先のバルバッドでの一件にてシンドリアに食客として落ち着くこととなった少年二人は、八人将の一人であるという魔導士、ヤムライハに連れられ中庭で魔法について指導を受けていた。といってももう一人は剣術を専門としているため、ただの付き添いであるのだが。


「いやーでもなんとか痩せてよかったな、俺たち」
「そうだねアリババ君、これでもうあんなに走らなくていいんだね!」


齢十歳ほどの小さな少年、アラジンは杖を両手で握り満面の笑みを湛えた。怠惰で太りに太った体を絞るため、数週間前からひたすら走ることばかりを続けていた二人は漸く息を吐くことができるのだ。


「アラジンくんは走る前にまず魔法を使ってみれば早かったかも知れないわね」


ふよふよと周りに水の玉を浮かべているヤムライハは、自身の魔法で造り出したそれらを動かしながら笑う。重力に反して浮かび続けるそれはシャボン玉のようで、陽光を反射させて煌めいていた。


「ヤム、ライハ様」


長身の女性が息を弾ませて彼女の名を呼ぶので、ヤムライハは首を傾げてその侍女のもとへ歩み寄る。褐色の肌に背の高い彼女は、確か見覚えがあった。


「あなたはたしか、ロゼさんだったかしら」


シンドバッドが国に帰ってくる道中に乗り合わせたという女性の世話役として、つい先日ジャーファルから彼女を紹介された。そんな彼女が八人将のもとに来るということは、ただならぬ何かがあったのだろうか。ヤムライハが一瞬身を強張らせたのがわかったのか、ロゼは柔らかな笑みを浮かべて後ろの少年を見た。


「シンドバッド王が皆様をお呼びです。銀蠍塔でシャルルカン様との剣術稽古の見学を、と」
「相手は?」
「先日シンドリアに参りました侍女のナマエです」


件の女性の名も確かナマエだったと思い至ってから間をあけて、頓狂な声を上げた。シンドバッドが関わっているのだからきっとそこには何か案があるのだろうとは思うが、それにしても些か突飛すぎやしないだろうか。
ヤムライハは何とも言えぬ表情を浮かべたまま二人に向き直り、


「アリババ君、アラジンくん。ちょっとついてきてもらってもいい?」
「え、何かあったんですか?」
「王様が二人に見てもらいたいものがあるそうよ」


その返答に二人は頭に疑問符を浮かべながらも、先を歩く彼女についていくほかなかった。



*   *   *



食客たちが利用するという銀蠍塔に入るのは初めてで、きょろきょろと辺りを見回しながら後をついていけば、一際開放的な空間に出た。シンドリアの王宮が見渡せるようなそこにはシンドバッドとジャーファル、それに色の黒い男にズボンにブーツという不思議な出で立ちの女性がいた。あまりこの国では見かけない雰囲気の彼女を見つけ、今まですごいねえなどと騒いでいたアラジンが立ち止まった。


「……どうした、アラジン?」
「……ねえ、おねえさん。あのお姉さんは誰なんだい?」
「――私も、初めて見たわ。王様が煌帝国から帰ってくる途中、乗り合わせたそうよ」


ヤムライハまでもが、僅かに顔を歪めている。アリババにはそれが何故なのか皆目見当もつかないが、どちらにせよその原因があの女性にあるということは理解できた。
王様、と彼女がシンドバッドに近づき声をかければ、彼は現在に至る経緯をざっくりと説明してくれた。


「あそこにいるのは八人将のシャルルカン。彼は剣術に長けていてな、もしよければアリババ君の剣の指南役として紹介しようと思っていたんだ」
「そうなんですね! あの、あの人はシンドリアの?」


空気が、ほんの一瞬だけ冷えたような気がした。それは主にジャーファルからのような気もしたし、ただの気の所為だったのかもしれない。
アリババの問いかけに、彼はシャルルカンと会話をしていた女性を呼んだ。彼女は新しく増えた少年たちを一瞥すると目を瞬かせて、小走りで近づく。


「彼女はシンドリアで働いている――」
「ナマエと申します。よろしくお願いしますね」


後頭部あたりで簡易に纏められた、黒とも青とも形容しがたい長い髪が会釈と共に背中から垂れる。柔和な笑みを浮かべる彼女、ナマエは一瞬シンドバッドを見やり、それから手を差し出した。一番に反応したのはアラジンだった。


「僕はアラジン。よろしくねナマエおねえさん」
「ナマエでいいですよ、呼びづらいでしょう?」


きゅ、と彼の小さな手が触れた瞬間、ヤムライハがわずかに声を上げた。それは近くにいたアリババにしか聞こえなかったようで、彼女はすぐに口を噤んでしまう。
――魔導士という人たちにしか見えない何かが、彼女にあるのだろうか。不意にそんな思いがよぎったが、アリババにはどうせ見えないのだからと気にせずにその手を握って笑みを浮かべた。


「俺はアリババ。端で見学させてもらいますね!」
「見学って、ご期待に添えるかどうか……」


ナマエが眉尻を下げて笑うと後ろでシャルルカンが「まだかよ」と少し不貞腐れたように言う。これから師と仰ぐ人にはあまりな感想かもしれないが、幾分幼いように思えたのは気のせいということにしておこう。
ナマエが今行きますと苦笑してからくるりと振り返ったとき、彼女の左腕には切り傷の痕がいくつもあるのに目がついた。気を付けてよく見ればそれは一つや二つという数ではなく、そのどれもが恐らくは深い傷であったのだろう。左の袖から僅かに見える傷跡はひときわ大きく、隠れて見えない部分も含めてまるでえぐられた肉が再生したような綺麗だとは言い難い傷だった。
それは今まで相対してきたもの達の凄まじさを物語っていた。


「すげえ人なんだろうな……なあ、アラジン。何か見えるのか?」
「……ううん、逆だよアリババ君」


「逆?」と呟いてみたものの、何がどう逆なのかがわからない。
鍛錬場の中心に移動した二人は既に周りの声など聞こえていない様子で、ジャーファルがやけに真剣に目を向けていた。シンドリアという国についてなにを知っているわけではないが、純粋な剣術勝負ではないことだけはなんとなくわかった。


- 40 -
BACK TOP