魔導士を含めた二十九名はジュリィやリトのような誘拐、殺人、窃盗を他国でも繰り返しており、通じていた宝石商に謝肉祭に捕らえた者も合わせて裁判にかけられることとなった。リトは幸いにもすぐにレームへと帰ることも叶い、更には両親も満身創痍ながらも生きているとのことだった。ナマエは彼を見送ることはできなかったが、あの様子ではシンドリアに来ることもそう難しいことではないのだろう。
シンドリアでは連日その件について他国との情報交換に交易問題も合わせて問題に事欠かず、けれどもシンドリアの平穏は取り戻しつつあった。
――ナマエが敵帆船から救出されて今日で二週間が経つ。多量の出血により一時意識を失い身体反応も見せない状況もあったが、救出から八日目に容体は安定し、今ではすやすやと穏やかな寝息を立てていた。しかし、未だ目は覚ましていない。恐らくもうそろそろ目が覚めてもよい頃だろうという医者の見立てもあり、それぞれが彼女が目覚めるのを待っていた。


「ジュリィ」


ジャーファルは、日も沈みかけるころ、漸くひと段落着いた仕事の合間に彼女の部屋を訪ねた。起きる気配はなさそうなナマエの横で、椅子に腰かけながら随分と近い距離で顔を見ていたジュリィが、振り返る。忙殺されそうな日々に目蓋は重いが、彼女の顔を見れば朗らかに笑む以外の選択肢はない。彼女はナマエの手を両手で握り込みながら、息を吐いた。


「……」


容体が安定するまではジュリィは彼女と会えずにいたので、こうして隣で顔を眺め続けて六日目になる。六日間、隣に居座り続けて離れないのだ。
――あの日から、彼女の口数は極端に減っていた。状況を整理するに、ジュリィが外に行きたいと言ったことが発端となってしまったようで、彼女は幼いながらそれを責めているようだった。ジャーファルや周りがいくらそれが彼女の所為ではないのだと諭したところで、ナマエが目覚めなければジュリィにとってそんなことは些末だ。
扉を閉めて彼女の右隣りまでくれば、右手をナマエから離して彼の手を握る。温かい手だった。


「……ナマエちゃん」


――彼女が、目を覚まさなかったらと考えた。最初の一週間、もしかしたらこのまま死んでしまうのだろうかと思った。書類に目を通しながら、頭に過るのは息も止まった彼女の姿だった。
あの海の中、緑の小さな光に寄り添われながら浮かび上がった、彼女の身体の冷たさを覚えている。呼びかけても声はなく、身体は冷たく、息も細い。ジャーファルは、命が消える瞬間を知っていた。あれは、それにひどく似ていたのだ。
生まれた世界ではない所で死んでいく絶望を、知り得ることはできない。彼女が呟いた仲間も、家族も、彼らは遠くここではない場所にいるのだという絶望は、最早言葉にされたところで共感には程遠い。――それでも、ナマエのその仲間の話を、聞いてみたいと思った。どんな世界で、どんな仲間がいて、どんな出来事に、どんなふうに感じて、生きていたのか――。今にも潰えてしまいそうな命の顔を前に、ふと感じたのだ。聞かなければ、きっと、それは心残りになるような、そんな気がした。


「……っ」


まるで、水中から息継ぎをするような、とても小さな息を吸う音がした。


「! っナマエちゃん!」


小さな手が離れる。窓から差し込むオレンジ色の日差しが、彼女の青白い頬を差した。
言ってやりたいことは山ほどにあった。開口一番に、今後勝手に一人で行動したいと思わせない程に叱りつけてしまおうと、そう思っていた。


「……じゅ、り」
「ナ、ナマエちゃん…! ごめ、なさい…私がわがままっいった、から!」
「だいじょう、ぶ。ほら、いきてる、から。ね、わらって」


渇いてしゃがれた声は、穏やかにそういった。到底笑うことなどできそうにもないジュリィは、不完全な音を繋ぎながら、それから王宮内に響き渡りそうなほど大きな声で泣きじゃくった。六日間、ずっと溜めていた涙は、きっとすぐには涸れてはくれないだろう。細い左手を布団から持ち上げて、彼女の頭を撫でてやれば、それは一層声量を増すだけだった。


「……ナマエ」
「じゃ、ふぁるさん、すみ、ません」


助けてもらってばかりでと、たどたどしい言葉に眉尻が下がる。本当にそう思うならもう二度と無謀なことはしないでくれと、皮肉の一つでも吐いておこう。そう考えていたのに。無意識に伸ばしかけた右手が、彼女に振れる前に止まる。よくよく考えれば、あの時の状況なら彼女の尊厳を貶められた可能性だってある。男である自分が触れることも、こうして伸ばしかけた手の意図もはかりかねて、曖昧に右手が宙に浮く。彼女は不思議そうにその手を見つめて、ジュリィを撫でていた左手で、右手に触れた。決して強くはない力で、ナマエの頬に導かれる。その手も、頬も、柔らかく、温かかった。


「――あたたかい、ですね」


陽だまりにでもいるかのような、穏やかな目をしてそう笑うものだから。笑いながら、疲れたのかまた静かに意識を微睡ませた彼女に、何も言えなくなっていた。



     *     *     *



三週間目にしてようやく、歩き回ることができるほどには回復した。かといってすぐに疲労感や倦怠感に襲われるので、日常生活以上のことはできずにいる。日がな一日ベッドで過ごす日々はあまりに退屈で、話し相手のジュリィがいなければ恐らくふらふらと出歩いていたに違いない。――いや、ジャーファルに見つかるのが関の山だ。恐らくしないだろう。
ジュリィは先程からベッドの上で黒秤塔で借りた本を読んでいて、ナマエは少し素振りをした後に、バルコニーに出た。中庭に面していて、見下ろせば文官や武官、女中がちらほらと見受けられる。左手には紫獅塔と銀蠍塔、赤蟹塔が見え、正面には黒秤塔が望める。耳をすませば、武官たちの鍛錬の音が聞こえてきそうな気がした。
事件の前の夜は、銀蠍塔のあの屋上で、マスルールと組み手の相手をしてもらっていた。シャルルカンとも、稽古をしなければと思う。
――でなければ、アレクセイに一人で勝つことなど、到底できない。
バルコニーに置いた手が、自然と拳を握っていた。


「あっ、ジャーファルさんだ!」


いつの間にか隣にいたジュリィは、バルコニーの手すりによじ登りながら、紫獅塔のあたりを歩いていたジャーファル率いる文官たちに向けて、おーいと手を振っていた。よくここから見つけられるなと感心半分に、彼女の脇を抱えて落ちないように支えてから、また視線を落とした。ジャーファルが手を振り返したのが辛うじて見えた。


「……ナマエちゃん」


建物の影に消えて見えなくなった彼の姿をなんとなく追いかけていれば、ジュリィの小さな手が、首元にかかるペンダントを掴んだ。


「どうしたの?」
「これがね、いま、光ってたの」
「光ってた…?」


緑色で綺麗だったのと言った彼女の手のひらの中で、ペンダントはただ静かにそこにあるばかりだった。


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