階段脇からの射程距離が二人。同じ距離にいるも荷に遮られた男が一人。メインマスト周辺の積み荷越しに動く人影はあるが、風もあるのでここからは狙えない。まずは、甲板にいる彼らの行動を制限する。
腰元にぶら下がる筒から三本引き抜き、左親指に宛がい弦を強く引いた。


「ぅ、ぐああ!!」
「だ、誰――ぐ!!」


それぞれが右と左の大腿部を矢が貫く。できるだけ最小限に、動きを止めていくしかない。声に反応した男が荷の影から出てきたところを、構え直してその足を射抜いた。一度背後を確認するも廊下側にはまだ誰もいない。木箱に隠れながら、再び甲板に視線を映す。彼らはまだこちらに気づいていないようだ。
呻き声に気づいて駆け寄った二人の足元を矢が走る。ふくらはぎに刺さるも、もう一人は矢が腕を掠めたのみに終わり、そして剣を抜いた。


「誰だ、そこにいんだろ!」


こちらを映す視界にまだナマエの姿は映っていない。息を吸う。肺が広がり切らずに強張っている。細く吐いて、そうして階段を踏みしめる。
飛び出すように月の光の下に躍り出れば、剣を構えた男の顔が歪んだ。
開けた視界に暗い空が飛び込んでくる。月はまだ昇ったばかりようで、日付はまだ変わっていないだろう。捕まってから四、五時間程度だとすると、帆船なら尚更まだ近海だ。


「ッあいつ!! いつの間に出てきやがって!!!」


矢の刺さる三人とも立ってはいるが、痛みに身体は支え切れていない。ほとんど戦力外とみていいだろう。長剣を抜いた男が、構えて笑った。


「弓じゃ近距離は無理だろーが…――!!!?」


構えた男に向かって走りながら人差し指を引けば、カシャンと繊細な音を立てて剣に変わった。弓のみだと油断していた男の間合いなど容易く入り込める。右わき腹から左肩にかけて斬り上げて、そのまま両足を掬って胸倉をつかみ地面に叩きつけた。
マスト上から緊急事態を告げる音が漸く鳴り響く。見上げれば、上に二人がいた。武器は弓。上方からならどちらとも十分射程距離だ。
左舷にいた男二人は長剣を抜いたまま右舷に回り込んできた。既に体勢の整った二人から距離を取ろうとバックステップを踏むと、足元に立て続けに弓矢が降ってくる。よろよろと立っている矢の刺さった男の顔面を蹴り上げ、甲板に突き刺さる矢を二本引き抜いた。地面によろける男の背中を踏み台に、大きく宙に翻る。レバーを引いて弓状に直し、空を向いた瞬間、番えていた矢羽を離した。マストにいた監視の右肩を射抜く。間合いを詰めてきた男が着地時に振りかざした剣を、右手の短剣で受け流し、両手を床に突いて腹部に容赦のない蹴りを決めた。背後に飛んだ男を避けて剣を横に薙いだ男の、腰ベルトを掴み足元に滑り込む。ドスリと頭上で鈍い音がする。股の間をくぐり抜けている間に右手指に挟んでいた弓矢を宛がい、振り仰いだ。


「このアマが…っぐあ!!!」


血液がぱたぱたと数滴が降り注ぐ。見届けた矢の先は、鎖骨に近い場所だった。鎧が前面を覆うせいで、首元以外、狙えなかったのだ。――早く止血処理しなければ、とも思う。
甲板の戦闘音を聞きつけて、左右の階段から十人程の男に、上甲板の弓兵五人がこちらを捉えていた。
――ラゴウやキュモールを、ユーリは許さなかった。
乱れた呼吸を整えながら、レバーを引いた。変形弓が切り替わるこの音は、いつ聞いても綺麗だった。


「――貴方方は許可なく領海を侵し、更にシンドリアの国民を傷つけた。これより、船員すべて武器を捨て――っ」
「随分と威勢のいいお嬢ちゃんだなァ。なに、奴隷商なんて珍しいものでもないってのに」


上甲板からの弓矢を短剣で叩き落とした。
長剣、双剣、短剣、ナックル、弓とそれぞれの武器を握る群れ。深追いすれば回り込まれて畳みかけられる。手のひらが湿る。
しっとりと夜に紛れる黒髪の男は、額で揺れる前髪を掻き揚げ、一歩引いた。


「嬢ちゃんは綺麗に売るかヤるかしたかったんだが、まあしょうがねェよなァ」


――アレクセイを、ユーリは許さなかった。
奴隷商などと珍しくはないのだと、先日のあの男も言っていた。この世界に仮令そんなものが当たり前に存在していたとしても。


「――私は、貴方方のしていることが、正しいことだとは思えません」


人が人を使う階級が、正しいことだとは思えない。
ジュリィには、家族と一緒に笑う未来があったのだ。リトは、こんな見知らぬ土地で一人生きていく未来などなかったのだ。
何事もなく穏やかに過ごす日々が、そこにはあったはずなのだ。
唇を噛んだ。許されることなど、あってはならない。誰かが傷ついていくことが当たり前など。でも。


「だから、貴方方は、今ここで捕えて連れて行きます」


やはり、ユーリがあんなことをしてまで、一人で背負ってしまう必要はなかったんだろうと、そう思う。これはきっと、フレンと同じだ。


「生きて帰れたらな」


短剣を逆手に握り込む。覆いかぶさってくる影に振り向き様、こめかみを柄で殴りつけた。よろめいた男の太ももに剣を突き刺し、男の背後に回る。突き刺さる弓矢を引き抜けば再び、血を浴びた。
それをきっかけになだれ込んでくる男の攻撃をかわし、蹴り上げ、突き飛ばし、注ぐ弓矢を叩き折った。背中から引き抜いた矢は瞬時に切り替えた弦を引いて、上甲板の男の胸を射抜く。心臓さえ外れれば、これだけでは死なない。
靴先に仕込んだ鉛が重い。振り回すほどに、頭を蹴りつける威力は増す。足を切り裂き、弓矢が額を掠め、落とし損ねた弓を掴んで上甲板に返した。時間が立つほどに精度は落ちていく。男の右胸を、矢が刺さる。
――ユーリのように、背負っていくことは難しい。エステルのように、常に綺麗でいることはできない。
額から流れる血を拭った。倒れている男は、誰も彼も血を流しては呻いている。足元は狭くなっていく。立っている彼らは、あと何人いるだろうか。数える気力もなく、向かいくる男の拳を半身翻すことで避けても、足が思うように上がらなかった。右足の影を、矢が留める。避けなければ、二本目が当たる。目で、それが追えている。短剣を握る右手が動かない。右肩を、鋭い痛みが走った。


「っ!」


剣を、床に突きたてた。息が上がる。呼吸が、切れる。額から流れ続ける血が煩わしい。
右肩に刺さる弓を引き抜いて、鏃を背後の男の肩に突き立てる。蹲った男に膝蹴りを入れ、船体中央に向け突き飛ばす。
止まるな。動け、もう、ここで休んだら、もう動けなくなってしまう。守れなくなってしまう。きっと、リトはあの薄暗く狭い箱の中で怯えているのだ。早く、安心させてあげないと。
じりじりと距離を縮めてくる男に、腰ひもを解いて投げつけた。好機とばかりに注がれた弓矢を、上着をはためかせることで薙ぎ払う。床に、官服の上着が落ちた。シャツとズボンだけでは、防御力も一段と低くもなるが、今は足が動けばそれでいい。
それで、いいのに。


(……動、かない…)


――マスルールが教えてくれた体術は、どこまで通用しただろうか。シャルルカンとの稽古はまだ数えるほどで、彼からも学びたいことは沢山あった。ヤムライハの魔術がもし使えていたら、回復も楽だっただろう。
誰かが踏み出した足音が、やけに大きく響いた。右手に握っていた短剣を、投げつける。少しでも数をと思ったが、案の定叩き落された。
変形弓を床から引き抜く。鋭い切っ先が、甲板で踊る。左手から、血が流れていくのを遠くで見ていた。


「よく頑張ったなァ、この人数相手に」


階段の方まで飛ばされた変形弓は、取りに行けそうにもない。背後の廊下にはリトが隠れている。上甲板の弓兵は全員伸した。目の前には、まだしかと立っている男が三人もいる。
流血の収まらない左腕を抑えながら、近づいてくる男を睨みあげた。胸倉を掴まれれば、シャツの襟が僅かにちぎれる。


「随分手ひどくやられたよ…案外やるなァ嬢ちゃん」


片方の手で首を締めあげられながら、強く床に叩き付けられた。弾みで頭をぶつければ、一瞬視界が霞んだ。


「死ぬなよまだ」
「っい!」


遠退いた意識を引き戻すように左腕を踏みつけられれば、傷口から伝わる酷い痛みで感覚が冴えていく。その血だまりに、肘が浸かっていくようだった。出血の酷さなど、見なくても明らかだった。
痛いはずなのに、段々と朧になっていく。指先の感覚は疾うにない。頭上には、ただ煌々とした月が浮いていた。
革のベルトが、ズボンのボタンごと切り裂かれる。剥き出しの腹を掴んだ手の温さが気持ちが悪かった。
歯を食いしばって、右足を振り上げる。男の股の間を蹴り上げれば、彼はいきおいナマエの上から転がり落ちた。


「――まだ、終わってない、ですよ……!」
「――〜ッ! このクソが…!!」


上体を起こしたものの、すぐさま他の男に羽交い絞めにされた。逃げ道など、どこにもなかった。
一人が両肩を抑え込む。蹴り上げられた黒髪の彼は、もう一人に笑われながらも起き上がりながら振りかぶった。
頬をえぐり取るような一発が、脳をゆすぶる。口の中が血腥い液体でいっぱいになった。思わず吐き出した黒い塊が、板の間に滲みていく。唇の端から、顎に伝って幾筋もの液体が零れ落ちた。


「生きたまま中身引きずり出してお前の首ごと飾ってやる――! 喚くなよ、うっかり殺しちまうからな…!」


握り込められた拳が振りかざされる。ぎゅうと思わず瞑ってしまった目の奥で、ジャーファルとジュリィの顔が、浮かんだ。待っていると、そう、言ったのに――。
骨が軋む、音がした。


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