


少年は乾いた唇を舐めてから、ぽつりといった。


「リト」
「リト君かあ、どこからきたのか、聞いてもいい?」
「…レームで、馬車にあいつらが乗り込んできて……それで、離れ離れに、なっちゃって」


じわじわと涙が頬を伝っていく。
手枷のついた両手で、ごしごしと何度も目元を擦っていた。漏れる嗚咽を何度も飲み下しながら、言葉にならない声を落としていく。
レーム帝国という別の国が、シンドリアの海の向こうにあるのだというのなら、こんな真暗闇にどれだけの時間いたのだろう。
どこに向かうかもわからない不安の中、たった一人ぼっちで、こんな暗闇の中で。


「――そっちに、いってもいい?」


こくんと頷いたリトの傍に、歩み寄る。足が笑いそうになるのを隠しながら、一歩ずつ近づいて、それから隣にしゃがみこんだ。火薬のにおいが、鼻に衝いた。


「リト、約束しよう。必ず、ここから出してあげるからね」
「……ほんとに?」
「ほんとに。だって私も、お外に出たいから」


約束ね、と小指を差し出して、契る。
大丈夫だ。きっと。なんとかなる。ジュリィが状況を説明できなかったとしても、帰ってこなかった段階でロゼが気づいてくれる。ピスティやヤムライハが上空から船を見つけてくれるなら、あとは恐らくこの船が残党の乗った船だと証明して拿捕するのみだ。
大丈夫だ。信じて、あとは、できることをすればいい。
握りしめた拳は、震えてなどいない。
彼女が動かなければ、こんなにも小さな少年が傷ついてしまうことになる。ラゴウの屋敷や、ヘリオード、コゴール砂漠で繰り返されていたように、誰かの悪意の所為で、そんなことが許されていいはず等、どこにもないのだ。
右肩の傷は浅い。出血はもう疾うに止まっている。あとは、この両手が自由になればいい。

それから、足音はやはりまだ来ないままだったので、状況確認をすることにした。この部屋はどうやら武器もいくつか詰め込まれているようで、リトが座っていた更に奥の積み荷の中に、乱雑にナマエの長剣が投げ捨てられていた。
後ろ手に縛られているので、木箱に足をかけながら長剣を口で銜えて戻る。相変わらず、女は非戦闘員だと思っているのだろうか。おかげでこうして、武器が手元に戻ってきたわけではあるのだが。
首を横に振り鞘から剣を抜いて、リトは両手が前にあるので、まずは縄を切って解いてもらった。余程恨み辛みを込めたのか、痕は残り皮膚は擦れて血もにじんでいる。自由になった両手で彼の手枷も外し、再び物色を開始した。
ごそごそと布をはがして中を確認していれば、大小の火薬に、それから――


「なんでこれが、ここに…!」


変形弓だ。
弓の中央部のレバーを引けば瞬時に剣に変形する、キャナリ小隊が持っていた武器の一つ。扱いに難渋するため、使える者は数少ないが、近距離から遠距離まで一人でこなすことができる。折れていない弓矢も十本ほど入れ物ごと出てきて、まだ十分、弓としても剣としても機能した。
頑張れと、いわれたような気がした。もうしばらく、この武器だけは触っていなかった。思い出すことも、忘れてしまいたくなることも怖くて、手に取ることさえできなかった。


『お前には――』


不意に、あの日を思い出す。テムザで戦っていて、気が付いたらザーフィアスの自室で目が覚めたあの時。ひとり生き残ったと泣いていたナマエに、そういえば父が、珍しく憔悴した顔で、それでも柔らかい目で、言った。


『お前が生き残ったのは、まだやるべきことが、為すべきことがあったのだ。だから、彼女はお前を助けたのだ』


――為すべきことが本当にあったのは、キャナリ小隊長の方だったと、今でもそう思う。
変形弓を左手に携える。あの時は、ずっと右手で構えていた。
足音が聞こえる。先程と同じ足音が一つ。ドアの影に隠れられる壁に背を凭れ、耳を立てながら息を整えた。
船上でも船内でも戦闘経験はある。慣れ親しんだレバーに左手の人差し指をかけ、引く。ドアの前で、足音は止んだ。


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